2008年8月27日水曜日

わたしはベジタリアン??

3度の食事で、何を食べるにしろ、肉か魚か、でなければ卵かハムかソーセージ。何にもない時は鰹ぶし。いわゆるおかか。そういった物がなければ食が進まなかった私が、バリに来て3ヶ月、大幅に変わってしまった理由の一つは、なかなかインドネシアのタンパク質類に馴染めないのもあるが、一つ大きな理由は、経済的理由。

何も恥ずかしい事ではない。ちまちま年金生活者(と,ひとくくりに云っておくが)は、毎日の出費を考え考え暮らさなければならない。勿論、羨ましいほどの例外の方もいらっしゃる。

空輸された野菜は高いが、地元の野菜はホントに安い。申し訳ないくらい。それに太陽を一杯浴びて育ってるから旨い。美味しいのよ。それで、バリの野菜たちをあれこれ工夫して料理してるうちにだんだんはまって来て、いつの間にか、肉や魚が無くても美味しく、満足するようになったってわけなんだわ。

目下、一番気に入ってるのが,なす料理。日本風に、味噌あじ。レシピなんて洒落たもの知らんよ。気任せ。 仲良くなったインドネシアの若い女の子にも、大好評だ。ショウガの細きりを最初いためるのがコツかな。 このショウガもまた超安。愛知県とか高知県のものがいいとされていて、いつもソレを買っていたが、買い乍ら高いなあと思っていた事も事実。300円くらいしてたのが、こちらのしょうがは4~50円。余談になったけど、いえ、余談ではないわよね。こちらの野菜の値段はこんなものと云ってるのです。意外や意外、美味し~いのがじゃがいも。

と、ほんの少し紹介したけど、バリの野菜の日本風食べ方や、自分に合うインドネシア風の味を面白がってるうちに、あれ?、私ってベジタリアンだったっけ?と独り言云ってしまった。

2008年8月25日月曜日

我が家のKucing君

水(こちらでは、貧富の差なく水を買います)を届けてくれた小父さんが、チャーリーを見て、よほど驚いた らしく、「Apa ini?」アパイニ?と聞くので、「Kucing」クチン(ねこ)と答えると更に驚き、今度は片言英語でフラムジャパン?と聞きました。黒地にグレイの縞模様のネコは初めて見たのでしょう。

私だって初めてトムにあった時(チャーリーの父親)えっ何これと聞いたもの。20年前の事。まだアメリカンショートヘアが珍しい頃でした。今迄飼っていたネコの中で一番お気に入りのトムの最初の子で、18年も一緒に暮らして来たチャーリーをバリに連れてこない訳にはいきません。

そのチャーリーの事、それが目下一番の心配事。こちらの物をあまり食べてくれなくて、だんだん痩せて 来たのです。検疫のとき成田で量った体重より1.5キロも減ってしまって、背中の骨ゴリゴリなんですよねえ。

それは勿論、色々と工夫しているのよ。まあ、本人も死なない程度には食べるのでしょう。ほんのちょっぴりずつは食べます。それにことの外元気。ご機嫌もよろしいし。そのうち慣れて諦めてバリのネコになってくれるかしらね。

そう云う私もこちらに来て1ヶ月頃、2,5キロも痩せて何だろうって思いましたもの。今は元に戻ってます。うちのクチン君も長生きしてもらって、ギネスブックに載せようって思ってるのよ。はっはっは。

2008年8月16日土曜日

8月15日と8月17日

戦争終結の記念日と、独立記念日とでは、同じ記念日でも天と地ほどの違いだ。

今日15日、日本では、毎年正午12時、1分間の黙祷を慰霊者に向かって捧げる。戦争で父を亡くした私は、今日はテレビを通じて参加した。今迄は、必ず一緒に黙祷をした訳でもなかった。心のどこかに、行事化された空しさを感じたりもしたからだ。

評論家やマスコミはいろいろ言うけれど、「思想やイデオロギーがどうであれ、自身の意思に関係なく戦争の犠牲になった人たちの霊に、二度とこのような戦争はしないと誓い、参拝するのは、私の人間としての気持だ」と、堂々と言い放ち、元旦と8.15には必ず参詣する吾人は、いっそ、気持いい。

バリに来て、初めて知ったインドネシア人が心から喜んで、その日を待ち望んでいる記念日、インドネシア独立記念日のお祭りだ。10日くらい前からインドネシア国旗を家の門に掲げ、或いは軒下に吊るし、うきうきした空気を感じるのだ。
8月17日。日曜と重なるので、18日が学校も役所もその他多くが休みとなる。自国の独立を我が事と等しく喜ぶインドネシア人の純真さに心から喜び、植民地の如何なるものかを知らない私は歴史の重みをずっしりと感じている。