2008年12月30日火曜日

2008年もサヨナラか!?

泣いても笑っても今年はあと3日。2008さようならです。

75年生きて来て、赤道直下のバリ島で暮らすようになるとは考えても見なかった。が、今ここで私は生きているし、まあ、どうって事でもないようにも思える。

四季の変化があろうと無かろうと、皮膚の色が違おうと、言葉の違いがあろうとも、陽は東から昇り西に沈み、人間の営みは「おんなじ」同じだからだ。

この一年、振り返る暇もないないくらいの変化はあったが、一歩の進化も無かったのが口惜しい。こうした人間の営みの繰り返しで一年が終わろうとしている。これでいいのか?と、自問する前に、今、此処にこうして生きている事だけで奇跡なのではないのでしょうか?みんな、そうなのです。生きている事が奇跡なのです。幸せなのです。

また来年も、愚にもつかない事に一喜一憂し「いっしょけんめいに」生きてゆこうではありませんか。2008年よアリガトでした。

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2008年12月26日金曜日

バトゥール湖からタナロットへ


キンタマーニは山の名前と勘違いしていたが、標高約1000m 以上のバトゥール山麓付近一帯の村を指すのらしい。キンタマーニ地方とも云っている。雨期に入ってから観光したので、バトゥール山は霧でかすんでいて写真を撮ることができなかったが、バトゥール湖は、瞬時晴れて上掲の写真を撮ることができた。

クタから1時間くらい車を走らせると、だんだん空気が澄んでくるのを感じる。バトゥール山の裾野に広がるバトゥール湖は、見ているだけで心も洗われるような気がする。

たまたま時を同じくして、ジャカルタ新聞に紹介されていたが、キンタマーニ地方で穫れたアラビカ種のコーヒーのみが、『キンタマーニ.コーヒー』の名前で、インドネシア初の「地理的表示特許」と認定され、バリから世界のブランドとして国内外の市場に出るようになるとの事で、何だか自分の事のように嬉しくなっている。

途中、ウブドのカンプン(田舎の意味)カフェで昼食をとり、タナロット寺院へ向かった。

バリ島の絵はがきには必ず加わっている、一見、人工的とも見まがう自然の巨大な岩?島?島にしては可愛い小さな島のまん中の洞穴に仏が祀ってあり、干潮の時にはそこまで行けるそうだが、私が行った時は満潮だったし、眺めるだけだった。 本当はタナロットのサンセットを見るつもりで時間も合わせて行った のだが、雨期と云うこともあり、雲が邪魔をして。でも、その雲がまた素晴らしかった。 地平線の上いっぱいに広がった雲。気持も雄大になる。

夕日に映えたタナロット寺院を見られなくて残念がっていると、乾季のときでも、なかなか絵はがきのような夕陽には出会えないとの話だった。 

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2008年12月24日水曜日

チャーリーの友達、もう一度。


チャビと付けた女の子、相変わらずチャーリーのお供えを食べに来てますが、この写真、2匹仲良く食べてるのは、母ネコのミミ(と呼んでます)なんです。

ちょっと前、めずらしくチャビが食べ残してるので、??と思ったら親ネコを呼びに行ったらしいのよ。初めて母ネコが食べに来たの。そして、ごらんのように仲良く食べてるじゃないの。それから、1週間くらいだけど、親子一緒に来て、仲良く食べてるの。毎日ね。

親子だなあ、、。と、私、感心しきり。
近頃の親や、物心つき始めて何を考えてるのか分らん子供。それより(・・・やっかいな人間のことはさておき・・・)もっとネコ好きの皆さんに見てもらいたくて、またまたブログにしました。おわり。



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2008年12月17日水曜日

チャーリーにガールフレンド??

毎日チャーリーのご飯を食べに来る子猫。勝手にチャボ君なんて呼んでいたが、どうも、おんなの子みたいなの。凛々しい顔しているし、ハンサムだなあと思ってて。でも何となく、君、おとこの子?おんなの子?って聞いてはいたのよ。何たって野良ちゃんだから、近付きすぎると逃げるし、確かめようがなかったのよ。

でも最近、食べてるそばで見てても、平気で食べるようになって、ありゃ、おんなの子ちゃんじゃないの。じゃあ、美人だし、名前はチャビにしよう、ってチャビちゃんに改名しました。アッハッは。

チャーリーは、とうとうおんなの子と縁がなく、生涯独身でした。これは全く、飼い主の我がまま以外の何ものでもなく、若い時は表でメスネコの鳴き声に耳をピンとそば立てたりしたんだけど、だんだんそれもなくなって、バリに来た時なんか、外の声がしても知らんふり、何の反応もしなくなって、人間で云うと、80歳すぎだしねえ。と、毎日おだやかに昼寝などしてるチャーリーをみては思ったものでした。最期も、ほんとうに、おだやかに、しずかに、私の腕の中で逝ってしまいました。


風さんに教えられました。 風さん、ありがとう。
星になったチャーリーは、風になって、いつもいつも、わたしの
上を、まわりを吹き渡っているのですわ。

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2008年12月13日土曜日

ビーチの隠れ家的スポット

バリのビーチと云うと、観光客の派手な水着スタイルと、大部分がカップル、家族連れ、団体旅行にサーファーと、時に、逞しい体つきの男性と、インドネシア人の若く可愛い男の子のカップルもある。まあ、本当に皆みな、エンジョイしてる様は見ていても楽しい。

因に今12月、日本は氷点下**度です、のニュースも聞くが、バリは勿論、夏。ビーチも乾季ほどの盛況は無いが結構賑わっている。


こちらで一番の仲良しになった友人が、空気も海もちょっと違うわよと連れて行って下さったのが、パタンバイ海岸。ここからは、ロンボク島への船が出ている。その湾からひと山越えたところに、また湾があり、これがブルーラグーン。まさに隠れ家的、いや、隠れビーチ? これもおかしい? でも、そんな感じ。


が、知る人ぞ知る、というか、さすがはダイビング会社の社長さん。あ、ちょっと紹介すると、彼女のご主人がバリの人。子供が12歳を頭に5人! 涙もろく太っ腹のママは、武蔵野美大を出た才媛。5人の世話ばかりでなく、も一人子供のようなbabaも入れると6人の面倒もスイスイこなしている。ブルーラグーンで子供たちがはしゃいでる間、私と彼女は、缶 ビール。彼女のもう一つの大好きなところは、baba以上に酒が強い事。推して知るべしだわね。

下の写真はヨーロッパ人のカップルだと思うけど、彼女がノートに夢中で書き込んでいるのは何かな?小説? 彼は、波が彼女にかからないよう砂を盛り上げるのに夢中です。


ね、こんな風景は、クタやスミニヤックの海岸では絶対に見られないで しょ?






















2008年12月3日水曜日

チャボ君とお母さん猫















最近、よく遊びにくる野良猫の親子。
チャーリーの餌をあげると、おいしそうに頬張る。
愛情あふれる母猫の表情に、こころが和みます。
 
*

世界中で大事件が

バリは雨季に入りました。と、のんきな事は云っていられないほど、世界の各地で次々と恐ろしい事が起こっている。バリ島でまたテロが。と、いつニュースになってもおかしくないし、遂に東京が!!との報道がなされても、と云う、おっそろしい世の中の状況を、どうか、政治家さま、「人道的に」なくす方法を考えて下さいませ。

東京で起こった上級官僚殺人事件。如何なることがあろうと、どのような原因があろうと、殺人はあってはならない。してはならない。まして、あの事件は、全く関係のない人が被害に遭われた事を考えると決して許せない。

しかし、(決して決して加害者の弁護では無い)彼の云う、30年前の、殺された家族の復讐(彼の場合犬だが)だというのは、本心かもしれない、と、思った。

ニュースを聞いた時、直ぐ思った。「あ、ペットロス」が、嵩じて、とうとう気が狂ってしまったと。30年も前の事を!と、ニュース解説でも、犯罪心理学者とやらも云ったり分析したりしてるが、30年の月日が、いやが上にも根深く潜伏して、とうとう気違いになったんだと思った。自首した時のふてぶてしいまでに落ち着いた顔と冷徹なほどの殺人計画はとても気違いとは見えないが、人間が人間を殺す瞬間は、完全に気が狂ってると思う。狂ってなければ人を殺せる訳がないと思う。

少年時代の傷は、彼自身が自分で思ってたより深く受けて、その傷は屈折して、歪みにゆがみ、決して癒える事無くまた根深く沈殿して、その性格や生活にも依るが、とうとう殺人狂になってしまった。

何回でも云う、決して許される事件ではないが、保健所に翌日犬を迎えに行ったら、「処分しました」と聞いたときの少年の衝撃と傷を思うと可哀想でならない。

が、その逆もあり得る。と云う事に気付きブログにしてみた。ペットロスから厭世的になり、自分を責めて、死にたくなる人間も居るかもと。その両方とも極端であり、弱い人間だ。強くあらねばならない。

人間と生まれたからには使命がある。と。使命を自覚した時人間は強くなるのだ。

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2008年11月21日金曜日

坂本九ちゃんの歌を思い出した

”上を向いて歩こう” に申し訳ないけど、下を見て歩かないとえらいことになるよ、このバリ島クタの街は。ホント、”下を向いて歩こう”に替えて歌わなきゃ。
日本から来た全部の人が云うけど、バリ島の下水、ゴミ、道路。本当にどうにかならないものかしら。

バリ日本人会の有志が、実際にこの問題に取り組み始めて、日にちを決めて、地道に活動して下さってるが、道路までは!?
商店街、というより道沿いに並んでいる様々な店を見乍ら歩くと、下水道、(といっても流れていない)に蓋をしているセメントが、壊れたり欠けたりしていて、落っこちそうになる。それも、20mも歩くと、また、それなのよ。

ああ、バリかあ。いいなあ。風光明媚。一年中夏。という、他の国に無い素晴らしい所だよなあ。とも、思い直し乍ら、ゆっくり歩いていると、今度はもっと胸の痛くなる事が待っている。 見るからに貧しい様子の子供が走りよって来る。手を差し出し乍ら。 どうしても無視できない。私も2つにわけると貧乏人だが、とりあえず腹は減らしてない。バッグから小銭を取り出して上げようとすると、たちまち数人の子供たちに取り囲まれる。

また、余計な事を考えてふさぎ込んでしまう。損な性分だよね。いえ、どうにかなれば、ふさぎ込むなんて無いのよ。

チャングウの友達の家に遊びに行った。おお、どぶ川の水が流れてるよ~。稲穂の出る前の田んぼは緑濃く、吹く風もさわやか。あーよかった。田舎に行けば、まだこんな風景もあるのね。

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2008年11月14日金曜日

日本の秋とバリのあき

赤道直下のバリには秋は無い。あるのは乾季と雨期だけ。時差だけで云うと1時間しか違わないのに、と、思う。

雨期の終わり頃と、雨期のはじめは、真夏よりも蒸し暑い。真夏と思われる6、7、8月は、太陽ギラギラなのに空気が乾いていて、むしろ気持よく、バリで一番の気候だといわれているのも頷ける。

こちらに来たのが5月中旬だったから、やはり南国だもん蒸し暑いわと思ったが、8月は本当に気持よかった。

11月に入り、蒸し暑い日が続いていて、時たま夜半の大雨に驚いたりしているが、朝になるとからりと晴れて蒸し暑い日が続いている。雨期の予兆には違いないが、本格的な雨期には入ってないのかな? 未体験の季節を味わえると思うとちょっとわくわく。しょうがない婆さんだわね。まあ、balibabaだし。

で~も、羨ましいなあ。日本では秋のG1シリーズ突入。ええ、勿論、わたしの愛しのサラブレットたちの競争よ。ああ、走る姿が見たいなあ。

2008年11月8日土曜日

インドネシア日本博覧会2008 (共催日本経済新聞社、コンパス紙)

アメリカ史上初の黒人大統領の誕生に、国民の大半が喜び、感激している姿が放映されて、私迄もが嬉しくなる。「白人でもなく黒人でもなく宗教が違えど、イデオロギーが違えど、全て一つのアメリカだ!」と叫んだ彼に、希望と共感を持ち、チェンジという強い言葉を信じたのだ。英知と若さに溢れたオバマさんに私も期待したい。

そのオバマさん、少年時代の4年間、インドネシアのジャカルタで過ごしたと云う事は初めて知ったが、彼のグローバルな考え方も、その生い立ちから最高学府で勉強する迄に培われたのかもしれない。

1日に開幕した日イ博覧会2008は、ジャカルタ新聞で毎日報道され る。日本の新聞でも報道されていると思うが、こちらほど詳しくは載らないのではと思い、日本の皆さんに少し伝えたいと思う。

1日には日イ協会会長の福田康夫前首相が来て演説し、日イ友好の記念すべき時に訪問出来た喜びと、友好関係を更に深める契機となる事を期待すると。

コンパス紙のヤコブ理事長の、日本国がインドネシアを占領した時期がある一方で、日本軍はインドネシアの独立を促進する役割を果したのですとの演説は実に興味深い。また、各企業もエネルギー問題、農作物、福祉等、多方面にわたり活力と夢いっぱいの近未来構想を提案してる記事でいっぱい。

その他、会場内では、伝統文化、食文化、アニメや、日本の祭り、石川の炎太鼓、秋田竿燈、ジャカルタ神輿の他、最大の目玉、3Dハイ ビジョンシアターでは、エンジョイインジャパンと銘打ち、銀座原宿の街や日本の雪景色、紅葉、築地市場にレインボウブリッジや新幹線も。この、家族で楽しめる3D映像はNHKメディアテクノロジー とか。

盛りだくさんのイベントを、日替わりで楽しめるようになっているとのことで、あ~あ、行ってみたかったなあ。

2008年11月4日火曜日

続 日本とインドネシア

1945年8月15日、日本は全面降伏し終戦となった。そして、8月17日がインドネシアの独立記念日となるのだが、350年間にわたるオランダの支配からインドネシア独自の国を作ろうと云う、民族独立運動は、1900年初頭からあった。

中でも、民族の自覚が不可欠であるとの意識のもと、多くのオランダ人を始め、世界の知識人に当てた書簡集を発刊したのが当時のオランダ植民地政庁教育文化省長官だから、面白い。

この書簡こそ、インドネシア人を覚醒させようとの願いに立ち上がった、カルティニと云う女性が書いたものだった。わずか25歳でなくなっているが、インドネシア政府は彼女を国家英雄の一人として顕彰し、カルティニ記念日を設けている。

尚、ジャカルタのインドネシア経済企画庁広場前には彼女の像が建っているが、日本の友好団体の寄付に依るものというのも日イ関係を物語っていると思う。

それより、もっと驚くのは、インドネシア独立宣言書が書かれたのは、日本海軍のジャカルタの責任者であった前田武官邸だったのだ。スカルノとハッタは、長年同士である民族運動の指導者スバルジョが前田武官と親しい事を思い出し、3人は前田邸に向かう。まだまだオランダの目が光っていたのであろう。

そして、16日、独立宣言書の原稿が書き上げられ、翌17日、『我々インドネシア人は、ここに、独立を宣言する』から始まるスカルノの第一声が放たれたのであった。

2008年11月3日月曜日

日本とインドネシア

今年は、日イ国交樹立50周年に当たり、日本文化振興財団と日本文化庁の後援によって、能、狂言の公演や、その他、多くの催し物を只で楽しめて、ちょうどこの年にバリ島に来た私は何かと得した気分になっている。

その、最大のイベントが、「インドネシア日本博覧会」であろう。これは、首都ジャカルタで開催されるので、入場料は無料でも航空券と宿泊代までは出して貰えないので、、あっはっは、、。 11月1日から9日迄だそうだけど、行けそうにもないのでまた、1日遅れのジャカルタ新聞を見る事にしよう。

バリでの最後のイベントが12月の山本寛斎演出の出し物らしい。関係者は着々と準備されてるみたい。私も、見に行こうと楽しみにしている。多分、超ド派手?1年の締めくくりとしてはいいんじゃない?と、期待してます。

ここのところ、夜半にスコールがあり、これが雨期入りの前兆と云う事でしょうか。朝になるといつものように太陽が眩しいが。「気象地理物理庁」の発表だと、インド洋で低気圧が発達した影響と、海面の温度の上昇で豪雨が発生した。とある。本格的な雨期入りは11月中旬で、ピークは12月から2月位迄らしい。どんな気分になるのか、これも、待っている今日この頃なんですわ。

2008年10月16日木曜日

Charlie Sudah Jadi Bintang

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Charlie Sudah Jadi Bintang

チャーリーは、星になりました。
昨日、10月15日、朝8時30分
私の部屋、ドアを開けると 目の前に立っている
プルメリアの大木の下に眠っています。


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2008年10月11日土曜日

うちのクチン君チャーリーの事



 バリに来てから、ご機嫌はいいのに食べる量が少なくて、日に日に痩せて行くのが、どうにも心配なのだが、先ず、えさが合わない、年のせい、(18才なので)ストレス?等、私もあれこれ考えては食物の工夫をしてるんだけど、やはり駄目なのよ。

娘たちが来た時、お土産にと、チャーリーの好きだった物を持って来てくれた時は喜んだようだったが、それもだんだん食べなくなって、先週の土曜日は、好きな寝場所から出て来ない。呼んでも返事しない。 いつもは、呼べば「にゃん」と云って側に来るのに、、。抱きかかえた途端、医者だーと思ってホテルのフロントに頼みに行った時の私は不覚にも半泣き顔、涙が出てしまった。

フロントのスタッフは勿論、オーナーまで皆で心配して下さり、獣医さんに連絡して下さった。だが、何せ真夜中の12時。 明日の朝一番に往診するからと約束してもらった。日曜日だったが、インドネシア人の獣医さんは、気さくな人で、とりあえずビタミンと通便の注射をし、通じが良くなる薬の処方箋を書いて下さった。

前の晩考えた事と云えば、往診してもらうのは有り難いけど、一体、どれだけ請求されるかと心配したのは正直な話。それが、あれ?こんなんでいいんですか?と云う金額で大助かり。それで、と云う訳じゃないけど、また明日往診してもらうことにしてるの。

半分は、覚悟も必要かも?!と、自分に言い聞かせたりしながら、いや、絶対、元気になってもらわなくては!!と、何やかや、忙しく過ごしている中での目下一番の心配事なんです。

明日の夜は、日本人会の盆踊り大会で、バリに居て、日本人会に入って いるメンバーにとっては、大きな行事なのよ。私も見物に行く事にしてる。 みんな、浴衣を着るんだって。

2008年10月9日木曜日

最近の身辺事情

この2週間を振り返ると、先ず、2週間前に、娘たち夫婦とお母さん3人でバリに来られた事。3泊4日じゃ何にも出来ないわよ。ホント、ばたばた。
その間に、ボーカルの W.Hiroko ちゃんから、「今バリに居ますが、お茶しませんか?」と誘いのメールが来た。嬉しかったけど、しょうがない、おことわり、というわけ。

娘夫婦とお母様と私と4人で、バリのディナーらしきものは2度食べたけど。どうせ来てくれるなら2週間くらいはねえ。私も便乗して遊びたかったわよ。 でも、本当に有り難かった。

こちらで1番仲良くしている友達が、お子さんを連れて東京の病院へ行くついでに、私のジャズバー(今は息子夫婦がやっている)に行ってみたいと云って下さるので、しかも、予定してる日がお子さんの誕生日だと いうわけで、しかるべき用意をしておくよう、今度は店とメールのやりとり。まあ、それは、しのぶ(現在のママ)に任せておけばOKなんだけどさあ。老婆心と云うやつですよ。

そこへ突然、突然ですよ! しのぶの妹いずみチャンからのメールで、昨日からバリに来てるからママに会いたいって! まあ、これも超うれしかったから、会ってご飯食べて、翌日ヌサドアの海で遊んで、、、ひや~嬉しい悲鳴と云うか、、

でも私だって、偉いんだぞー って、娘たちが来てる間も何やかんやあっても、インドネシア語学校と、英語の家庭教師は断らずに頑張ったからね。身に付くかどうかは、、?? ちと、悲しいと云う段階。

その後が大変!! うちのチャーリーが、、、  次回へ

2008年9月28日日曜日

壮観の民族大移動(9月27日のジャカルタ新聞)

1日遅れで配達される新聞によると、上記のような見出しで、また1面トップに載っている。イスラム暦の9月でラマダンが終わり10月に当たる第1日がレバランとなる。陰暦に従い、毎年10日ずつ早くなる訳で、今年は1日となる。

祝日は、1日と2日だが、政府が決めた有給休暇の奨励日が、29日から始まり、多くのインドネシア人は、2週間の休暇を取り、故郷に帰って、1日と2日のお祈りをすませたあと、新調したイスラム服を着て親戚や近所、友人回りをし、その後自身の休暇に当てるのだと云う。

世界で15億人とも云われるイスラム教徒の内、約2億人とも云われるインドネシア人の、1600万人程の数が移動するわけだから、なるほど、民族大移動となる訳だ。

私個人として、今、ホテルのオーナーが好意でキッチンを付けたり色々と改装して下さっているが、いつもなら、ゆったりのんびり仕事するインドネシア人が、目の色を変えて、仕事している。明日の帰国に間に合わせようとして必死なのだ。こちらは、得した気分だが、本当にインドネシアは面白いわ。

2008年9月26日金曜日

インドネシアの大行事、ラマダンとレバラン

9月2日のジャカルタ新聞(日本語版)を見て吃驚したのは、1日から始まったラマダンの記事。”1面トップ”に載っている。 単なる宗教行事ではないのね。ラマダンは。 ブカ、プアサ(1日間の断食明け)を祝う記事と写真にうめられている。

テーブルの上に料理を山積みして、ブカプアサを告げる放送が流れると一斉に水を口に運んでのどを潤してから、食事を始めた。と、ある。それだけでも異国に来た感じなのに、それが1ヶ月間続くのだそうだ。日の出と共に断食が始まり、日の入りで終わる。その間、水も口にしてはいけない。生活、勿論、仕事も普通どうりやる。

ついこの間、面白かった?のは、ラマダン期間中、友人たちと食事をしたのだが、その中にイスラム教の友人が居る事に気がつき、「あ、ごめん」と謝ったら、その友人、すまして食べている。『今、生理中だからいい の』不浄の人だから、神の前にひざまずけないんだって。

レバランでジャワに帰るんでしょ?と聞くと、勿論よ、レバランに帰らない嫁は、親戚中ののけ者になるわ。

一日目のブカプアサといい、一か月間のラマダン明けの大祭といい、本当に目を丸くする事ばかり。 滞在4か月とは言え、刺激が多すぎますよ。

2008年9月17日水曜日

バリの月

窓から見る月があまりにも美しいので外に出てみる。
わあー、まん丸、、、、、。
今夜十五夜?  そう、そうよ。
そうすると、明日は十六夜ね。 い、ざ、よ、い。

そうだわ。日本を出て4ヶ月。たった4ヶ月しか経ってないのに
もう、長い事、よその国に居るような錯覚に陥っている。

でも、月はこの世に只一つ。
日本で見る月もバリで見る月も、今の、この月なんだ、、、。

急に、思いは日本へ飛ぶ。あの人も同じ月を見てるかしら?

何故か、子供の頃、明日の遠足のごちそうを作りながら、
「見てごらーん、あしたはいい天気じゃよー」とわたしを呼んで
一緒に月を見た母を思い出す。
色んな事を思い出す。色んな事が駆け巡る。だが感傷ではない。
豊かな感情なのだ。

こんな、豊かな、優しい感情が湧き上がるのは、やはり、
バリの月なの?

2008年9月10日水曜日

the alit に住み付きそう

実は9月に入って引っ越しました。クタロイヤルに比べて、ちょっと手狭だけど、ホテル並みのサービスが付いて、家賃も安くして下さった。これは私にとって大きい。何と云ってもオーナーはじめ、スタッフみんないい人たち。

概してバリの人たちは親切でやさしく、笑顔で接してくれるが、alitの人たちの多くが日本語を話せるから大助かり。これも大きい。

豪華で大きなホテルもいいが、長く住もうと思ってる私にとってうれしいのは、そう、隠れ家的というか、古木、大木と常夏の花のなかにある小さなビラは、まさしく隠れ家と云うに相応しい。「バリの田舎風」とうたってあるとうりのプチホテルだ。

最も気に入っているのが朝食。前夜に、明日の朝は何を、何時に食べますか?と、アンケート用紙を持って来る。4種類あって、ミーゴレン、ナシゴレン、パン食2種には2種のオムレツが付いている。飲み物も選べる。そしてデザート付き。

指定した時間に行くと、テーブルセッティングしてあって、顔を見てから調理して、アツアツを出してくれるのよ。パンも!南国の木々や花を眺め、心地よい風に吹かれ乍らのブレックファストは、まさに至福のとき。

私の次の時間が始まりました。

2008年8月27日水曜日

わたしはベジタリアン??

3度の食事で、何を食べるにしろ、肉か魚か、でなければ卵かハムかソーセージ。何にもない時は鰹ぶし。いわゆるおかか。そういった物がなければ食が進まなかった私が、バリに来て3ヶ月、大幅に変わってしまった理由の一つは、なかなかインドネシアのタンパク質類に馴染めないのもあるが、一つ大きな理由は、経済的理由。

何も恥ずかしい事ではない。ちまちま年金生活者(と,ひとくくりに云っておくが)は、毎日の出費を考え考え暮らさなければならない。勿論、羨ましいほどの例外の方もいらっしゃる。

空輸された野菜は高いが、地元の野菜はホントに安い。申し訳ないくらい。それに太陽を一杯浴びて育ってるから旨い。美味しいのよ。それで、バリの野菜たちをあれこれ工夫して料理してるうちにだんだんはまって来て、いつの間にか、肉や魚が無くても美味しく、満足するようになったってわけなんだわ。

目下、一番気に入ってるのが,なす料理。日本風に、味噌あじ。レシピなんて洒落たもの知らんよ。気任せ。 仲良くなったインドネシアの若い女の子にも、大好評だ。ショウガの細きりを最初いためるのがコツかな。 このショウガもまた超安。愛知県とか高知県のものがいいとされていて、いつもソレを買っていたが、買い乍ら高いなあと思っていた事も事実。300円くらいしてたのが、こちらのしょうがは4~50円。余談になったけど、いえ、余談ではないわよね。こちらの野菜の値段はこんなものと云ってるのです。意外や意外、美味し~いのがじゃがいも。

と、ほんの少し紹介したけど、バリの野菜の日本風食べ方や、自分に合うインドネシア風の味を面白がってるうちに、あれ?、私ってベジタリアンだったっけ?と独り言云ってしまった。

2008年8月25日月曜日

我が家のKucing君

水(こちらでは、貧富の差なく水を買います)を届けてくれた小父さんが、チャーリーを見て、よほど驚いた らしく、「Apa ini?」アパイニ?と聞くので、「Kucing」クチン(ねこ)と答えると更に驚き、今度は片言英語でフラムジャパン?と聞きました。黒地にグレイの縞模様のネコは初めて見たのでしょう。

私だって初めてトムにあった時(チャーリーの父親)えっ何これと聞いたもの。20年前の事。まだアメリカンショートヘアが珍しい頃でした。今迄飼っていたネコの中で一番お気に入りのトムの最初の子で、18年も一緒に暮らして来たチャーリーをバリに連れてこない訳にはいきません。

そのチャーリーの事、それが目下一番の心配事。こちらの物をあまり食べてくれなくて、だんだん痩せて 来たのです。検疫のとき成田で量った体重より1.5キロも減ってしまって、背中の骨ゴリゴリなんですよねえ。

それは勿論、色々と工夫しているのよ。まあ、本人も死なない程度には食べるのでしょう。ほんのちょっぴりずつは食べます。それにことの外元気。ご機嫌もよろしいし。そのうち慣れて諦めてバリのネコになってくれるかしらね。

そう云う私もこちらに来て1ヶ月頃、2,5キロも痩せて何だろうって思いましたもの。今は元に戻ってます。うちのクチン君も長生きしてもらって、ギネスブックに載せようって思ってるのよ。はっはっは。

2008年8月16日土曜日

8月15日と8月17日

戦争終結の記念日と、独立記念日とでは、同じ記念日でも天と地ほどの違いだ。

今日15日、日本では、毎年正午12時、1分間の黙祷を慰霊者に向かって捧げる。戦争で父を亡くした私は、今日はテレビを通じて参加した。今迄は、必ず一緒に黙祷をした訳でもなかった。心のどこかに、行事化された空しさを感じたりもしたからだ。

評論家やマスコミはいろいろ言うけれど、「思想やイデオロギーがどうであれ、自身の意思に関係なく戦争の犠牲になった人たちの霊に、二度とこのような戦争はしないと誓い、参拝するのは、私の人間としての気持だ」と、堂々と言い放ち、元旦と8.15には必ず参詣する吾人は、いっそ、気持いい。

バリに来て、初めて知ったインドネシア人が心から喜んで、その日を待ち望んでいる記念日、インドネシア独立記念日のお祭りだ。10日くらい前からインドネシア国旗を家の門に掲げ、或いは軒下に吊るし、うきうきした空気を感じるのだ。
8月17日。日曜と重なるので、18日が学校も役所もその他多くが休みとなる。自国の独立を我が事と等しく喜ぶインドネシア人の純真さに心から喜び、植民地の如何なるものかを知らない私は歴史の重みをずっしりと感じている。

2008年7月31日木曜日

現地慣れして来る自分がこわい。


バリに来て2ヶ月半。あっという間に沢山の友達が出来た。毎日のように何かと誘ってくれる。嬉しいのは無論だが、半分、うう~ん、もうお手上げ状態。

こちらに来て、インドネシアの光と陰、その陰の部分に驚き怒りもしたが、だんだんこの地に慣れ、居心地よく感じて来ている自分がこわい。日本のニュースを聞く度に。

お前一人が考えたって!と、もう一人の自分が囁く。

それにやっぱりバリは世界に冠たる観光地。あちこちに点在しているビラは素晴らしい。ホテル内のビラもすごい!! 憧れるほど快適な住環境を広げている。

ホントにホントに、ほわあ~っと暮らすには天国ですねえ。

新しく出来た友達ときちんと話したいので、しょうがない!英語とインドネシア語を習い始めたが、今度は自分の記憶力減退に驚きがっくりしている。




2008年7月23日水曜日

バリの風に吹かれて

インドネシアという底知れぬ毒気?に当てられて、4~5日ぐったりとしてしまった。

まあ、私だって日本の文化果つる地(半世紀前、テレビが普及する迄は)と揶揄された日向で育った庶民代表のたくましい女。このまま悄気てしまってたまるか!

少し、自分のメンテナンスが必要だな。今朝はゆったりと食事をしよう。仲良しになったバリの野菜たちを食卓に並べて。

バリ島で穫れた小麦で焼いた食パンにバターを(これはオーストリア)たっぷりつけ、目玉焼きの付け合わせはインゲンを茹でたやつ。それに、ドンファンでも出していた自慢(フフ、、)のピクルス。おまけに昨夜こしらえた茄子の味噌いためまで。コーヒーを自分流にいれて、ゆっくり、のんびり、ゆったりと。

何よりのごちそうは鳥たちのさえずり、バリの風。そう、この風こそ、求めていたもの。かけがえのないもの。元気出たぞ~。  風よありがとう。バリもありがとう。

2008年7月21日月曜日

バリの裏通り

華やかで、素晴らしく心地よい風土風景に、余計な事を考えてしまい、消化不良を起こしそうな問題を、「ついでに」書いておきたい。

余計な事を考えなければ、バリの暮らしは快適そのものだ。だけど、一歩裏通りに入ると、溝と云う溝はゴミに埋まり、水たまりからは悪臭が鼻を突く。 道路はガタガタごろごろ、歩くにも難儀だ。

世界に冠たる観光地。はい、確かにそう。風土風景と表通りは。けれど表と裏のギャップが大きすぎる。 もう、これは、一個人が消化不良を起こし心配している問題ではない!インドネシア政府は先ずこの問題に手をつけてほしい。悪意無くゴミを捨てる住人の意識改革、教育を早急にすべきだ。

だから私は為政者に心から訴えたいのだ。

どうやら私はバリ島を愛し始めたらしい。

2008年7月19日土曜日

底知れぬインドネシア

一言でインドネシアを後進国と括るわけにはいかない水面下のマグマみたいなものを感じるのは私だけだろうか。何か、噴出しそうなエネルギーを感じたりもするのだ。

まだ、インドネシアに来て幾日も経っていない者が勝手にこの国のことをあれこれ云うのはおこがましいし、失礼だとは思うが、訳の分からない所がたくさんあるのを実感する。

スモッグや騒音を無視して、ジャカルタの街には建築中のビルがいくつもあったし、バリは、今、あちこちに建築中や作業中の姿が見られ、本当に建築ラッシュと言っても過言じゃない。気の小さいおせっかいbabaは本気で心配している。バリの風土と海は神に与えられたとしか云えない宝だからだ。

今日も私はバリの風と光りに包まれて、(よけいな事を考えなければ)有り難く幸せな一日を過ごしたのだ。感謝、感謝。

2008年7月17日木曜日

ジャカルタの街

前の晩アートフェスティバルのあった会場は、ジャカルタの街では最も大きなショッピングモールで、東京の秋葉原や上野を連想する。ジャカルタのアキバと、一部の人は云ってるらしいが、確かに「言い得て妙」である。庶民の流行の発信源かな。地下2階には、ヨーロッパから進出して来たスーパーマーケットがあり(バリにもある)活気を呈している。

1、2階はどこのデパートでもそうであるようにファッションやケーキ売り場。その他でフロアーいっぱいに広がってるのは電化製品。日本の製品が半分を占めている。携帯電話売り場も又フロアーいっぱい。やっぱりね。でも、私もこちらに来て買ったNOKIAという会社のばかり。

4階5階のフロアーは殆ど閉まっている。でも、なぜか工事をしている。あーそうか。ジャカルタにもう一つ巨大ショッピングモールが出来たのだ。対抗しなければならないものねえ。と、私は勝手に思ったが。

モールの中の食堂でお昼を食べた。味はまあまあ。一流店で高いお金を払った訳じゃないし、いいのよ。

目の下に映った大きな水たまり(どう、ひいき目に見ても河とは思えな い)というか、どぶ川に息をのんだ。全く動いてない。澱んでいる。表面いっぱいに大小様々のごみが浮かん でいる。

あ~あ。スモッグといい、澱んだ幅広い川といい、何と云う事だ!!

日本から沢山の技術援助や資金援助をしているのは聞いているから、次は江戸川をきれいにしたような方法で、この国の、せめてどぶ川を何とか するように日本の政治家さま、頼みますよ。と、云ったら笑われるかなあ。

インドネシア会館は、ちょうど日本の大手町界隈を思わせる所に瀟洒なたたずまいを見せていた。

ジャカルタの空の下に

13日、ジャカルタ市内の巨大なショッピングモールの中にある会場でアートフェスティバル フォーピース art festival for peace と称して一大イベントが開催された。私のジャカルタ行きが意外に早く決まった背景には、このイベントに参加できる機会に恵まれたからである。

これは、イスラム教団体と仏教団体との共催!!である。人類皆平和を希求する。人種の差、宗教の差、どうでもいいじゃないの。人間であれば、誰でも平和で幸せな生活をしたい。こんな単純明快な答えは無いのに、何故に、何ゆえに争うの?本当に憤怒を通り越して切なくなってしまう。

インドネシアは殆どイスラム教だという。国教ではないが、歴史は長い。そのイスラム教と仏教とが共催し文化祭を開催する、遂にこういう時代が来たか!と感激ひとしおであった。

今年は日本とインドネシア国交が開かれて50年と云う記念すべき年も あってユドヨノ大統領の代理、行政改革大臣のスピーチに幕があき、インドネシアの伝統芸術が次々と上演披露され、会場は熱気に包まれた。出演者も観衆も一体となって平和を希求する感情に溢れていた。

4000人の入場者の内、イスラム教の人たち1500人くらいという。最後に、元大統領のワヒド氏の挨拶があった。だいぶお年を召されていて車いすごと壇上に上がっての演説?だが、しっかりとした口調だった。  (続く)

2008年7月16日水曜日

ジャカルタの空

インドネシア国内線エアアジアでバリ空港を発ったのがバリ時間9時45分。 1時間半かかり、着いたのが11時15分。 バリとの時差が1時間あるから、ジャカルタ時間で云うと10時15分。

あれ?ジャカルタは今日は曇りかーと呟き空を見上げると、聞いていた人曰く、いや晴天ですよ。ジャカルタはいつもこんなですよ。と、当たり前のように云うじゃないの。ええ~っ。いつもこんな?

空港からだんだん中心街近くなるにつれ、空の曇りは濃くなり、霧がかかっている状態なのだ。
多分、、、半世紀前はこうでなかったのかも知れない、、、商業都市として繁栄して来たジャカルタはその引き換えとしてスモッグの街と化したのだ。

バリに来たばかりの頃、交通量のすごさに驚いた私に、ジャカルタはこんなものじゃありませんよと教えてくれた旅行社の話を思い出し乍ら先進国が後進国にもたらした繁栄と犯罪に、一言で言い尽くせない気持になってしまった。 (続く)

2008年7月6日日曜日

続 バリの野菜たち


産地がどこであれ、美味しく食べるには料理の仕方が大事。「美味しい」と云われる、云わせるコツ?の一番のポイント。”食べる人の好みに合わせる事” これですよね。

料理学校に行って沢山の素晴らしい料理が出来るある人の旦那様が
「うちの女房、どうも料理が下手でねえ」
これって、旦那様の口に合わなくても料理学校の優等生らしくレシピのとうり作ってるからじゃないの?

要は、自分が食べる物は自分が美味しければいいのです。旦那様が召し上がる物は旦那様が喜んで下さればいいのですよ。

これ、料理の哲学 よね。

まあ、こういうわけで、ようやくバリの野菜たちと仲良くなれました。

2008年7月5日土曜日

バリの野菜たち

バリ島で82歳でなくなられた料理研究家、大村しげさんの最後のエッセイ、「京都、バリ島、車いす往来」のなかに、バリの野菜は本当に美味しい。魚も美味しい、とある。食いしん坊の私はそれも楽しみにやって来た。

バリに来た日本人なら誰でも知ってる、みんな行ってる大きいスーパーで、なじみ深い野菜を買って来て食べてみるが、どうも美味しいと思えない。
う~ん、しげさん、美味しいって云ってたのになあ。それにしげさんは京都の仕出し料理屋の娘さんで、お父さんが、美味しい物が分かる大人になるよう、特に可愛がって育てた人との事。おかしいなあ。

やっと、気がつきました。私は自分が知ってる日本の物、(しかもそれは空輸されたもの)しか買って来てなかったのだった。こりゃいかん。バリ島で穫れた物を食べなくちゃ。

それで、お化けのように大きな茄子を始め、店員にこれバリ島の物?と聞いて、3~4種買って来ては食べてみた。

しげさん、美味しいですよ!! 嘘ではなかった。見かけはパットしなく、おまけに触ったり切ったりすると固~い。ところが、食べると柔らか~く、おまけに甘みがある。甘みは旨味だと、日本のお茶メーカーの宣伝文句ではないけど、それってホントだわと感心したが、それはそうでしょう!!
一日中太陽をいっぱいに受けて育った野菜たちだもの。固くなるに違いないじゃないの。甘みをいっぱい溜め込んでるに違いないじゃない の。まずかろう筈が無いでしょ。

2008年6月29日日曜日

バリの日本人

各人がそれぞれ違った目的、思惑でバリに住む日本人は1000人くらいいると聞く。今週日本領事館に行く予定なので、はっきりした人数を聞 こう。

バリ島の日本人も中々偉いんだよ。大抵の人がボランティアに参加している。特にはっきりした目的を持つ団体、「バリ島日本人会」と云う組織が出来ている。これはもう、立派な組織です。

会員数 
法人会    54社 158名
個人会員   301名

だいたい500人近くがバリ日本人会に入っていて、それぞれ得意な分野、自分でもできそうな仕事を受け持ち、活躍、活動をしている。私が来た時大変お世話になった市川さんの後輩坂本さんも、坂本さんの仲良し、バリでは大先輩の谷さんも、日本人会の役員をしていられて、仕事とボランティアとどっちが忙しいんやら、と嬉しそうにぼやいてる。会長は宇都さんと云う人で、名誉会長は、日本国領事、鈴木氏になっていただきバリに在住する上での様々な情報やアドバイスを頂いている。

組織だから事務局会計局があるのは当然だが、教育部、文化部、福祉厚 生部、スポーツ振興部、広報部等あって、特にスポーツ振興部は毎週日曜となると、谷さん坂本さんはバリの子供達や他の子供達に野球を指導している。こちらに来て少しずつ様子が分かるにつけ、日本人もやるじゃんと誇らしくなって来る。

まあ、色んな日本人も居るけどねえ。

2008年6月28日土曜日

バリの人たち

 交通事情でも書いたが、信号なしの道路を走ってて、時折、犬が横断する。バリには嘘みたいに犬が多い。クタのみならず、ウブドゥでも沢山見かけた。

 飼い犬とも野良犬とも見当がつかないが、多分野良犬と思う。どの犬も車だろうと人だろうと平気で歩いてる。道を横切る。そんな時、どの運転者も当たり前のように怒りもせず車を止めて待ってあげる。信号機がなくても、身に付いた「勘」というか、機械や信号等に頼らな い、大げさに云えば文明に毒されていない面が残ってるんだなあと、感慨を深くする。

 今朝、家の部屋の前にスイミングクラブの車が止まってた。私が、咲くのを心待ちにしている木が、少しだけ曲がりそうになってる。私は運転手を手招きした。例によって身振り手振りで、車を移動するよう頼んだ。その木を両手で抱くような仕草をすると、ソーリーソーリーと云いながら車を移動してくれた。怖そうな顔をしたバリ人だったけど、ごめんねと云うような顔をしてソーリーソーリーと云うもんだから、私もニコニコしてソーリーソーリーと云った。

2008年6月25日水曜日

続  交通事情


もっぱら私が利用するのはタクシーだが、殆どの人がそう。

でもバリには東京では見かけない交通手段もある。三輪車タクシー、人力車、馬車、バイクタクシー、自転車タク シーなど。馬車は文字どうり、馬が引いて走るのだけど、ロバみたいな小さな馬が下を向いてゆっくり走ってるのを見ると辛くなってしま う。バリの風は気持いいと云ったって、やはり外は炎天だもの。

バスも乗り合い自動車もあるけど、バイパスとか、整備された大通りしか走っていない。 ちょっした通りをタクシーで走ってても対向車線をヘルメット被った集団(実は一人一人なんだけど、それだけ多い)がこちらに向かって来ると(実は対向車線を走ってるだけなんだけど、それだけ飛ばしてる)武装集団がスピード出してやって来る、みたいな錯覚に陥ったことも一度や二度ではない。

驚いた事がもう一つ。信号機が一つもないこと!!

バリの田園と海辺や夕日の、別世界に来たような風景とは亦別の風 景だ。でも、バリはまだいいのだと。渋滞はそれほどでも無いが、首都 ジャカルタの渋滞はひどい、と旅行社の人が云ってた。ビジネスの都市ですからねえと。 行って、色々見て来よう。

2008年6月24日火曜日

バリ、と言ってもクタ方面の交通事情

先ず、バリ人は歩かない。隣か2~3軒先しか歩かない。
エンジン掛ける間に行けるでしょ。と云う所もバイクに乗って行く。
30分から40分は平気で歩いていた私はあきれてる。信じられ~ん。
と云うのが実感。
この間なんか20分歩けば郵便局に行けると分ったので、よし、
歩いて行ってみましょうと歩き始めた。
うわ~、もう、怖かった怖かった。
誰も歩いていない。みんな車かバイクを飛ばしてる。
もう、歩くのやだ~。帰りはもちろんタクシーで帰った。
路地裏の通りがあきれるほどガタガタぼろぼろと云った事が
あるけど、バリ人に云わせると、わざとそうなんだって。
「おまわりいらず」と云うそう。ほんと??なんて思っていたが
まんざら嘘でもないわ。そうしておくと飛ばせなくて、ゆっくり
事故無く走るからだと。これも信じられ~ん。

走ってる車もバイクも大半が日本製。バリで一番大きいタクシー会社
ブルーバードタクシーも全部トヨタ。
「アリガトございます」と素直に云った方がいいのかな?

2008年6月21日土曜日

スミニヤックで夕食を

今日は土曜日。流石に暫く、どころか永久にやれないかも知れない競馬をしてみたくなったわ。馬の走るのを見たいなあ。と、本音です。

昨夜は、仲良くなった旅行社の民子さんとご主人のエディと3人で食事しにスミニヤックに行った。 クタビーチからギャランビーチと続き、スミニヤックに続くビーチはクタエリアでも有名なビーチだが夜になっても多くの人が遊んだり食べたりしている。 私のうちから車で25分してお目当てのイタリヤ料理店に着いたが、アメリカ人ヨーロッパ人中国人バリ人それに日本人。さすがと云うか、やはり観光地の面目躍如。料理もワインも美味しかった。ま、仲良し3人だったしね。

このエディと云う人がとっても可愛い。ちょうど私の娘・息子のようで、(皆さんご存知の二人だけど、それより10くらい若くて)色はジャワ人だから浅黒くハンサム。英語が達者で礼儀正しい人物です。

彼はイスラム教信者で、1日5回お祈りするんだって。たまたま他人と食事しててもお祈りの時間が来るとちょっと失礼しますと云って席を立ちます。帰るとニコニコして、片言日本語でごめんなさいと席に 着く。非の打ち所の無い温和な男性で、最近、「イスラム人」のイメージがとても変わりました。日本では、テレビやニュースでしか知らない国の人達に、こうして身近に接してみると、本当に世界観が変わるなあと、実感しています。

2008年6月19日木曜日

今日、6月19日。父の祥月命日です。

バリヒンドゥ教が9割を占めるバリには仏壇という物が どこを探しても売っていません。小さくても納得のいく 仏壇が欲しいと、父の命日 を区切りに仏壇をオーダーしました。

製作を依頼した人はインドネシア人なのだけどインド系のハンサムで、年の頃30前後。 彼が着ているシャツは、胸ポケットに富士山の絵と mount fuji のロゴの入った、白いシャツです。 ポケットの絵を指差してユーのう?と聞くと、 イエスイエス (ライフルを持つまねをして) これ、ステータス、というのです。富士射撃場に行ったという話をしたかったのではないかと思います。 彼は英語が得意です。それで、ママも彼に注文する気になりました。

DANNY ダニーという。店もDANNY'Sです。インドネシアの工芸品としてArtに作ってねと云っておいた ので、どんな仕上がりになるか、とても楽しみです。

2008年6月8日日曜日

はや1か月なんとか、やってます。

バリに来て、はや1か月がたちました。

まずは寝床を整え、そして愛猫チャーリーを迎えに行き、次はパソコンをADSLにつないで通信の命綱を開通させ、生活の基本ライフラインを確認。
通信設定だの、携帯メールが届かないだの、スカイプがつながらないだのそんなこんなで悪戦苦闘。機械音痴のわたしが、何でこんなはめに???・・・と恨み節を言っても始まらない。

電気、プロパンガス、水道、電話、エアコン・・・そして生活用品をそろえて、テーブル、イス、電気釜、調味料・・・

言葉も習慣もわからないから、現地日本人ファミリーの皆様には多大にお世話になりました。それはもう、筆舌に尽くしがたく・・・です。いろいろな、ドジ話というか、失敗談がテンコ盛りですが、まだまだ生々しくて笑って話せません。そのうち、ポロポロ告白するかも。


何とか荷物が落ち着いて、少しばかり家らしくなってきました。
ここの生活は、何といっても気候のよさがなんとも言えません。



2008年5月12日月曜日

行って来ま〜す!

 バリ島の住まいを決めて、最終準備をするために一時帰国。会いたい人や手続きや、本当にもう、いろいろ、いろいろあってそれはもう忙しい日々でした。でも、素晴らしい仲間に囲まれて生きて来た人生を、あらためてかみしめました。

そしていよいよ、今日は本当の出発です。愛猫のチャーリーと一緒に行って来ます。皆様、本当に、本当にありがとう。チャオ〜!


2008年5月5日月曜日

いよいよ到着、深夜のデンパサール空港。

深夜に到着して、待ち合わせたはずの現地のガイドさんと うまく合流できず、しばし呆然と立ちすくんだ空港の出口です。 写真は携帯で撮ったので、あまりよく映っていないけど、 Welcome to Bali ! の文字が白く光る看板に書いてあるのよ。

当たり前なんだけど、空港を出たら夜中といえど気温27-8度。 日本の服装では、途端に汗がにじみ出てきて上着を脱ぎました。