2009年11月6日金曜日

MAJAPAHIT マジャパヒト王国の発掘


       
 バリに来て出来た友人が、近々マジャパヒト王国の発掘をする話になって いるけど、一緒に行きませんかとなった。 その友人、大学の専門は考古学で、定年前は日本のある博物館の館長をして 居たと云う事もあって、そんな話が舞い込んで来たらしい。

暑い中、(殆ど熱いよ)「この年寄りが一体何をすればいいのよ」 「みんなが作業してるのを酒でも飲み乍ら見てたらいいでしょ?!」 「ちょっと~、うそくさ~い」
とは云ったものの、俄然バリの王宮に興味を持った。バリにはいくつか の王宮が現存していて、写真はその一つ、デンパサールのポモチュタン宮殿を見学した折りに、一緒に写っていただいたのが、こちらの王様。 実に大らか、気さくな方で、私達が日本人だと思って、坂本九ちゃんの”上を向いて歩こう”を歌って下さり、写真を撮るとき、こうやって写りましょうと、両手を合せた形をして見せて下さった。

イダ チョコルダ ポモチュタン11世と名乗っていらっしゃる。 大抵の王族は、宮殿見学者などには姿を見せられないのが普通なのだ。 私はこちらの大らかで飾らないポモチュタン11世をすぐ大好きになった。

王族と云っても現在はほとんど末裔の方達で、王族の流れを汲むバリ人はゴマンといらっしゃるが、はっきりと何世と名乗ってらっしゃる方はあまり居ない。 13世紀末から16世紀前半にかけてインドネシア屈指の大国として繁栄したマジャパヒト王朝は、イスラム勢力の台頭によって崩壊した。 この時、大勢の貴族、僧侶、芸術家、職人たちがバリに亡命した。 彼らはクルンクルン近くにゲルゲル王朝を作り、文化芸術の中心となって行く。 17世紀迄繁栄したとされている。

現在、バリ州は8つの県に別れていて、その祖先を辿ると、大方が小王国の王 だったと云う事だ。 話を戻して、2008年に日本とインドネシア国交50周年を迎えたのを機に、両国の関係が古くから歴史、文化を共有して来た事を見直し、インドネシア人が誇りにしている最後のヒンドゥ教の聖地であるマジャパヒト王朝を日本の協力で発掘すると云うのも意義ある事だと「日本マジャパヒト協会」は宣揚している。                                          
                                                                                        
***************************************************

0 件のコメント: