2008年9月26日金曜日

インドネシアの大行事、ラマダンとレバラン

9月2日のジャカルタ新聞(日本語版)を見て吃驚したのは、1日から始まったラマダンの記事。”1面トップ”に載っている。 単なる宗教行事ではないのね。ラマダンは。 ブカ、プアサ(1日間の断食明け)を祝う記事と写真にうめられている。

テーブルの上に料理を山積みして、ブカプアサを告げる放送が流れると一斉に水を口に運んでのどを潤してから、食事を始めた。と、ある。それだけでも異国に来た感じなのに、それが1ヶ月間続くのだそうだ。日の出と共に断食が始まり、日の入りで終わる。その間、水も口にしてはいけない。生活、勿論、仕事も普通どうりやる。

ついこの間、面白かった?のは、ラマダン期間中、友人たちと食事をしたのだが、その中にイスラム教の友人が居る事に気がつき、「あ、ごめん」と謝ったら、その友人、すまして食べている。『今、生理中だからいい の』不浄の人だから、神の前にひざまずけないんだって。

レバランでジャワに帰るんでしょ?と聞くと、勿論よ、レバランに帰らない嫁は、親戚中ののけ者になるわ。

一日目のブカプアサといい、一か月間のラマダン明けの大祭といい、本当に目を丸くする事ばかり。 滞在4か月とは言え、刺激が多すぎますよ。

2008年9月17日水曜日

バリの月

窓から見る月があまりにも美しいので外に出てみる。
わあー、まん丸、、、、、。
今夜十五夜?  そう、そうよ。
そうすると、明日は十六夜ね。 い、ざ、よ、い。

そうだわ。日本を出て4ヶ月。たった4ヶ月しか経ってないのに
もう、長い事、よその国に居るような錯覚に陥っている。

でも、月はこの世に只一つ。
日本で見る月もバリで見る月も、今の、この月なんだ、、、。

急に、思いは日本へ飛ぶ。あの人も同じ月を見てるかしら?

何故か、子供の頃、明日の遠足のごちそうを作りながら、
「見てごらーん、あしたはいい天気じゃよー」とわたしを呼んで
一緒に月を見た母を思い出す。
色んな事を思い出す。色んな事が駆け巡る。だが感傷ではない。
豊かな感情なのだ。

こんな、豊かな、優しい感情が湧き上がるのは、やはり、
バリの月なの?

2008年9月10日水曜日

the alit に住み付きそう

実は9月に入って引っ越しました。クタロイヤルに比べて、ちょっと手狭だけど、ホテル並みのサービスが付いて、家賃も安くして下さった。これは私にとって大きい。何と云ってもオーナーはじめ、スタッフみんないい人たち。

概してバリの人たちは親切でやさしく、笑顔で接してくれるが、alitの人たちの多くが日本語を話せるから大助かり。これも大きい。

豪華で大きなホテルもいいが、長く住もうと思ってる私にとってうれしいのは、そう、隠れ家的というか、古木、大木と常夏の花のなかにある小さなビラは、まさしく隠れ家と云うに相応しい。「バリの田舎風」とうたってあるとうりのプチホテルだ。

最も気に入っているのが朝食。前夜に、明日の朝は何を、何時に食べますか?と、アンケート用紙を持って来る。4種類あって、ミーゴレン、ナシゴレン、パン食2種には2種のオムレツが付いている。飲み物も選べる。そしてデザート付き。

指定した時間に行くと、テーブルセッティングしてあって、顔を見てから調理して、アツアツを出してくれるのよ。パンも!南国の木々や花を眺め、心地よい風に吹かれ乍らのブレックファストは、まさに至福のとき。

私の次の時間が始まりました。

2008年8月27日水曜日

わたしはベジタリアン??

3度の食事で、何を食べるにしろ、肉か魚か、でなければ卵かハムかソーセージ。何にもない時は鰹ぶし。いわゆるおかか。そういった物がなければ食が進まなかった私が、バリに来て3ヶ月、大幅に変わってしまった理由の一つは、なかなかインドネシアのタンパク質類に馴染めないのもあるが、一つ大きな理由は、経済的理由。

何も恥ずかしい事ではない。ちまちま年金生活者(と,ひとくくりに云っておくが)は、毎日の出費を考え考え暮らさなければならない。勿論、羨ましいほどの例外の方もいらっしゃる。

空輸された野菜は高いが、地元の野菜はホントに安い。申し訳ないくらい。それに太陽を一杯浴びて育ってるから旨い。美味しいのよ。それで、バリの野菜たちをあれこれ工夫して料理してるうちにだんだんはまって来て、いつの間にか、肉や魚が無くても美味しく、満足するようになったってわけなんだわ。

目下、一番気に入ってるのが,なす料理。日本風に、味噌あじ。レシピなんて洒落たもの知らんよ。気任せ。 仲良くなったインドネシアの若い女の子にも、大好評だ。ショウガの細きりを最初いためるのがコツかな。 このショウガもまた超安。愛知県とか高知県のものがいいとされていて、いつもソレを買っていたが、買い乍ら高いなあと思っていた事も事実。300円くらいしてたのが、こちらのしょうがは4~50円。余談になったけど、いえ、余談ではないわよね。こちらの野菜の値段はこんなものと云ってるのです。意外や意外、美味し~いのがじゃがいも。

と、ほんの少し紹介したけど、バリの野菜の日本風食べ方や、自分に合うインドネシア風の味を面白がってるうちに、あれ?、私ってベジタリアンだったっけ?と独り言云ってしまった。

2008年8月25日月曜日

我が家のKucing君

水(こちらでは、貧富の差なく水を買います)を届けてくれた小父さんが、チャーリーを見て、よほど驚いた らしく、「Apa ini?」アパイニ?と聞くので、「Kucing」クチン(ねこ)と答えると更に驚き、今度は片言英語でフラムジャパン?と聞きました。黒地にグレイの縞模様のネコは初めて見たのでしょう。

私だって初めてトムにあった時(チャーリーの父親)えっ何これと聞いたもの。20年前の事。まだアメリカンショートヘアが珍しい頃でした。今迄飼っていたネコの中で一番お気に入りのトムの最初の子で、18年も一緒に暮らして来たチャーリーをバリに連れてこない訳にはいきません。

そのチャーリーの事、それが目下一番の心配事。こちらの物をあまり食べてくれなくて、だんだん痩せて 来たのです。検疫のとき成田で量った体重より1.5キロも減ってしまって、背中の骨ゴリゴリなんですよねえ。

それは勿論、色々と工夫しているのよ。まあ、本人も死なない程度には食べるのでしょう。ほんのちょっぴりずつは食べます。それにことの外元気。ご機嫌もよろしいし。そのうち慣れて諦めてバリのネコになってくれるかしらね。

そう云う私もこちらに来て1ヶ月頃、2,5キロも痩せて何だろうって思いましたもの。今は元に戻ってます。うちのクチン君も長生きしてもらって、ギネスブックに載せようって思ってるのよ。はっはっは。

2008年8月16日土曜日

8月15日と8月17日

戦争終結の記念日と、独立記念日とでは、同じ記念日でも天と地ほどの違いだ。

今日15日、日本では、毎年正午12時、1分間の黙祷を慰霊者に向かって捧げる。戦争で父を亡くした私は、今日はテレビを通じて参加した。今迄は、必ず一緒に黙祷をした訳でもなかった。心のどこかに、行事化された空しさを感じたりもしたからだ。

評論家やマスコミはいろいろ言うけれど、「思想やイデオロギーがどうであれ、自身の意思に関係なく戦争の犠牲になった人たちの霊に、二度とこのような戦争はしないと誓い、参拝するのは、私の人間としての気持だ」と、堂々と言い放ち、元旦と8.15には必ず参詣する吾人は、いっそ、気持いい。

バリに来て、初めて知ったインドネシア人が心から喜んで、その日を待ち望んでいる記念日、インドネシア独立記念日のお祭りだ。10日くらい前からインドネシア国旗を家の門に掲げ、或いは軒下に吊るし、うきうきした空気を感じるのだ。
8月17日。日曜と重なるので、18日が学校も役所もその他多くが休みとなる。自国の独立を我が事と等しく喜ぶインドネシア人の純真さに心から喜び、植民地の如何なるものかを知らない私は歴史の重みをずっしりと感じている。

2008年7月31日木曜日

現地慣れして来る自分がこわい。


バリに来て2ヶ月半。あっという間に沢山の友達が出来た。毎日のように何かと誘ってくれる。嬉しいのは無論だが、半分、うう~ん、もうお手上げ状態。

こちらに来て、インドネシアの光と陰、その陰の部分に驚き怒りもしたが、だんだんこの地に慣れ、居心地よく感じて来ている自分がこわい。日本のニュースを聞く度に。

お前一人が考えたって!と、もう一人の自分が囁く。

それにやっぱりバリは世界に冠たる観光地。あちこちに点在しているビラは素晴らしい。ホテル内のビラもすごい!! 憧れるほど快適な住環境を広げている。

ホントにホントに、ほわあ~っと暮らすには天国ですねえ。

新しく出来た友達ときちんと話したいので、しょうがない!英語とインドネシア語を習い始めたが、今度は自分の記憶力減退に驚きがっくりしている。




2008年7月23日水曜日

バリの風に吹かれて

インドネシアという底知れぬ毒気?に当てられて、4~5日ぐったりとしてしまった。

まあ、私だって日本の文化果つる地(半世紀前、テレビが普及する迄は)と揶揄された日向で育った庶民代表のたくましい女。このまま悄気てしまってたまるか!

少し、自分のメンテナンスが必要だな。今朝はゆったりと食事をしよう。仲良しになったバリの野菜たちを食卓に並べて。

バリ島で穫れた小麦で焼いた食パンにバターを(これはオーストリア)たっぷりつけ、目玉焼きの付け合わせはインゲンを茹でたやつ。それに、ドンファンでも出していた自慢(フフ、、)のピクルス。おまけに昨夜こしらえた茄子の味噌いためまで。コーヒーを自分流にいれて、ゆっくり、のんびり、ゆったりと。

何よりのごちそうは鳥たちのさえずり、バリの風。そう、この風こそ、求めていたもの。かけがえのないもの。元気出たぞ~。  風よありがとう。バリもありがとう。

2008年7月21日月曜日

バリの裏通り

華やかで、素晴らしく心地よい風土風景に、余計な事を考えてしまい、消化不良を起こしそうな問題を、「ついでに」書いておきたい。

余計な事を考えなければ、バリの暮らしは快適そのものだ。だけど、一歩裏通りに入ると、溝と云う溝はゴミに埋まり、水たまりからは悪臭が鼻を突く。 道路はガタガタごろごろ、歩くにも難儀だ。

世界に冠たる観光地。はい、確かにそう。風土風景と表通りは。けれど表と裏のギャップが大きすぎる。 もう、これは、一個人が消化不良を起こし心配している問題ではない!インドネシア政府は先ずこの問題に手をつけてほしい。悪意無くゴミを捨てる住人の意識改革、教育を早急にすべきだ。

だから私は為政者に心から訴えたいのだ。

どうやら私はバリ島を愛し始めたらしい。

2008年7月19日土曜日

底知れぬインドネシア

一言でインドネシアを後進国と括るわけにはいかない水面下のマグマみたいなものを感じるのは私だけだろうか。何か、噴出しそうなエネルギーを感じたりもするのだ。

まだ、インドネシアに来て幾日も経っていない者が勝手にこの国のことをあれこれ云うのはおこがましいし、失礼だとは思うが、訳の分からない所がたくさんあるのを実感する。

スモッグや騒音を無視して、ジャカルタの街には建築中のビルがいくつもあったし、バリは、今、あちこちに建築中や作業中の姿が見られ、本当に建築ラッシュと言っても過言じゃない。気の小さいおせっかいbabaは本気で心配している。バリの風土と海は神に与えられたとしか云えない宝だからだ。

今日も私はバリの風と光りに包まれて、(よけいな事を考えなければ)有り難く幸せな一日を過ごしたのだ。感謝、感謝。

2008年7月17日木曜日

ジャカルタの街

前の晩アートフェスティバルのあった会場は、ジャカルタの街では最も大きなショッピングモールで、東京の秋葉原や上野を連想する。ジャカルタのアキバと、一部の人は云ってるらしいが、確かに「言い得て妙」である。庶民の流行の発信源かな。地下2階には、ヨーロッパから進出して来たスーパーマーケットがあり(バリにもある)活気を呈している。

1、2階はどこのデパートでもそうであるようにファッションやケーキ売り場。その他でフロアーいっぱいに広がってるのは電化製品。日本の製品が半分を占めている。携帯電話売り場も又フロアーいっぱい。やっぱりね。でも、私もこちらに来て買ったNOKIAという会社のばかり。

4階5階のフロアーは殆ど閉まっている。でも、なぜか工事をしている。あーそうか。ジャカルタにもう一つ巨大ショッピングモールが出来たのだ。対抗しなければならないものねえ。と、私は勝手に思ったが。

モールの中の食堂でお昼を食べた。味はまあまあ。一流店で高いお金を払った訳じゃないし、いいのよ。

目の下に映った大きな水たまり(どう、ひいき目に見ても河とは思えな い)というか、どぶ川に息をのんだ。全く動いてない。澱んでいる。表面いっぱいに大小様々のごみが浮かん でいる。

あ~あ。スモッグといい、澱んだ幅広い川といい、何と云う事だ!!

日本から沢山の技術援助や資金援助をしているのは聞いているから、次は江戸川をきれいにしたような方法で、この国の、せめてどぶ川を何とか するように日本の政治家さま、頼みますよ。と、云ったら笑われるかなあ。

インドネシア会館は、ちょうど日本の大手町界隈を思わせる所に瀟洒なたたずまいを見せていた。

ジャカルタの空の下に

13日、ジャカルタ市内の巨大なショッピングモールの中にある会場でアートフェスティバル フォーピース art festival for peace と称して一大イベントが開催された。私のジャカルタ行きが意外に早く決まった背景には、このイベントに参加できる機会に恵まれたからである。

これは、イスラム教団体と仏教団体との共催!!である。人類皆平和を希求する。人種の差、宗教の差、どうでもいいじゃないの。人間であれば、誰でも平和で幸せな生活をしたい。こんな単純明快な答えは無いのに、何故に、何ゆえに争うの?本当に憤怒を通り越して切なくなってしまう。

インドネシアは殆どイスラム教だという。国教ではないが、歴史は長い。そのイスラム教と仏教とが共催し文化祭を開催する、遂にこういう時代が来たか!と感激ひとしおであった。

今年は日本とインドネシア国交が開かれて50年と云う記念すべき年も あってユドヨノ大統領の代理、行政改革大臣のスピーチに幕があき、インドネシアの伝統芸術が次々と上演披露され、会場は熱気に包まれた。出演者も観衆も一体となって平和を希求する感情に溢れていた。

4000人の入場者の内、イスラム教の人たち1500人くらいという。最後に、元大統領のワヒド氏の挨拶があった。だいぶお年を召されていて車いすごと壇上に上がっての演説?だが、しっかりとした口調だった。  (続く)

2008年7月16日水曜日

ジャカルタの空

インドネシア国内線エアアジアでバリ空港を発ったのがバリ時間9時45分。 1時間半かかり、着いたのが11時15分。 バリとの時差が1時間あるから、ジャカルタ時間で云うと10時15分。

あれ?ジャカルタは今日は曇りかーと呟き空を見上げると、聞いていた人曰く、いや晴天ですよ。ジャカルタはいつもこんなですよ。と、当たり前のように云うじゃないの。ええ~っ。いつもこんな?

空港からだんだん中心街近くなるにつれ、空の曇りは濃くなり、霧がかかっている状態なのだ。
多分、、、半世紀前はこうでなかったのかも知れない、、、商業都市として繁栄して来たジャカルタはその引き換えとしてスモッグの街と化したのだ。

バリに来たばかりの頃、交通量のすごさに驚いた私に、ジャカルタはこんなものじゃありませんよと教えてくれた旅行社の話を思い出し乍ら先進国が後進国にもたらした繁栄と犯罪に、一言で言い尽くせない気持になってしまった。 (続く)

2008年7月6日日曜日

続 バリの野菜たち


産地がどこであれ、美味しく食べるには料理の仕方が大事。「美味しい」と云われる、云わせるコツ?の一番のポイント。”食べる人の好みに合わせる事” これですよね。

料理学校に行って沢山の素晴らしい料理が出来るある人の旦那様が
「うちの女房、どうも料理が下手でねえ」
これって、旦那様の口に合わなくても料理学校の優等生らしくレシピのとうり作ってるからじゃないの?

要は、自分が食べる物は自分が美味しければいいのです。旦那様が召し上がる物は旦那様が喜んで下さればいいのですよ。

これ、料理の哲学 よね。

まあ、こういうわけで、ようやくバリの野菜たちと仲良くなれました。

2008年7月5日土曜日

バリの野菜たち

バリ島で82歳でなくなられた料理研究家、大村しげさんの最後のエッセイ、「京都、バリ島、車いす往来」のなかに、バリの野菜は本当に美味しい。魚も美味しい、とある。食いしん坊の私はそれも楽しみにやって来た。

バリに来た日本人なら誰でも知ってる、みんな行ってる大きいスーパーで、なじみ深い野菜を買って来て食べてみるが、どうも美味しいと思えない。
う~ん、しげさん、美味しいって云ってたのになあ。それにしげさんは京都の仕出し料理屋の娘さんで、お父さんが、美味しい物が分かる大人になるよう、特に可愛がって育てた人との事。おかしいなあ。

やっと、気がつきました。私は自分が知ってる日本の物、(しかもそれは空輸されたもの)しか買って来てなかったのだった。こりゃいかん。バリ島で穫れた物を食べなくちゃ。

それで、お化けのように大きな茄子を始め、店員にこれバリ島の物?と聞いて、3~4種買って来ては食べてみた。

しげさん、美味しいですよ!! 嘘ではなかった。見かけはパットしなく、おまけに触ったり切ったりすると固~い。ところが、食べると柔らか~く、おまけに甘みがある。甘みは旨味だと、日本のお茶メーカーの宣伝文句ではないけど、それってホントだわと感心したが、それはそうでしょう!!
一日中太陽をいっぱいに受けて育った野菜たちだもの。固くなるに違いないじゃないの。甘みをいっぱい溜め込んでるに違いないじゃない の。まずかろう筈が無いでしょ。