2008年11月4日火曜日

続 日本とインドネシア

1945年8月15日、日本は全面降伏し終戦となった。そして、8月17日がインドネシアの独立記念日となるのだが、350年間にわたるオランダの支配からインドネシア独自の国を作ろうと云う、民族独立運動は、1900年初頭からあった。

中でも、民族の自覚が不可欠であるとの意識のもと、多くのオランダ人を始め、世界の知識人に当てた書簡集を発刊したのが当時のオランダ植民地政庁教育文化省長官だから、面白い。

この書簡こそ、インドネシア人を覚醒させようとの願いに立ち上がった、カルティニと云う女性が書いたものだった。わずか25歳でなくなっているが、インドネシア政府は彼女を国家英雄の一人として顕彰し、カルティニ記念日を設けている。

尚、ジャカルタのインドネシア経済企画庁広場前には彼女の像が建っているが、日本の友好団体の寄付に依るものというのも日イ関係を物語っていると思う。

それより、もっと驚くのは、インドネシア独立宣言書が書かれたのは、日本海軍のジャカルタの責任者であった前田武官邸だったのだ。スカルノとハッタは、長年同士である民族運動の指導者スバルジョが前田武官と親しい事を思い出し、3人は前田邸に向かう。まだまだオランダの目が光っていたのであろう。

そして、16日、独立宣言書の原稿が書き上げられ、翌17日、『我々インドネシア人は、ここに、独立を宣言する』から始まるスカルノの第一声が放たれたのであった。

0 件のコメント: