6月19日は父の祥月命日なので、父の好きだったおはぎを
拵えたいが、、など思ったがバリ島に居ると思うようにはいかない。
あ~そうだ。こちらに来る時お土産に持たせてもらった虎やの
羊羹と四谷坂本やのカステラがあるじゃないの!!
私が好きだと知ってて、もう何回も頂いている大事な甘いもの。
「真心がこもってるよ~」と父に話しながら供えた。
羊羹は割と涼しい所に置くとそのままで、カステラは冷凍しておくと
半年近くは持つ。凍らないからそのまま切って食べられる。
今日は疲れたなあ なんか美味しい甘い物が欲しいなあ
と云う時、あーそうだと思い少しずつ頂くのだ。
ついでに、じゃ無いのよ決して! 真瀬さん田島さん西山さん恵ちゃん
有り難うございます! 声に出して、私は笑いながら父と母と3人で
いただいた。
来月はまた母の祥月命日を迎える事になるのだが、私も来月でセブン
セブンの2並びを卒業なんだわ~っ。
2011年6月15日水曜日
人は皆、ロマンチスト
遅い朝だが目覚めたらお祈りの声がする。
今度借りた部屋の人々が盛装をして僧侶と思しき方を中心に
氏神様にお祈りをしている。
そのあとで近くのお寺にお参りに行かれるらしい。
バイクのマディも盛装して「ブラに行くよ~」と
私に声をかけてバイクを飛ばす。
私に声をかけてバイクを飛ばす。
後でこのうちのご主人に聞いたら、
今日はフルムーン、満月だから。って。
たぶん、いわれも歴史もあるのだろうが、
私はロマンチックな気分に満たされた。
この家のお嬢さん。 彼女はバリダンスの名手でもあります。
中空に浮かぶバリの満月
2011年6月14日火曜日
ようやっと
日本へ一時帰国してまたバリ島に戻り、バリ在住4年目に入った。
「僕たちバリ島に住もうと思ってるけど、お母さんも一緒にどうですか?」
と言い出しっぺの婿殿と娘が、ようやく4年目にしてやってきた。
その間、日本とバリとを何度か行ったり来たりしてたけど、落ち着くまでは
無かったのが、ようやっと。と云う次第。
お互いによく云えば自立。悪く云えば我がまま。あとの方が正解なんだ
けど、ようやっと彼等が来たからって、一緒に住んで暮らす訳ではない。
私もその方が有り難い。まだまだ元気(の、つもりだけど)だし。
ちょうど彼等から5分の場所にいい部屋が見つかり、今そこに住んでいる。
バリに来て一番長く居たのがアリッツで、1年9ヶ月お世話になった。
福島さんをはじめ、スタッフも実に気持のいいホテルだったし、何より
チャーリーのお墓まである。仮に、今直ぐ日本へ帰る事になったとしても
一生忘れられないなあ。ジ・アリッツは。
ようやっと、一段落した途端、チビのことを思い出した。無性に会いたい。
いや、実は今度またバリに来た日から、チビの顔が頭から離れない。
帰国前、チビの事を人に頼んでいたが、1週間前にチビに言い聞かせた。
「わたし、もうすぐ日本に帰るけど、いい子にしててね。」と。
帰国3日前にチビと同じくらいのネコと庭で一緒に遊んでるので、嬉しく
なって、「よかったね~お友達が出来たのーー」と、すごく喜んだ。
その夜から、、、。チビを見てない。帰国する日も居なかった。
再度こちらに来てから、大きい声で呼んでみた。何度も何度も。そこら
中を探してもみた。以前は何処にいてもすっ飛んできたのに、、、。
ようやっと、それこそようやっと、こう思ってる。思ううようになった。
あれだけ利口で人懐っこく、それに、もう、半分は大人になったし、友達も
いるし、きっと何処かで暮らしてるに違いない。と。
チビ、幸せに。ね。
「僕たちバリ島に住もうと思ってるけど、お母さんも一緒にどうですか?」
と言い出しっぺの婿殿と娘が、ようやく4年目にしてやってきた。
その間、日本とバリとを何度か行ったり来たりしてたけど、落ち着くまでは
無かったのが、ようやっと。と云う次第。
お互いによく云えば自立。悪く云えば我がまま。あとの方が正解なんだ
けど、ようやっと彼等が来たからって、一緒に住んで暮らす訳ではない。
私もその方が有り難い。まだまだ元気(の、つもりだけど)だし。
ちょうど彼等から5分の場所にいい部屋が見つかり、今そこに住んでいる。
バリに来て一番長く居たのがアリッツで、1年9ヶ月お世話になった。
福島さんをはじめ、スタッフも実に気持のいいホテルだったし、何より
チャーリーのお墓まである。仮に、今直ぐ日本へ帰る事になったとしても
一生忘れられないなあ。ジ・アリッツは。
ようやっと、一段落した途端、チビのことを思い出した。無性に会いたい。
いや、実は今度またバリに来た日から、チビの顔が頭から離れない。
帰国前、チビの事を人に頼んでいたが、1週間前にチビに言い聞かせた。
「わたし、もうすぐ日本に帰るけど、いい子にしててね。」と。
帰国3日前にチビと同じくらいのネコと庭で一緒に遊んでるので、嬉しく
なって、「よかったね~お友達が出来たのーー」と、すごく喜んだ。
その夜から、、、。チビを見てない。帰国する日も居なかった。
再度こちらに来てから、大きい声で呼んでみた。何度も何度も。そこら
中を探してもみた。以前は何処にいてもすっ飛んできたのに、、、。
ようやっと、それこそようやっと、こう思ってる。思ううようになった。
あれだけ利口で人懐っこく、それに、もう、半分は大人になったし、友達も
いるし、きっと何処かで暮らしてるに違いない。と。
チビ、幸せに。ね。
2011年6月3日金曜日
みんな頑張っている
ネカ美術館は、ネカギャラリーも持っている。ギャラリーは小規模 だけど、結構見応えがある。勿論、と云うべきかアリースミットの 部屋もある。因にこちらは入館料は取ってない。入り口の斜向いに、小ぎれいな店があって入った。誰もいない。 置いてある商品に惹かれて見ていると、若い男の子が来た。 弁当らしき物を下げているので昼の弁当を買いに行ってたらしい。
「ゴメンナサイ」と微笑みながら、片言の日本語で云う。 思わず私は「あっ」と叫びそうになったが、「いいのが沢山あるね」 とニコニコして云った。
彼の足は、もう、殆ど車いすが必要な位なのだ。なのに、彼はそれを
気にする様子もなく、弁当も傍らに置いて私の相手をしようとする。
何も買わずに出るのも、、など思い、小物を手に取ってディスコン OK?と云うと、ここは僕たち身体障害者が制作した物を売っていて 利益は障害者の為に使うのですと、これもニコニコしながら云うではないの。
「これは僕が作った物です」と指差した製品は木彫りの馬がほとんど。
さっきまで制作してたらしい場所には木屑がちらかっている。
え?ホントなの?と云いながら手に取って触ると、欲しくて欲しくて たまらなくなった。本当によく出来ている 。「君はどれが一番好き?」と聞くと、「これ」と云ったのが、何と天馬。
さっきまで制作してたらしい場所には木屑がちらかっている。
え?ホントなの?と云いながら手に取って触ると、欲しくて欲しくて たまらなくなった。本当によく出来ている 。「君はどれが一番好き?」と聞くと、「これ」と云ったのが、何と天馬。
「う~ん、ブラパ?」と聞くと、手が届かない値段でもなく、そうよ、 2週間くらいビンタン止めとけばいいのよ。ねえ。と、自問自答しておまけに彼等の為に雀の涙くらいには役に立ったら嬉しいし。と買って帰ったのであります。日本も頑張ってる。バリでもこの男の子みたいに頑張っている。みんな
みんな頑張ってるわ~と嬉しくなって希望でいっぱいになったのでした。
2011年6月1日水曜日
これは自分の問題!!
今日から6月。日本の大事件から2か月半が過ぎた。現地の人達が
必死に立ち上がろうとしていられる姿を見ては涙を流し、子供達の健気
な言葉を聞いては泣き、今もって胸の痛みは収まらず、果てはバリ島で
ぬくぬく(でもないけれど)暮らしている自分を許せなかったり、、。
と、ブログの更新をする気持にもならなかった自分が腹立たしく情け
なかったのだけど、「これは違う! これは自分の問題だ!」と気付
いた途端、私こそ立ち直らなければ!! 日本同胞に申し訳ない!
そんな思いでいっぱいになった。
ようやく、ペンを取る気になり、人それぞれが持つ「使命」、、という
ほど大げさではないが、、、私なりの今後の生き方なり、感じたままを
ブログで伝えようと云う気になった。
今後も80歳近くなったbabaの、リタイアメントビザで一人で暮
らす様子やバリ人との交流などを、ささやかながら伝えられたらと思う。
「リタイアメントビザ バリ島一人暮らし Balibaba日記」 かな?
2011年3月17日木曜日
嗚呼 我が祖国は、、、、、
何と云う事でしょう、、、。 驚きと悲しみ。哀しみ。とてもお見舞い
申し上げますなど云えないほど、祖国への思いがこみ上げて来ます。
大津波から5日経つのにまだまだ収束のめどがつかず、次から次に大きな
余震が来て、さぞやさぞや、被災者の方々はおびえていられる事でしょう。
それよりも、亡くなられた方、未だ行方不明の家族、肉親を必死に探し
求める方々の苦慮は察するに余りあるものがあります。
その上に。その上に、ですよ。地震のためとは言え、原発の大問題!!
もう,言葉も出ません。胸が痛い。
悲嘆にくれてばかりではいけない! 私なりに過去をたどって思い出して
います。
1945年終戦直前。私は子供だったし、田舎育ちのお陰で空襲の怖さを
知らないのですが、戦後見た、東京の焼け野原の写真は胸に焼き付いて
いる。
それを思い出したのです。あの焼け野原から、立派に立ち直れたじゃ
ないの! 10年か前の神戸の震災からもも見事に復旧したじゃないの。
誰に向かって云ってるのではなく、自分に言い聞かせているのです。
そうでないと,私もこの衝撃から立ち直れないのです。
2011年3月7日月曜日
ウブドのニュピ ニュークニンのオゴオゴ
今年2011年のニュピは3月5日で、
翌6日がサカ歴の新年となるそうです。
一切の外出と電気や火を使う事を禁じ、
神々がバリ島を清めてくれるのを待ちます。
去年はクタで迎えましたが、ウブドの新年は
クタで感じたような朝の清浄感をあまり感じず、
いつもと同じに感じたのは、やはりウブドの方が日頃
の空気がいいのかな?と、改めて思ったことでした。
山岳地帯ですものね。
私が住んでいるニュークニンの人達も、
1か月前からオゴオゴの制作を始め、部落ごとに出来を競い合い、
花火をばんばん打ち上げてオゴオゴを神輿のように担ぎながら
部落中を練り歩きます。
まあ、担ぐ人も見る人も、ホントに楽しそうです。
根っからお祭り好きなんだわあと思います。
青鬼は 子供達が作ったもので、子供達が担いでいます。
子供達も根っから祭りが好きのようです。
2011年3月2日水曜日
3月さらさら
母がよく云ってた。2月逃げ月、3月さらさらだって。
2月は逃げるように早く去ってしまい、3月はまた、
さらさら~っと過ぎて行くんだって。
私にとって今年の2月はあっという間だったようでもあり、
今までになく長かったようでもあった。 とにかく、
自分の時間が持てなかった事が長く感じたのかもしれない。
ともあれ、今日から3月。母の云ってた様にさらさら~っと
行ってしまうのかな?
2月の24日は、生きていたとしたら母の100歳の誕生日
だった。日本から来て滞在してくれた八重子さんが母と同じ
名まえ!!二人で母の好きだったご馳走を拵え、赤飯も炊いて
お祝いした。
もし、母が生きていたとしたら、私はバリ島に来ただろうか?
多分、住んでなかったかもしれない。それとも母も一緒に
来てたかも!
親と云うのは、年が経つほどに懐かしさを増すものだと
しみじみ思う。
2011年2月17日木曜日
ネカ美術館
1982年に文化大臣によりインドネシア国の公認美術館となった
ネカ美術館は、ワヤン.ステジャ.ネカ氏が交遊関係にあった
外国人画家ルドルフ.ボネやアリー.スミット等の応援を得て
立ち上げたもので、収蔵された300点以上の絵画は、
作品の巾の広さとレベルの高さからバリ一番と云われている。
「夢に見る田舎の村」 「休息」
アリースミットパビリオンが設けられていて、展示数も一番多いし
ネカ氏と一番親しいのだなあと思わせる。お二人ともまだお元気で
アリーさんは94歳だと云う。
私もアリースミットの絵は好きでついついたくさん紹介してしまった。
バリ島画家の絵も勿論数多く展示されている。
「バリ人ダンサーの肖像」
下の絵は ルドルフ.ボネの作品で、
バリの伝説の話アルジュナの結婚
をモチーフにしたものだそうである。
2011年2月2日水曜日
「きさらぎ」 如月
新年だ、2011年だと言い終わらぬうちに、もう2月。
如月です。
春はもうすぐそこまで来てるといいながら、寒くて寒くてたまらず、
「着る」「更に」「着る」から、着更着と云う。のが一番肯定的な
解釈だと云う人もいるが、私はまったく自分勝手な解釈をしている。
私は冬の夜空が大好きだ。一年を通して冬の夜空が一番澄み切ってる
ように思うからだ。ひとを思い初めた頃、二人で見上げた冬の夜空が
あまりに美しかった。清浄だった。その記憶からかもしれない。
その記憶から、月の如く、、、と自分なりの解釈が気に入っている。
勝手な解釈はさておいて、私の生まれ故郷宮崎は、昨年から大変な
ことになっている。
口蹄疫で、吃驚するほど沢山の牛が犠牲になり、やっと収まりかけた
と思ったら、今度は鳥インフルエンザでまたまた沢山の鶏が犠牲に
なって、まだ収束のメドもついてない所へ、今度は火山噴火!!
バリでのんびりしてる気持にはどうしてもなれない。と云って、
どうする事も出来ない。只ただ、神に、自然に,宇宙に祈るしかない。
つい先日、バリ日本人会のウブドのメンバーによるムラビ山噴火
被害者の支援チャリティライブと云うのがあり出席したが、一人一人
の本当にわずかの支援金でも、世界中の人が参加すれば大いに
意義ある金額になるかもしれない、等と思ったものだが、日本でも
きっとそのような義援金集めをしているのかもしれない、と、
すがるような希望で祈っているのです。
2011年1月21日金曜日
まだまだ雨期が明けません
早朝からの大降りが昼になっても止まない。
チビの奴も今日は外で遊べなく煩くてしょうがない。
こんな日は箸休めの副菜でも造り置きしましょうか。
冷蔵庫を見る。
きんぴらごぼうの材料。大根なますの材料。ゴーヤもある。
全部日本味にしよう。ゴーヤは味噌転がしにした。
これに肉か魚の主菜に汁物、お新香があれば大満足。
安上がりに出来ている。
昨夜のニュースで今日の相撲取り組みを見て、ふふ、、。
若しこんなだったら嬉しいな。万歳だよ~と、期待の取り組みは、
バルトとコトショウギク。ハクホウとキセノサト。
コトショウギクがバルトに勝つ。キセノサトがハクホウに勝つ。
これを願って、賭けて、見てたのよ。
何と何と、こうなれば面白いんだがなあ、と思った通りになったじゃ
ないの!! 面白かったなあ。一人で万歳叫んじゃった。
いや、別に外国人を敵と見てる訳じゃないのよ。
ただ、相撲は日本の国技と云うのに、たった一人の横綱も、
4人いる大関も3人が外国人。情けないと思うわけ。
ま、野球のイチローも松井も本場アメリカで活躍してるし、
いいじゃないの。と思いながら
やはり相撲は日本人にもっと頑張ってほしいのよ。
雨も上がり、すっかりご機嫌になった私は一人で食べる夕食も
ルンルン。ほんと、安上がりに出来てる人よね。
2011年1月14日金曜日
人とのつながり 動物とのつながり

アリッツで知りあい、酒飲み友達になったWさん方がまたバリに
いらっしゃった。3週間の滞在の中にウブドにも何日か泊まられて、
旧交を温めた。な~に、嬉しくってまた飲んだのだけど。
勿論,と云っては厚かましいがお土産に日本酒。それに本。
やはり、ただ、飲むだけならこんなにいい友達にはなれない。
お互いに好きな本や読む本の話などした事も無いのだが二人とも
暗黙のうちに「本を読む人間」として了解していた。
上の写真の本は彼女にもらった本だけど、若し彼女を知らなかったら
絶対に手にすることはなかっただろう。決して大層な本ではないし、
世の中には星の数ほど本はあるし、人間、何を読まねばならないなど
の制約などありはしない。私はただ読みたい物を読む。作者には
申し訳ない多読乱読、時に斜め読み。なのにこの2冊結構面白かった。
ニャンコが迷い込んで1ヶ月になろうとしているが、貰い手の無いままうちのネコになりつつあるのだ。いや、彼は結構私を気に入って離れようとしない。1ヶ月前は男の子か女の子か分らなかったが、男の子である。庭中を駆け回るし、若しノミなどが付いたりしたらそれこそいやなので、毎日シャンプーしてる。ちゃんとやらせるし、排便場所も1回で覚えるし、「チビ」~ッと呼べば飛んで来るし。
娘に写真を送ったら、これがまたべた褒め。チビと云う名まえじゃもったいないよ。すっごく賢そう。もっと他の名前をつけたら?!
ソクラテスの「テス」とかアルキメデスの「アル」とかサルトルに因むとか、 などといってメールが来る。哲学者じゃあるまいし。
極めつけがチャーリーの生まれ変わりじゃないの? 痛い所をついてくる。まあしょうがないから、存在の「アル」とでも呼んでまた暫く置いておく事にするか!!
2011年1月10日月曜日
バリの美術館 プリルキサン
2011年1月4日火曜日
バリ島の美術館
ウブドにある美術館の中で、自他ともに認める三大美術館
と云われているのが、プリルキサン、ネカ、アルマ美術館
だそうである。
自宅から歩いても行けるアルマ美術館に行ってみた。
バリ有数の絵画収集家アグンライ氏率いるアルマ財団が築き、
1996年に開設された。
館内にはインドネシアの画家と国外様々の国の作品も
数多く陳列され、圧巻だ。
約400ヘクタールもある広大な敷地内には美術館だけでなく
伝統芸能が観賞出来るオープンステージもあり、
一日のんびり過ごすのにも最適である。
入館料は4万ルピアで、コーヒー券が付く。
ウオルターシュピース 1895~1942 朝の光
アリースミット 1916~ 休息
2011年1月2日日曜日
ウブド村の大晦日
朝、おめでとうございます と挨拶され、え?明日でしょ?
と云うと、バリは今日がおめでとうです。と云う。
まあ、1日違いで、どっちでもいいや。明日上げようと思ってた
お年玉を急いで包んで上げる。
暗くなるや否や、太鼓の響きガムラン演奏と、どーんパチパチ
の音に混じって、若い子の笑い声が聞こえて来た。
家の直ぐ前の集会所からだ。
家の直ぐ前の集会所からだ。
どーんパチパチは花火と爆竹。勿論(と云っては失礼だろうが)
隅田川の花火と云うわけにはいかない。
それでも若者達の力強い笑い声と話し声,女の子達の嬌声を
聞いてるのは、何故だか嬉しくさえなる。
それが何とまあ、夜中どころか朝の2時まで花火、3時まで
太鼓の響きに笑い声。眠るどころではない。
なのに、何とまあ。なのは、可愛い孫たちが遊んでるような
気持になっているのだった。ふ、、明日になると又一つ年の数
が増えるんだものねえ。
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