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2010年6月29日火曜日

わたしは変わらぬ気持を持てるだろうか??

インドネシアを愛し、インドネシアに尽くされた日本人の原康雄さんと、
奥様の瑞枝さんが殺害されたニュースは、私にとっても物凄い衝撃だった。                          
                 
原さん夫妻はインドネイアで25年もの間、幅広い社会貢献活動をなさって
来た方だと云う。新聞を詳しく読めば読むほど、その死が惜しまれてならない。                            
                             
日本人で、原夫妻以上に社会的活動をし、成果を残した方を私は知らない。
今となっては、心からお悔やみを申し上げると共に、ご冥福を祈るしか無い。
                
他人の私でも、悲しさと名状しがたい混乱が収まりきれない事件から5日後に、
ご夫妻の3人のお子様が連名でインドネシア日本大使館を通じ、遺族としての
心境と、激励してくれた日イ両国の人々への感謝の気持を込めたメッセージを
伝えられた。と、ジャカルタ新聞が報じた。      
                                           
父母がインドネイアを愛したように、私達子供もインドネシアに対する気持は
変わりません。突然の不幸な事件でしたが、今後も父母がそうであったように
3人ともこの国とこの国の人々を愛し続けます。と、あった。
                                         
お三方とも多分40代前後の方であろうと推測するが、この親ありて
この子あり。おろおろと取り乱し涙する事しかできない私は、また、この
お子様達の立派さに感激の涙を落としてしまったのだった。
                               
                              
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2010年5月28日金曜日

インドネシアを再認識

Women Peace Conferenceの興奮と余韻が残っている翌日、
バリで知り合っていた好青年のご両親が挨拶に来て下さって、
良かったらどこかへ案内しましょうと云って下さり、友と 二人で
喜んでお願いした。

何しろ、ともえさんがいないとインドネシア語が理解出来ない。
ま、ともえさんには何時も何もかも頼りっぱなしだけど、、、。
どんな所が?ということで、ジャカルタの歴史がちょっとでも
分るような所を見たいと通訳してもらうと、古い町並みを車で
回りながら、一つ一つ説明して下さるのだけど、私が非常に
感動したのは、運転しながら話をされる、お父さんの横顔の
何と誇らしそうな表情だった。

そう云えば、お父さんはスカルノの独立記念の塔を中心にして
案内して下さり、あちこちに立っているモニュメントを、これ又
誇らしく説明して下さった。
「あれは、スカルノと農民の銅像です。独立を下で支えたのも
農民達、庶民達です!」云われるではないか。
まあ、言い方はわるいが、その辺の何処にでも居る風の小父さん
なのだ。
私は心底感動した。この国インドネシアへの愛国心と誇り。
そして、生き抜こうとする底力。
二年前、インドネシアの地を踏んだ時感じた、いい加減さの底に
隠されたマグマのような熱気はこれだったのだ!!
私はこの日からはっきりとインドネシアへの「気持」が変わった。
認識を新たにした。前日の講演会も含めてである。
祖国愛は有る!でも今住んでいるこの国にも、もっと感謝と愛の
気持を持たなければ。と。

今、私の中でも微かなマグマが起こりつつある。

                                                     

2010年5月20日木曜日

カルティニの女性解放の精神と運動が脈々と継承されていた

 
バリの一番の友ともえさんに誘われてジャカルタに行って来た。インドネシアの有名な指導者が見えると云うのも興味を惹いた。

会場には、Women Peace Conference の文字が大きく掲げられている。

インドネシア在住の各国の女性達の盛装も目を楽しませる。あ、よかったわ私も服装にちょっと気を使って来たし。

最初に竹の楽器演奏が始まる。一つの楽器で一つの音しか出来ない、「集合の音」だそうで、そのアンクロン演奏は、女性の集合も心を一つすれば、を予感させる。

イブ リンダの演説が始まった。インドネシアでは3人しか居ない女性の現職大臣とか。これからは女性の時代です。女性がが自覚を持って生きるべきだ、そこから良い生活、革命が始まるのですと訴えられた。

二人目の方の演説身振りは、これ又すごい。全部インドネシア語だから、詳細は分らないが、「皆さん、今日、家を出る時電気を消して来ましたか〜」と、第一声。

デウイ モティックと云うムスリムの方で、外交関係、文筆活動と幅広く女性啓蒙運動に情熱的に活躍しているイスラムの指導者だそうである。

エコの始めは、先ず、必要ないときは電気を切る事から、と、易しい話から始まりインドネシアの豊富な資源に触れ、でも、資源は枯渇する事、一人一人の、私達女性から、生きる事に意識を持とうと、エコについても力強く話された。

次に、去年の暮れに亡くなられた元大統領ワヒドさんのお嬢さんの話があり、この方も、全ての始まりは女性からと云う自覚を持ちましょう。と、優しい声で演説された。

次の方の話にも感激した。マルタティラールという、女性実業家。現在5000人の従業員が居ると云う。
「私は、普通の平凡な家庭に生まれ、仕事を始めたときは一人でした。その内二人になり三人になり、と、いつの間にか、こうなりました。」と。

この方も、インドネシアの資源を生かした薬草から化粧品やスパを始められ、いつの間にか何千人と云う社員を抱えながら、42歳で初めての子供を産み、次に46歳!で二人目の子供を産み、最初の時から、まわりで反対され、陰口を云われたそうだが、そのなかで、家庭と仕事を立派に両立させて来られた本当にあっぱれな方である。 さぞ、勇ましく男勝りの方だろうと彼女を知らない人は思うかも知れないが、声が優しくとても女らしい、可愛い方である事に驚いた。

そして最後に元大統領ワヒド夫人のお話があった。私は、国民的英雄の称号を受け、今も語り継がれている女性解放運動の革命的指導者カルティニの熱い血が、脈々と継承されている事に、胸を熱くしたのだった。

そうして、多いなる感銘の中で幕が下りたのだった。
                                           

2010年3月15日月曜日

楽観的な国民性とお祭り大好きバリ人

ロンドンの調査会社が世界26カ国を対象にした調査結果で、最も楽観的な国民はインドネシア人で、75パーセントを占めたとの記事を見たが、 その中でもバリ人は抜きん出ているのかも知れないと実感している。

こちらの要望を分っているのか分っていないのか、人のいい笑顔でにっこりされると「まっ、いいか」と云う気になるのは私だけでは無いらしい。

また、アメリカの観光雑誌の調査に依ると、アジアの観光地の人気番付けが載っていたが、 トップはバリ島ウブドとなっていた。 2位バンコク、 3位香港、 4位チェンマイ、 5番目が京都。 東京は9位と云う事だ。

番付けとなるカテゴリーは、 1景観と雰囲気の良さ、 2文化、 3宿泊施設、 4レストラン、  5ホスピタリティ、 6ショッピング の6項目となっている。
  
私は、うっそ~と異議を唱えたくなってしまった。長年ギスギスと働いて来た私は日本人の長所であり短所でもある(と、私は思ってる)勤勉と実直さみたいなちょっと困ったような癖、よく云えば、習慣を拭き払う事が出来ないのだ。それに日本製品の優秀性(ハードからソフトに至る迄)。食べ物は言わずもがな。それと「日本が何と云っても一番!」と、頑に思っているので、思わず 「うっそー」と出てしまった。

でも、景観と雰囲気の良さでは、やはりバリには負けてるよねえ、と、素直に認めよう。あの、何とも云えない曖昧な、何もかも包み込むような微笑み。何でも許してくれそうな寛容な雰囲気。こういう国民性が、最後の楽園などと謳われて、世界中から観光客を呼ぶのだろうなあ。

16日は、ニュピ。このお祭りこそ、世界中が一斉に真似をして欲しい行事だ。サカ歴の新年となっていて、日本の元日に当たるのだが、バリ島ヒンドゥ教徒のいわば精神修養の日でもある。4~5日前から、街や家庭は、お祭りの飾り物。

16日未明から17日午前6時迄、外出、移動、車の使用、火と電灯の使用、娯楽、飲食店の営業、空港の離着陸、船舶、海運、全て禁止となる。

そして、そして、翌日空を見てごらん!!空気を感じてごらん!!
神々がバリ島を清めた証拠とでも云おうか。清浄な神聖なこの島を満喫 できるのです。1週間に1度の頻度で、どこかしら、あっちの町こっちの村で祭りをやっているバリには時としてうんざりもするのだが、このニュピだけは最高に大好きなのだ。



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2010年3月6日土曜日

驚くべき多様性のインドネシアに揉まれ血圧アップ

      
ひとくくりに多様性と云ってしまえばそれで納得!というのもあるが、 勤勉な日本人としては、始めから「あっそうなの」といかない場合が多々ある。

私も日本では南国日向生まれ。いい加減の所はいっぱいある。いい加減もまたいい「塩かげん」みたいに、何とも云えないニュアンスもあるが、ここ、インドネシアは腹立たしい「いい加減さ」がいっぱいある。それが気になるのだ。

ユドヨノが2度目の大統領に就任したときの演説で、汚職撲滅を真っ先に上げたほど、官僚官職の人間の汚職はひどく、善良な島民はそれにほとんど関心がない。

尤も、インドネシアでも、すごい革命家もいる。伝説の革命家、スマトラ生まれのタン.マラカは20年もの間、亡命生活を送りながら、アジアの民族解放闘争や国際共産主義運動に一生を捧げ、国軍によって処刑されたが、その後、 政敵だったスカルノ大統領によって、国家英雄に認定された。
その他、カルティニのような女性革命的指導者もいるし、感激的な人物は沢山いる。

一方で、或る何代目かの大統領の「御曹司」が殺人罪で刑期15年の判決での獄中生活は、ホテルのスイートルーム並みだったと云う話だが、恩赦により出獄し、早速、ある党の党首に立候補したり、、、。さすがに誰も投票しなかったと新聞に載った時は胸がすっとしたものだ。

まあ、そんな事よりも身近になんだかんだと不条理が当たり前のここ南国での生活法を身につけないとやって行けないなあと、反省?しきりの入院生活の2日間だった。
                                         
                                           
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2010年1月23日土曜日

春の嵐

今朝の凄まじい雷には驚いたの何のって、、、。ピカ~っと光ったと同時にごろごろお~っだもんね。 年を取ってたって怖いもんは怖い。でも、 自分の真上に落ちる心配をしないのは不思議だわ。一瞬の計算をしてるのよね。バリはまだ雨期の真っ盛り。あとひと月くらいは雨。でも昼間はから~りと晴れる。

計算出来ない不思議のうち、政界の7不思議。目下、近年初めて与党と なった民主党。過去、野党だった頃、しつこく追求してた金の問題。自分達の問題となると手を緩める。それどころか、、、 ね。 もう私も知らんわ。

今日はまた、18年近く無実の罪で牢屋に入っていた人のやり直し裁判が始まった。 何と気の毒、不運だったとしか言い様が無いが、私は素朴に思うのよ。 どのマスコミ、どのニュースでも、裁判そのものを云々するけどどんな容疑で引っ張られたのか、それを報道しないから私は知りたい。

引っ張られるにはそれなりの理由が無ければ、いくら権力の警察だって安易に留置出来ないんじゃないの?? 日本に居れば沢山週刊誌が出てるからそれを報道してる記事があるかもしれないけど、目にした事も耳にした事も無いから知りたいのよね。 こんな事書くときっとひんしゅく買うかもね。探偵小説とちゃうのよって。

これは不思議でもなんでもないけど、バリは今建築ブーム?あっちでもこっちでも7階建て8階建てのビルが建ち始めた。それに連れて車の数も増える。 だんだんジャカルタみたいになったらどうなる? だいたい、バリは風光を保つため、高層建築禁止なんだって。それを平気でどんどん建てるのよ。役人に袖の下を通せば見て見ぬ振りをすると聞いたわ。何処の国でも同じねえ。お陰で、いや困った事に貸家やアパートの家賃も軒並み倍近く高くなったとの事。

インドネシアの役人にはびっくりするよ。今回の大統領選で2期目をつとめるユドヨノさんも、真っ先に汚職撲滅を掲げたもの。司法マフィアと云う単語? が連日新聞に載るよ。

あ~あ、「春の嵐」 と、もっとロマンチックに行こうと思ったのに、、、


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2009年10月3日土曜日

ニュース錯綜

中部ジャワ地方の地震のニュースや対策も片付かないのに、今度はスマトラ沖パダン地方の地震で、インドネシアは大変なことになっている。

世界の各地から直ぐに救援の手を差しのべていただき、感謝に堪えません。(っと、大統領みたいな事云っちゃって、ちっと恥ずかしいが)まだまだ被害は拡大しそうです。

同時期、バリ島クタ地区(私の住んでる地域)で、日本人女性が殺害された。バリ島は比較的(テロは別にして)事件は少ないと云われて来たが、最近は少し事情が違って来たようなのだ。

クタの目抜き通りや海岸、それに夜の店での麻薬密売や売春斡旋も耳にするし、ホントかしら?と私は信じられないけど耳に入ってくるのだ。観光を売りにしているバリの殺人事件は致命傷とも云えるので、今警察は犯人探しと解決に躍起となっているが、犯人のメドは付いているらしい。

それにしても、である。被害者の家族の方には申し訳ないが、日本の女性として、「どうだろうなあ」と、私は考える。恥ずかしいと云う言葉さえ浮かぶ。まあ、残念の一言です。

一言の下に云える事は、犯人が悪い!! これは決定的だ。だが、たとえ警察手帳(これは偽物だった)を見せられたと云ってもホテルに相談もしない不用心さで、真夜中にその男に付いて行くと云うのは迂闊すぎると思うよ。

それに、来るときは女友達と2人で来てい乍ら、夜の遊びは別々というのも弁解の仕様がないと云わざるを得ない。いくら遊んでいても2人一緒だったら今回の事件も起きなかったと私は思うのだ。

バリ島だけでなく、世界のどこへ行っても楽しい裏には怖い事もあると云う事をしっかりと頭に入れて遊び、行動して下さいね、お嬢さん方お願いよ。

まだある(日本では報道されてないかも知れないと思う)ニュース。

イスラム過激派の主犯格ヌルディンが、先月17日、国家警察に隠れ家を包囲された結果射殺されたニュースが大々的に報じられたが、遺体確認と遺体引き取りのため近親者が警察に来て、ヌルディンの兄とされる人が、インドネシアの人たちに(彼はマレーシア人)深くお詫びを、と頭を下げた。

それは当然として、そこへ、第1夫人、第2夫人、第3夫人も居て、第2夫人は、「皆で来ましたよ」と声をかけ、第3夫人は2人の子供を連れて来て、パパですよと云い、遺体は第1夫人が引き取ったと云う記事と写真が出ていたが、7年の逃亡生活の中で、数々のテロ事件の中心的役割を果たし乍ら、にも拘らずだよーと、ヌルディンって何者?って思った次第なのですよ。テロと関係なかった私は、一瞬思った。彼は、人間的には、或いは男として、魅力的な奴だったのかもねえと。

ホ~ント、私の頭の中も色々な思いが錯綜してます。

だから人間って、生きるって、面白いんですよ! と云ったら誰かにぶん殴られるかもねえ。ハイ、お嬢さんだけでなく、おババちゃんも気を付けま~す。


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2009年9月21日月曜日

何としてもレバランには「くに」に帰るんダーー


  
断食明け大祭の1週間前頃から、ジャワ島や他の島から首都圏に出稼ぎに来ている人たちは帰省を始めるが、ぎりぎり迄仕事をしていた人達も慌ただしく駅やバスターミナル、港に詰めかける。 2700万人の民族大移動なのだ。

写真は、ジャカルタ新聞から無断借用したものだが、あんまり面白いので (ごめんなさい!! あまりにも微笑ましく切実でかわいい)日本の皆に見せたくなって、、、

こんな光景は日本は無いものねえ。 皆さん無事に帰郷して下さいね。

これだけの人たちを無事に移動させるには、政府の調整力が問われるのは当然で、運輸省、警察など、安全確保の為に奔走している。 信じられないが、パンク強盗、ガラスを割って金品を取る斧!強盗、挙げ句は、駅やターミナルで休んでいる人に、催眠術をかける催眠術強盗までいると云うのだ。

約1年間一生懸命稼いで、くにの家族にお土産をいっぱい買って帰る人 たちの無事を祈らずにはいられない。

 インドネシアの宗教事情も、日本では考えられない。 先ず、宗教省があり、宗教大臣がいる。陰暦で数えるのだそうだが、ラマダン入りも レバランも宗教省が発表する。大方のムスリムは、今年は何日頃が断食明けの大祭か知っている。今回だって、大抵の人が21日がレバランと思っていたのに 「20日」と発表されたので、余計大慌てしたのかもねえ。

また、今時そんな刑もあるんだーと思ったのが、シャリアという、イスラム法が存在するのだ。 シャリアと云うのは、公衆の面前で石を打つ、叩くという刑法で、98 パーセントがイスラム教徒だというアチェ州では、ついこの間、国内唯一のこのイスラム法を満場一致で可決したと云うニュースを知った。

曰く、姦通罪100叩き(これは4人の証言者が必要とある)とか、あって、一番重いのは幼児性犯罪で、100~1000回叩きの上、金1キロとある。 尤も、この刑法を問題視する一派もあるそうだけれど。 それなのに、日本人の私達が(女性が)ナーンだかなあと思うのが、イスラム教では4人迄妻を持っていいという法なのよねえ。

ホント、何だか分らないところもいっぱいあるインドネシアです。
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2009年9月9日水曜日

人事では無い心配


     
画像を追加 日本でも、この数年の間、本来は山奥にいる動物が人里に現れ、 畑を荒らし、時には人間をも傷つけたり咬み殺したりのニュースを目にして来ているが、バリでも、とうとう像が民家を襲撃したという ニュースを知った。 何頭かの象に踏みつけられて死者が2人出たという。

これは、スマトラ州の大開発にまつわるもので、パーム油を採るためにアブラヤシの伐採のプランテーションの大規模開発により、像達の住む場所が無くなりつつある結果だと云う。

動物で一番えらいのは人間! いちばんの頭は人間。なのよね???
その為の他の動物の多少の犠牲は当たり前なのよね?????
どうしようもない悲しさに襲われ乍ら、牛肉を美味しい美味しいと食べている矛盾を矛盾とも思わず暮らしている私。

そんな事を果てしなく考えていると、本当にノイローゼになってしまう。
ええ~いっ、ジャングルの法則だ~い!! と思ってみる。
思わなければ生きて行けない。 やっぱり人間も所詮悲しい動物なのかなあ。

日本伝統文化振興財団主催で、狂言2009in BALI と云うのが去年に 続き、伝承正しい狂言の家柄と云われる山本東次郎一家の出演で観る事が出来た。 主人と太郎冠者と次郎冠者が出て来る、おなじみの附子(ブス)。

最後は主人が馬鹿の二人の太郎と次郎にすっかりしてやられる話。 主人であり、地球上で一番えらい人間が太郎動物と次郎動物の逆襲を受けないよう、共存の平和な地球はあり得ないものだろうか!?
                                                              
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2009年8月12日水曜日

インドネシア独立記念日

インドネシア独立記念日と日本の敗戦記念日と2日違いの記念日でも、その祝典の中身は180度違っている。

毎年の事乍ら我が祖国の終戦記念日は反省と懺悔一色に埋められ、8月に入ると広島長崎の惨状を伝える報道から始まり、軍部、とりわけ作戦本部の海軍軍令部が、 誰もがいけないと思い乍らも、誰も口に出して云えない流れに流されて行った様を、今、NHKの特別番組でやっているのを見ているが、中で、その事実を 『やましき沈黙』と云う言葉で表している人物もいたのが、わずかながら、 「人間の血」を感じて救われている。

 多くの前途ある若者が、間違った指導者の下で散って行った様は、思い出す度に涙せずにはいられない。 『ジハード』と教育されて、今、自爆テロを行う、年端もいかない少年達とどうしても私はだぶってしまう。
7月中旬のジャカルタ新聞だが、ジュマイスラミア(J.I )の創設者の一人,バーシル師と共同通信社の記者の会見を報道しているが、「爆弾の使用は戦場に限られる」としながらも、「イスラムを守る聖戦」であり、「ユドヨノは米国に従属している、その関係を維持する限りイスラムには害だ、本当の敵は米国とその同盟国だ。」と、真に イスラムを守る聖戦を教育している最中だ、と、中部ジャワ州のイスラム寄宿学校で語った、とある。 戦慄が走った。アメリカの同盟国の日本も心配だが、純真な少年達を思ってである。


上の写真は、インドネシア独立記念日を祝して記念日の2週間前からホテルの玄関に掲げられている、赤と白、メラプティの旗だが、個人のどこの家にも、大小のメラプティがはためいていて、人々はがこの日を純粋に喜んでいるのを見るのは、本当に嬉しい。
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2009年7月20日月曜日

ちょっと外に目を向けると

インドネシア大統領は、ユドヨノさんに決まり、世界中、大方の人に歓迎されたようで、目出たく二期目に向かってスタートした。大統領選で暴動が起こって、未だその火が消えぬ国もある中、目出たいスタートであると思う。

オバマ大統領も祝辞の中で、インドネシアに民主主義が順調に育っているとの喜びを発していたが、ユドヨノ氏は、インドネシアがアジアをリードして行くと、胸を張っての演説である。目出たし。めでたし。

スカルノ初代大統領は、オランダからの独立を勝ち取り、建国の父と迄讃えられたが、大統領の椅子に長く座っている間に変貌したのではあるまいか。元大統領メガワティ女史はスカルノさんの長女だが、その時の部下だったユドヨノさんがメガワティと共に大統領選に出馬し、ユドヨノさんに破 れて以来、口もきかないそうで、今回も又敗北したのに、敗北を認めないとかのマスコミの情報である。
どうか、ユドヨノさん、支持者の期待を裏切らない、いや、世界の歴史に輝く大統領としてアジアの為に働いて下さい。

ユドヨノ氏が掲げた政策の一つは経済の安定発展だから当然として、二つ目に汚職撲滅を揚げている。どこの国でも多少の汚職や贈賄があるのは常識(えっ、忌々しいっ)だが、インドネシアの汚職贈賄は目に余る。中で、汚職ナンバ-1が裁判所(本当だよ)だと云うから恐れ入る。いやはやオッソロしい。

この調査は国のしかるべき調査機関のもので、報道はジャカルタ新聞である。報道だけなら、私もこんなに怒らなかったかもしれない。だが、大事な友達の事で、二の句が繋がらないほどの裁判所決定を知ったのだ。これ程の腐敗を許してなるものか!!と悲憤慷慨している。そして、汚職や贈収賄を当たり前のように見ぬ振りをしているバリ人達にも腹を立てたりしている。


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2009年5月26日火曜日

大イベントを見終えて

世界最大級の火柱が入場者を迎える

日本を竜インドネシアを虎に見立てた二つのみこしがぶつかり合う
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鳴り物入りでの前宣伝は、さすが山本寛斎の面目躍如。
素晴らしかった。

今後の日イ関係を尚いっそう盛り上げて行こう
との意欲が充分に汲み取れた。

バリ島ならではの野外舞台は、その昔のイタリアコロッセウムも
若しかしたらこの感じをもっと大規模にしたような競技場
だったのかなあ等と空想してみる。

和太鼓とガムランの入り交じった異国情緒たっぷりの音に
気持が高揚していく。
会場は常夏のバリとは言え、さわやかな海風が吹いて来て、
ちょうど心地よい日本の5月そのままだ。

巨大な火柱が広場を照らす中、日本とインドネシアの象徴の
竜と虎に分かれた二組の若者達の格闘技が終わると
一転きれいなお姉さん達のバリダンス。

そして、バリ風の神輿に乗った歌姫、アグネスモニカが
しずしずと下りて来て歌い始めた。
よく通る澄み切ったきれいな声。
その時、インドネシアの多くの大人が涙を拭っている。


INDONESIA TANAH AIR BETA
私がインドネシアの土と水ー(祖国)

PUSAKA ABADI NAN JAYA
永遠に偉大な遺産

INDONESIA SEJAK DULU KALA
インドネシアは昔から

TEMPAT DIPUJA-PUJA BANGSA
あがめ奉られる国

DISANA TEMUPAT LAHIR BETA 
其処で私は生まれた


その後に続く原語は省くが、
此処で生まれたわたしは、母に(国をも意味すると思う)大きくされた。
育てられ、守られ、年老いて目をつむる最後迄、
この場所で(国で)育てられた。

直訳すると、そんな意味の歌詞だと、
インドネシア学校の先生とホテルのスタッフに教えてもらった。
教えてもらい乍ら、わたしは涙した。
あのとき涙を拭った人たちの熱い愛国心が伝わったのだ。
この国の人々が、いかに自分の生まれた国を愛し、
誇りに思っているのかと。


今後、きっと私のインドネシア観が変わるであろう。
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虎と竜をした日本とインドネシアを象徴した

巨大な熱気球が打ち上げられようとしている

バリ島いっぱいの夜空に上がったかと思える気球

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2008年11月8日土曜日

インドネシア日本博覧会2008 (共催日本経済新聞社、コンパス紙)

アメリカ史上初の黒人大統領の誕生に、国民の大半が喜び、感激している姿が放映されて、私迄もが嬉しくなる。「白人でもなく黒人でもなく宗教が違えど、イデオロギーが違えど、全て一つのアメリカだ!」と叫んだ彼に、希望と共感を持ち、チェンジという強い言葉を信じたのだ。英知と若さに溢れたオバマさんに私も期待したい。

そのオバマさん、少年時代の4年間、インドネシアのジャカルタで過ごしたと云う事は初めて知ったが、彼のグローバルな考え方も、その生い立ちから最高学府で勉強する迄に培われたのかもしれない。

1日に開幕した日イ博覧会2008は、ジャカルタ新聞で毎日報道され る。日本の新聞でも報道されていると思うが、こちらほど詳しくは載らないのではと思い、日本の皆さんに少し伝えたいと思う。

1日には日イ協会会長の福田康夫前首相が来て演説し、日イ友好の記念すべき時に訪問出来た喜びと、友好関係を更に深める契機となる事を期待すると。

コンパス紙のヤコブ理事長の、日本国がインドネシアを占領した時期がある一方で、日本軍はインドネシアの独立を促進する役割を果したのですとの演説は実に興味深い。また、各企業もエネルギー問題、農作物、福祉等、多方面にわたり活力と夢いっぱいの近未来構想を提案してる記事でいっぱい。

その他、会場内では、伝統文化、食文化、アニメや、日本の祭り、石川の炎太鼓、秋田竿燈、ジャカルタ神輿の他、最大の目玉、3Dハイ ビジョンシアターでは、エンジョイインジャパンと銘打ち、銀座原宿の街や日本の雪景色、紅葉、築地市場にレインボウブリッジや新幹線も。この、家族で楽しめる3D映像はNHKメディアテクノロジー とか。

盛りだくさんのイベントを、日替わりで楽しめるようになっているとのことで、あ~あ、行ってみたかったなあ。

2008年11月4日火曜日

続 日本とインドネシア

1945年8月15日、日本は全面降伏し終戦となった。そして、8月17日がインドネシアの独立記念日となるのだが、350年間にわたるオランダの支配からインドネシア独自の国を作ろうと云う、民族独立運動は、1900年初頭からあった。

中でも、民族の自覚が不可欠であるとの意識のもと、多くのオランダ人を始め、世界の知識人に当てた書簡集を発刊したのが当時のオランダ植民地政庁教育文化省長官だから、面白い。

この書簡こそ、インドネシア人を覚醒させようとの願いに立ち上がった、カルティニと云う女性が書いたものだった。わずか25歳でなくなっているが、インドネシア政府は彼女を国家英雄の一人として顕彰し、カルティニ記念日を設けている。

尚、ジャカルタのインドネシア経済企画庁広場前には彼女の像が建っているが、日本の友好団体の寄付に依るものというのも日イ関係を物語っていると思う。

それより、もっと驚くのは、インドネシア独立宣言書が書かれたのは、日本海軍のジャカルタの責任者であった前田武官邸だったのだ。スカルノとハッタは、長年同士である民族運動の指導者スバルジョが前田武官と親しい事を思い出し、3人は前田邸に向かう。まだまだオランダの目が光っていたのであろう。

そして、16日、独立宣言書の原稿が書き上げられ、翌17日、『我々インドネシア人は、ここに、独立を宣言する』から始まるスカルノの第一声が放たれたのであった。