2009年12月30日水曜日

「ゆく年も 来る年も亦 愛おしく」

などと拙句が出て来ると云う事は、間違いなく老いに向かってまっしぐら!
と云う事。 実感がないのは幸いだろうか?

先日、お客さまで、親友(勝手に思ってる)でもある厚子さんから小包が届いた。
もう、びっくり!! 新海苔がど~っさり!!
東京にいる時だって、こんなに贅沢に、沢山海苔を食べたことあったっけ? 
口に出して厚子さんありがとうと云い乍ら頂いた。
こんな美味しい海苔、バリで仲良しになった人たちに分けて上げなきゃ!
日本人は勿論、イタリヤの人、アメリカの人、勿論インドネシアの人たち。
み~んなみ~んな喜んでくれた。改めて、厚子さんありがとう!!

そして、また今日、宮崎の友人,広子さんから小包が届いて、、、!! 
懐かしい切り干し大根や宮崎特産の椎茸など、、、。 
よ~し、お正月のおいしい煮物が出来るぞ~

大晦日には、バリで知り合った友人達が訪ねて来ると云うし、
まだまだ老け込んでいられないわ。

多くの人たちに感謝しつつ、2009さようなら~


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2009年12月17日木曜日

「ふるさとへ 届けるお歳暮 みなみ風」

   
 日本からのメールでは、「サムイよ~」です。そうなのですねえ。
12月ももう半分過ぎて、もうすぐお正月ですもの。

お蔭様と云いますか、寒さ知らずのバリ島で暢気に暮らしていますが、
お歳暮のつもりでこのバリの風を送って上げられたらいいなあと
空想してるうちに、拙句が出ました。

拙句ついでにもう一句


   「みなみ風 届けや君に 幸あれと」


心から、お届けしたいと思うのです。


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2009年12月4日金曜日

『ひとり居て 南の島の 師走かな』

   こんな、現在の心境に偽りは無い。
 
 気温は30度。青い空。穏やかな風。
1年中変わらない、 みどり鮮やかな木々達。ブーゲンビリアの可憐。

人々はのんびり暮らし、「今日を生きてるだけ」で「感謝」の祈りを捧げる。

どんな事をしてもこの国の人たちにはかなわない。と、時々思う。

それなのに、12月の街の日本の喧噪を思い出している。
そして、素晴らしい日本の四季の変化を誇らしく懐かしむ。

やはり、わたしは日本人でよかった。わたしは日本人であり続ける。


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2009年11月13日金曜日

美しい島レンボンガン


美しい島レンボンガンを下船前のボートから撮りました。
島の半分くらいがマングローブです。
右の方に民家が点在し、観光客目的のホテルもあります。


ボートから小さな船に乗り換えて
マングローブの葉の覆いかぶさった水路をジャングルへと進む。


マングローブたちの木の根 満潮時にはこの根っこは隠れてしまう。



大きい木の幹の写真。 中にはびっくりするような大木もある。
20mもあろうかと思われる高さのマングローブの樹は細い水路を
    傘のように覆っている。枝先から見える空が眩しい。




砂浜のあちこちに、こじんまりとしたマングローブが見られる。





レンボンガンの海は、珊瑚礁と云われる。これは船長コマン さんに
水中カメラで撮ってもらったもの。ちょっと潜るだけで、
こんな美しい 珊瑚に出会え、きれいな可愛い魚たちにも出会える。

ボートの上からでもこんな珊瑚が揺らいで見える程に海の水は澄んでいる。

2009年11月6日金曜日

MAJAPAHIT マジャパヒト王国の発掘


       
 バリに来て出来た友人が、近々マジャパヒト王国の発掘をする話になって いるけど、一緒に行きませんかとなった。 その友人、大学の専門は考古学で、定年前は日本のある博物館の館長をして 居たと云う事もあって、そんな話が舞い込んで来たらしい。

暑い中、(殆ど熱いよ)「この年寄りが一体何をすればいいのよ」 「みんなが作業してるのを酒でも飲み乍ら見てたらいいでしょ?!」 「ちょっと~、うそくさ~い」
とは云ったものの、俄然バリの王宮に興味を持った。バリにはいくつか の王宮が現存していて、写真はその一つ、デンパサールのポモチュタン宮殿を見学した折りに、一緒に写っていただいたのが、こちらの王様。 実に大らか、気さくな方で、私達が日本人だと思って、坂本九ちゃんの”上を向いて歩こう”を歌って下さり、写真を撮るとき、こうやって写りましょうと、両手を合せた形をして見せて下さった。

イダ チョコルダ ポモチュタン11世と名乗っていらっしゃる。 大抵の王族は、宮殿見学者などには姿を見せられないのが普通なのだ。 私はこちらの大らかで飾らないポモチュタン11世をすぐ大好きになった。

王族と云っても現在はほとんど末裔の方達で、王族の流れを汲むバリ人はゴマンといらっしゃるが、はっきりと何世と名乗ってらっしゃる方はあまり居ない。 13世紀末から16世紀前半にかけてインドネシア屈指の大国として繁栄したマジャパヒト王朝は、イスラム勢力の台頭によって崩壊した。 この時、大勢の貴族、僧侶、芸術家、職人たちがバリに亡命した。 彼らはクルンクルン近くにゲルゲル王朝を作り、文化芸術の中心となって行く。 17世紀迄繁栄したとされている。

現在、バリ州は8つの県に別れていて、その祖先を辿ると、大方が小王国の王 だったと云う事だ。 話を戻して、2008年に日本とインドネシア国交50周年を迎えたのを機に、両国の関係が古くから歴史、文化を共有して来た事を見直し、インドネシア人が誇りにしている最後のヒンドゥ教の聖地であるマジャパヒト王朝を日本の協力で発掘すると云うのも意義ある事だと「日本マジャパヒト協会」は宣揚している。                                          
                                                                                        
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2009年10月31日土曜日

バリのお盆が過ぎて

送り火を焚いてご先祖様の再旅立ちを見送りする日本のお盆の15日に当たるバリのクニンガンの前日、父母の大好きだったおはぎを拵えてお供えした。

まだ1年半しかバリに住んで無いけれど、矢張りバリの習慣に従おうという気はあって、そうすると、自然にバリの人たちの気持も分ってくるような気になる。ご先祖様や、チャーリーを始め今も愛し続けているペットたちが、ガルンガンの日にみんなどっと帰って来てくれた喜びの10日間、私は昔の思い出に浸った。

殊に母が、長女の私には、これは伝えておかなくてはと思ったらしい日本のお盆の習慣をしっかり覚えさせようと、厳しく教えた事などを思い出した。ご先祖様が帰られるのが深夜12時だからと云って、玄関に手洗い水を用意し、着物を着替えて正座し、「お帰りなさいませ」と深々と頭を下げた事など。

翌日からのお膳の決まり事もあり、14日と15日では勿論お供えする料理の内容も違い、それを一々教えた母を面倒臭がって何も覚えていない私は、今となって懐かしくまた申し訳なく思ったりしている。そして、今もって「男たるものは」ああでなくてはと、特別に優しかった父を思い出したり、、、。ペットたちとの時間を思い出したり、、、。

何故かしきりに少女時代ばかりを思い出し幸せ感に満ちていたのだが、さてみんながまた「来年ねえ」と一斉に帰って行った日から、心も身体も空っぽになったような脱力感と寂寞感に襲われてしまった。

いかん、いかん、これじゃあいけない、駄目よ!こんな気持、、、。

1日、2日、1週間、10日。ようやく自分に帰ることができたかな? その間も相変わらず友達が訪ねて来て下さり、中には日頃の私と違うよと見抜き何かと気を使わせてしまった。 持つべきものは"友”よねえ。

ありがとう。ありがとう。


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2009年10月15日木曜日

ガルンガン と クニンガン

今年は10月14日が ガルンガンに当たり、バリヒンドゥ教では大事な祭りとなる。

この日は、善の神と悪の神が闘い、善の神が勝利し、神々と祖先の霊が この島、地上に帰って来られるお祝いの日と云う。 日本人の理解とし ては13日のお盆の入りに当たるのかと思う。

日本では15日にご先祖様はまた帰られるが、バリヒンドゥでは10日後が クニンガンと云って、神々と先祖の霊が天に帰られるのだと聞いた。

因に、ムスリムに聞いた。イスラム教の人にはこのしきたりとか行事は無いと云う。 バリ島のイスラムの人は困った困ったと云うから、どうして?と云うと 店がみんな お休みだからって。

でも1日に5回のお祈りは大変でしょ?と不躾な質問をしたら、いいや、バリヒンドゥ の方が大変ですと云う。 「なんで?」 「バリの人たちはお祭りが多いもの」と云う答えが返って来た。

大部分のバリ人は悠長で友好的だと思ってる一つの理由でもあるが、ど んな宗教でも受け容れる。と云うよりも包み込むとでもいうのかなあ。 いい加減(塩梅の事です!!)? そんな所がある。 だが、祖先から受け継いだ神様、仏様は頑として何の疑いも無く、しぜ~んに 守り、継承して行くのよねえ。

バリの人たちの暢気さの現れかな? ヒンドゥ教の1日のお参りは「本当は」3回だけれど、大抵2回で、「最低」1回は、お供えとお参りをするんですと、にっこり笑う。いい雰囲気なんだわあ、それが。写真は1日2回お供えを持ってお参りするバリの女の子です。


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2009年10月7日水曜日

砂浜で楽しむ、バリならではの夕飯


ジンバランビーチ 
夕陽が海を染めてオレンジ色に輝いている

夕陽が沈み、薄暗くなると同時に、
椰子の葉の向こうから十六夜の月が上り始める。

ビーチは、採れたてのシーフードや

バリ料理を楽しもうという人々が続々集まって来る。


月が上空にある頃、ビーチに設けられた席は満席。
波の音をBGMに、おいしいシーフードやビンタンビールに
満足した人々は皆一様に幸せな顔をしていた。
                                    
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2009年10月3日土曜日

ニュース錯綜

中部ジャワ地方の地震のニュースや対策も片付かないのに、今度はスマトラ沖パダン地方の地震で、インドネシアは大変なことになっている。

世界の各地から直ぐに救援の手を差しのべていただき、感謝に堪えません。(っと、大統領みたいな事云っちゃって、ちっと恥ずかしいが)まだまだ被害は拡大しそうです。

同時期、バリ島クタ地区(私の住んでる地域)で、日本人女性が殺害された。バリ島は比較的(テロは別にして)事件は少ないと云われて来たが、最近は少し事情が違って来たようなのだ。

クタの目抜き通りや海岸、それに夜の店での麻薬密売や売春斡旋も耳にするし、ホントかしら?と私は信じられないけど耳に入ってくるのだ。観光を売りにしているバリの殺人事件は致命傷とも云えるので、今警察は犯人探しと解決に躍起となっているが、犯人のメドは付いているらしい。

それにしても、である。被害者の家族の方には申し訳ないが、日本の女性として、「どうだろうなあ」と、私は考える。恥ずかしいと云う言葉さえ浮かぶ。まあ、残念の一言です。

一言の下に云える事は、犯人が悪い!! これは決定的だ。だが、たとえ警察手帳(これは偽物だった)を見せられたと云ってもホテルに相談もしない不用心さで、真夜中にその男に付いて行くと云うのは迂闊すぎると思うよ。

それに、来るときは女友達と2人で来てい乍ら、夜の遊びは別々というのも弁解の仕様がないと云わざるを得ない。いくら遊んでいても2人一緒だったら今回の事件も起きなかったと私は思うのだ。

バリ島だけでなく、世界のどこへ行っても楽しい裏には怖い事もあると云う事をしっかりと頭に入れて遊び、行動して下さいね、お嬢さん方お願いよ。

まだある(日本では報道されてないかも知れないと思う)ニュース。

イスラム過激派の主犯格ヌルディンが、先月17日、国家警察に隠れ家を包囲された結果射殺されたニュースが大々的に報じられたが、遺体確認と遺体引き取りのため近親者が警察に来て、ヌルディンの兄とされる人が、インドネシアの人たちに(彼はマレーシア人)深くお詫びを、と頭を下げた。

それは当然として、そこへ、第1夫人、第2夫人、第3夫人も居て、第2夫人は、「皆で来ましたよ」と声をかけ、第3夫人は2人の子供を連れて来て、パパですよと云い、遺体は第1夫人が引き取ったと云う記事と写真が出ていたが、7年の逃亡生活の中で、数々のテロ事件の中心的役割を果たし乍ら、にも拘らずだよーと、ヌルディンって何者?って思った次第なのですよ。テロと関係なかった私は、一瞬思った。彼は、人間的には、或いは男として、魅力的な奴だったのかもねえと。

ホ~ント、私の頭の中も色々な思いが錯綜してます。

だから人間って、生きるって、面白いんですよ! と云ったら誰かにぶん殴られるかもねえ。ハイ、お嬢さんだけでなく、おババちゃんも気を付けま~す。


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2009年9月21日月曜日

何としてもレバランには「くに」に帰るんダーー


  
断食明け大祭の1週間前頃から、ジャワ島や他の島から首都圏に出稼ぎに来ている人たちは帰省を始めるが、ぎりぎり迄仕事をしていた人達も慌ただしく駅やバスターミナル、港に詰めかける。 2700万人の民族大移動なのだ。

写真は、ジャカルタ新聞から無断借用したものだが、あんまり面白いので (ごめんなさい!! あまりにも微笑ましく切実でかわいい)日本の皆に見せたくなって、、、

こんな光景は日本は無いものねえ。 皆さん無事に帰郷して下さいね。

これだけの人たちを無事に移動させるには、政府の調整力が問われるのは当然で、運輸省、警察など、安全確保の為に奔走している。 信じられないが、パンク強盗、ガラスを割って金品を取る斧!強盗、挙げ句は、駅やターミナルで休んでいる人に、催眠術をかける催眠術強盗までいると云うのだ。

約1年間一生懸命稼いで、くにの家族にお土産をいっぱい買って帰る人 たちの無事を祈らずにはいられない。

 インドネシアの宗教事情も、日本では考えられない。 先ず、宗教省があり、宗教大臣がいる。陰暦で数えるのだそうだが、ラマダン入りも レバランも宗教省が発表する。大方のムスリムは、今年は何日頃が断食明けの大祭か知っている。今回だって、大抵の人が21日がレバランと思っていたのに 「20日」と発表されたので、余計大慌てしたのかもねえ。

また、今時そんな刑もあるんだーと思ったのが、シャリアという、イスラム法が存在するのだ。 シャリアと云うのは、公衆の面前で石を打つ、叩くという刑法で、98 パーセントがイスラム教徒だというアチェ州では、ついこの間、国内唯一のこのイスラム法を満場一致で可決したと云うニュースを知った。

曰く、姦通罪100叩き(これは4人の証言者が必要とある)とか、あって、一番重いのは幼児性犯罪で、100~1000回叩きの上、金1キロとある。 尤も、この刑法を問題視する一派もあるそうだけれど。 それなのに、日本人の私達が(女性が)ナーンだかなあと思うのが、イスラム教では4人迄妻を持っていいという法なのよねえ。

ホント、何だか分らないところもいっぱいあるインドネシアです。
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2009年9月15日火曜日

ラマダンフェアー

イスラム教徒が8割以上を占めるインドネシアは、ラマダンの行事が何かと新聞紙上で報道される。今、ラマダン(断食月)の最中なので、日中は水も口にせず、きっちりとブカプアサ(一日の断食明け)迄仕事をしている。

役所もこの期間、何かとサービスめいた事や恩赦などを施す。その中に目が点になった報道を目にした。ラマダン中に出生証明書を無料で発行すると云うものである。

えっ?と日本人の我々は思わないだろうか。子供は生まれたら2週間以内に届け出ることになっているし、そんなこと考えてもみなかったからだ。「無料発行に長蛇の列」とある。ええ~っ、何で生まれた時届けないの?

通常の届け出申請料は10万ルピア(日本円で1000円位)なのだそうだが、貧しい家ではそれが払えず、止むなく届けてないのだという。2005年以前に生まれた子の証明は1万ルピア(約100円)それ以降は無料。という粋なサービス。

40歳の5人の子持ちの父親は、16歳の長男の出生証明書を手に出来大喜びをしているし、36歳で4人の子持ちの父親も子供達の証明書を見せて大喜びしていた。まだ届け出をしてないお金のない人たち、この機会にみんな届け出をするのよ~~~ 笑い泣きし乍ら、私は心で叫ぶ。

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2009年9月9日水曜日

人事では無い心配


     
画像を追加 日本でも、この数年の間、本来は山奥にいる動物が人里に現れ、 畑を荒らし、時には人間をも傷つけたり咬み殺したりのニュースを目にして来ているが、バリでも、とうとう像が民家を襲撃したという ニュースを知った。 何頭かの象に踏みつけられて死者が2人出たという。

これは、スマトラ州の大開発にまつわるもので、パーム油を採るためにアブラヤシの伐採のプランテーションの大規模開発により、像達の住む場所が無くなりつつある結果だと云う。

動物で一番えらいのは人間! いちばんの頭は人間。なのよね???
その為の他の動物の多少の犠牲は当たり前なのよね?????
どうしようもない悲しさに襲われ乍ら、牛肉を美味しい美味しいと食べている矛盾を矛盾とも思わず暮らしている私。

そんな事を果てしなく考えていると、本当にノイローゼになってしまう。
ええ~いっ、ジャングルの法則だ~い!! と思ってみる。
思わなければ生きて行けない。 やっぱり人間も所詮悲しい動物なのかなあ。

日本伝統文化振興財団主催で、狂言2009in BALI と云うのが去年に 続き、伝承正しい狂言の家柄と云われる山本東次郎一家の出演で観る事が出来た。 主人と太郎冠者と次郎冠者が出て来る、おなじみの附子(ブス)。

最後は主人が馬鹿の二人の太郎と次郎にすっかりしてやられる話。 主人であり、地球上で一番えらい人間が太郎動物と次郎動物の逆襲を受けないよう、共存の平和な地球はあり得ないものだろうか!?
                                                              
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2009年9月2日水曜日

バリの庶民の風習、風景


夏休みを利用して、6年生になった男の子は、大方、成人式、つまり、割礼の儀式をするという。これはイスラム教徒の話だが。何故夏休みかと云うと、やはり、痛くて、あまり暴れたりは出来ないらしい。だから学校も休みのときがいいという。

先日、休みに入った頃、男の子を2人持つムスリムの友人が、菓子折りを持って見えて、「お祝いだったのよ」と、嬉しいような恥ずかしいような顔をして話されるには、長男が割礼を済ませたので、、と云われる。

ああそうか、成人式なのね。と私は云ったが、学校で6年生にもなってまだの子は、友達に冷やかされるのだそうなのだ。そのあと、女同士の話で盛り上がり、男子たる者、割礼するべし、となった。まあ、必要のない男子もいらっしゃる(らしい)が。

ムスリムの女の子で、初夜の折り、相手が割礼をしてなくて、逃げ帰った話をその友人が話してくれたが、笑えないよね。、、ホントは大笑いしたけど。割礼をしてないと、「不潔」というのが、女の子に定着してるのだそうである。

女の子の成人式に当たる話も他の友人に聞いたが、先ず、「お金かかったわあー」 が(日本でも振り袖拵えたりとか金をかけるうちもある)第一声。

これはバリヒンドゥ教徒の、ある程度格式のある家庭の話であるが、女の子の場合、初潮があると、一人前の女になったということで祝うのだそうだ。親戚、隣近所を呼んで、ちょうど日本の田舎の結婚式のように、御ちそうしたり手みやげを持たせたりとかするとの事。

儀式としては、糸切り歯を短く切るのだそうで、実際は、ちょっとヤス リを当てるだけらしいが、夫は勿論、誰にも歯向かって噛み付かないようにとの事だそうである。

きっと日本の田舎とか山間部にもそれに似た風習はあると思うが、「成人」と云う意識がごく自然の成長で計られる事が、のんびりしたバリ人に繋がってる気もする。
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2009年8月12日水曜日

インドネシア独立記念日

インドネシア独立記念日と日本の敗戦記念日と2日違いの記念日でも、その祝典の中身は180度違っている。

毎年の事乍ら我が祖国の終戦記念日は反省と懺悔一色に埋められ、8月に入ると広島長崎の惨状を伝える報道から始まり、軍部、とりわけ作戦本部の海軍軍令部が、 誰もがいけないと思い乍らも、誰も口に出して云えない流れに流されて行った様を、今、NHKの特別番組でやっているのを見ているが、中で、その事実を 『やましき沈黙』と云う言葉で表している人物もいたのが、わずかながら、 「人間の血」を感じて救われている。

 多くの前途ある若者が、間違った指導者の下で散って行った様は、思い出す度に涙せずにはいられない。 『ジハード』と教育されて、今、自爆テロを行う、年端もいかない少年達とどうしても私はだぶってしまう。
7月中旬のジャカルタ新聞だが、ジュマイスラミア(J.I )の創設者の一人,バーシル師と共同通信社の記者の会見を報道しているが、「爆弾の使用は戦場に限られる」としながらも、「イスラムを守る聖戦」であり、「ユドヨノは米国に従属している、その関係を維持する限りイスラムには害だ、本当の敵は米国とその同盟国だ。」と、真に イスラムを守る聖戦を教育している最中だ、と、中部ジャワ州のイスラム寄宿学校で語った、とある。 戦慄が走った。アメリカの同盟国の日本も心配だが、純真な少年達を思ってである。


上の写真は、インドネシア独立記念日を祝して記念日の2週間前からホテルの玄関に掲げられている、赤と白、メラプティの旗だが、個人のどこの家にも、大小のメラプティがはためいていて、人々はがこの日を純粋に喜んでいるのを見るのは、本当に嬉しい。
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2009年8月2日日曜日

明るくのんきでお祭り好きのバリ人


私がこの国の事を本気で心配してるのは勿論知らないバリの人たち、、、。
それでいいのだけれども。

28日はオーナーの誕生日だった。プールサイドのパーティで、一番楽しんで喜んでいたのは、従業員、スタッフではなかったろうか。飾り付けもさすがに上手。それだけでもお祭り気分なのに、銘々が仮装したり着替えたり。 パーティの準備で、仕事もそっちのけなんですよ。と、オーナーが笑ってらした。

みんなの一番のお目当ては、どうやら景品のくじ引きのようだ。主な景品のくじをマネージャーがプールに投げると、まあ、一斉に飛び込むわ。もぐるわ。

本当に楽しいパーティだった。私はまた思った。いいホテルに滞在してるわ。と。                                                                                                 
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2009年7月30日木曜日

政界も自然界も大荒れの夏

8月の衆院選を控えて、今度こそ、どちらが与党になるか野党になる か、全く分らない、天下分け目の決戦と云えよう。

マスコミでも巷でも、現野党の民主勢力の優勢を伝え、民主党は、もう、鳩山氏が総理になったような発言も目立つが、選挙ばかりは蓋を開けてみないと分らない。あらゆる事をひっくるめて、要は、我々が幸せに暮らして行ければいいのだ。

インドネシアでも、正式にユドヨノ氏が大統領に決定したのに相前後して、首都ジャカルタで同時爆発テロが起こった。(7月17日)

こちらのマスコミはユドヨノ再選阻止か?など報道されるのは勝手だが、当のユドヨノさんのそのような発言は軽率だったのではないか!と思った。案の定、反対派からの突き上げは勿論、マスコミも非難していた。

正式に決まったのに又もってメガワティもカラも認めないどころか、無効を最高裁に提出するんだとか、、、日本は、さすがにこんな事あり得ないよね。

インドネシアの爆弾テロと云えば、2000年のジャカルタ証券取引所からしても、今回2009年迄、合計7回、死者293名、負傷者1000人近くを出しているという。
今回も自爆テロである。痛ましい。悲しい。恐ろしい。空しい。一日 も、一刻も早く、安心して暮らせる平和な世界にならなくちゃ。しなくちゃ。祈るばかり です。

また、この夏の日本の大雨被害のニュースにも心を痛めている。ここ迄の大被害となると、政府の力が必要なのに、与党も野党も足の引っ張り合いばかりしていて、怒り心頭、情けなくなってしまう。
ちょっとーーー、麻生さんよう、鳩山さんよう、何とかしてようーーー
お願いだから。


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2009年7月20日月曜日

ちょっと外に目を向けると

インドネシア大統領は、ユドヨノさんに決まり、世界中、大方の人に歓迎されたようで、目出たく二期目に向かってスタートした。大統領選で暴動が起こって、未だその火が消えぬ国もある中、目出たいスタートであると思う。

オバマ大統領も祝辞の中で、インドネシアに民主主義が順調に育っているとの喜びを発していたが、ユドヨノ氏は、インドネシアがアジアをリードして行くと、胸を張っての演説である。目出たし。めでたし。

スカルノ初代大統領は、オランダからの独立を勝ち取り、建国の父と迄讃えられたが、大統領の椅子に長く座っている間に変貌したのではあるまいか。元大統領メガワティ女史はスカルノさんの長女だが、その時の部下だったユドヨノさんがメガワティと共に大統領選に出馬し、ユドヨノさんに破 れて以来、口もきかないそうで、今回も又敗北したのに、敗北を認めないとかのマスコミの情報である。
どうか、ユドヨノさん、支持者の期待を裏切らない、いや、世界の歴史に輝く大統領としてアジアの為に働いて下さい。

ユドヨノ氏が掲げた政策の一つは経済の安定発展だから当然として、二つ目に汚職撲滅を揚げている。どこの国でも多少の汚職や贈賄があるのは常識(えっ、忌々しいっ)だが、インドネシアの汚職贈賄は目に余る。中で、汚職ナンバ-1が裁判所(本当だよ)だと云うから恐れ入る。いやはやオッソロしい。

この調査は国のしかるべき調査機関のもので、報道はジャカルタ新聞である。報道だけなら、私もこんなに怒らなかったかもしれない。だが、大事な友達の事で、二の句が繋がらないほどの裁判所決定を知ったのだ。これ程の腐敗を許してなるものか!!と悲憤慷慨している。そして、汚職や贈収賄を当たり前のように見ぬ振りをしているバリ人達にも腹を立てたりしている。


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2009年7月15日水曜日

先週、こんな、お誕生祝いをしていただきました。

間違いなく年を取った私は、とうとう4分の3世紀を越しました。もう、めんどくさいから、誕生日が来る度に1つずつ捨てたりする事はしない。や~めた。 バリでおいくつですか?と聞かれると、いつも、” I forgot” で済ます。半分本当なのよ。

そんな私の誕生日に、(写真見たでしょ?!)外出先から帰ったら、いきなり目に入ったのが、ベランダいっぱいの風船と、思いっきり豪華な花でした! 誕生日の事、誰にも云わなかったのに、、と、驚き乍ら部屋を開けようとしたらハッピバースディの歌を歌い乍ら、ホテルスタッフが行列して来てくれるじゃないの!!。

ローソクが灯っているケーキを手渡されて2度びっくり。そのローソク、でっかい数字になっていて、何と、76ではないですか!! もう、可笑しいやら、嬉しいやら、、。 有り難い事です!! 勿論オーナーもニコニコ笑って立ってらっしゃる。

一人ずつ握手したりハグハグしたり、、、。 「ありがとう!!」 「サンキュベリマッチ!!」 「テレマカシー!!」はっはっは。それしか無いよね。

あと一つ付け加えると、今迄わたしの年を知らなかった多くのスタッフ が、みんな「うっそー」と云ってたと云う話。と云うわけで、どこへ行っても元気と馬鹿ぶりを発揮して可愛がってもらっています。


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2009年7月10日金曜日

Balibaba の 昼食


茹トウモロコシ25円、ふかしジャガイモ30円、チキンソテー70円

太陽をいっぱい浴びたバリの野菜は本当においしいのよ。(特に、ジャガイモを熱いうちにバターをタップリつけ、塩をパラパラっとふって食べるのが好きなの。)
写真は、最近の私の昼めし。そうです。お食事などと云うものではありません。左の向こうにあるのはスイカとパパイヤ。デザートのつもり。コーヒーは、キンタマーニで買って来たコーヒー豆を自分の好きな具合に焙煎して挽いたものだから5円くらい。デザートが20円くらいだから、合計150円。

夕飯は煮物をしたり、生野菜か野菜炒めに日本食専門店で買って来る刺身とか魚を焼いたり、気が向いたら天ぷらだったり。あまり量を食べる方ではないから結構2~3日分が冷蔵庫にたまったりして、そんなのを適当にまた料理して食べたり。

自分の好きな味にすれば満足するのだし、工夫次第で安くて楽しい食卓になるのよ。お隣に上げたいなあと思って持って行ったりするけど、面白い事にお隣 さんも、今これを食べていただこうと思ってたのよ。と、そこでまた一品増えて。 ついでにビールがもう1本増えたりもしますがね。はは、、、。

そして、週1回くらいかな? お気に入りのワルンで食べたり。月に1回くらいレストランへ行ったり。 本当に、日本の、所謂平均的サラリーマン、中流と下流の間の食事なのだけど、バリで食べるものは、みな、安くて助かるの。勿論、世界のお金持ちが集まる観光地だから、超一流の店もホテルもある事を云っておかなくちゃね。

年を取ったら一番の楽しみは食べる事だって聞いたことがあるけど、間違いないわ。いや、間違いなく年を取ったと云う事ね。
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2009年7月3日金曜日

気楽に行けるワルン


ワルンと一口に言っても、ピンからキリまであるが、レストランと銘打っている店とは違い、何と云っても一番の魅力は値段の安い事。その上、美味しいのよ。とっても。 私達がよく行く店は、バリに来て1年近くなってからようやく自分達の口に合う店を見つけ、しかも衛生面でも心配が無い(まあまあ)というのもあって、ちょくちょく利用している。

そこは、日本料理店と看板掲げている所よりも、刺身が美味しい。マスターは、エビなど捕ったらすぐにする船凍冷凍を自慢宣伝しているが、成る程美味しいです! 写真は2人分の皿盛りですが、マスターが日本人のせいか、盛り方も指導してるのかな?

手前のピンク色の花はマグロ大トロ、左はホタテ貝柱、右はイカ刺し。エビは注文しなかったけど、私はエビの刺身が一番のお気に入り。ホタテと同じ値段です。

あと、野菜のものを取り、一人450円くらい。ビンタンビールをのん でも600円で済むのよ。 日本でこれだけのものを注文すると、刺身だけでも2500円はするわねと私達は大満足するのです。

バリで、ひとくくりにどんな料理がお薦め?と云われると、そうですね え、やはり、(というべきか)中華ですねえ。多分世界中どこへ行っても(あまり行った事無いけど)一番美味しいのではないかしら。そんなに行くわけじゃないけど、レストラン級の中華料理店で、お腹いっぱい食べてお酒も飲んで、1000円位。嬉しくなるでしょ?!
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2009年6月30日火曜日

海岸沿いのドライブ

目的地無しでもバリの海岸沿いのドライブは結構楽しめる。私達は東へ向かって車を走らせた。バリに来た頃、クタの街の裏通りの道路の悪さにあきれ果て、これで観光地って云えるの?と怒ったものだが、さすがに国道だけは整備されている。

北の街シンガラジャ方面に行ったときも、インドネシア西部国立公園へ行った時も、国道の整備には驚いた。驚く方がおかしいのだが、それ程に、一歩脇道に入るとガタガタ道路なのだ。世界に冠たる観光地でしょ?検索したおり誰かが書いていたバリの形容詞、最後の楽園でしょ?

それにしては道路がねえ、、、と、バリに住んでいる人間として引け目に感じていたのも忘れて、左を見れば熱帯特有の大木と、点在する古い寺院。右に目を移すと輝く青い海。開けた車の窓から入って来る風は潮のにおいがして、すっかり満ち足りた気持になる。

遅い昼食は、ウイッキーお薦めのワルンだ。メニューはナシチャンプルだけ一品の店。店の中は現地人と中国人と西洋人が入り交じってそこそこに混んでいる。私も初めてのナシチャンプルとやらを取ったが、もう、びっくり!大きな皿の真ん中に白いご飯が盛ってあり、その周りには、鳥や魚の唐揚げと煮たもの。野菜も炒めたり煮たりしたものや、その他豆類もあ り、皿一杯にてんこ盛りなのだ。

ピーナッツを揚げたのが添えられて、それはご飯と一緒に食べるらしい。食べてるうちに、インドネシア特有のおいしい味だと思えて来た。混んでるわけだ。中国人も西洋人も来てるわけだ。納得、なっとく。それで日本円にして250円程度。早く云ってよ。あっはっは。


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2009年6月25日木曜日

バリ サファリパーク


バリにはいくつかの動物園などがあるが、バリサファリは広大な土地に ジャングルを模して作られたパークで、インドネシア、アフリカから集め られた60種類以上の動物達が保護され乍ら暮らしている。

なるべく自然に近い環境で、と云うのはあるが、人気の大虎やゾウは鎖に 繋がれていて、見物者と一緒に写真撮影が出来る。 皆喜んで一緒に写真撮っていたが、中でも獰猛な虎と撮影するのが大人気で 一緒に行った友人も撮ってもらい、あなたは?と云われたが私は断った。 だって、その虎ちゃん、「いいかげんにしてくれ~うんざりだよ~疲れたよ~」 と訴えているようだもの。 頭の中に、しっかりその勇姿が残ってるからいいのよ。


お目当てのホワイトタイガーは、さすがに鎖につなぐわけにはいかないらしく 広~い鉄柵の中で、悠々と歩き回っていた。 私達見物者もまたガラス張りの部屋から見るしかなく、少しがっかりしたが仕方がない。


おっと!! 突然、大サービスだよ!? と云うわけでもないが、カッ プルが 子孫を残す行為ではないか! ほんの一瞬の事だったが、どうにか撮ることができた。厳粛な、嬉しい気持の 一瞬だった。


しつけられた像の演技や、鳥たちの、教えられた舞やユーモア満載の猿 の演技を見てバリサファリのトラムに乗ってスマトラのジャングルに住む動物達を見て周り、 サファリパークをあとにしたのは3時間あとだった。 パーク内には立派なレストランも夕陽のきれいなホテルもあるのだが、 お昼は安く食べられるワルンにしようとなり、私達は東部海岸に向かった。


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2009年6月21日日曜日

何回行っても大好きなキンタマーニ地方







    

バリ島は、100歩くと、また、見てみたい箇所ばかり。最近アリッツで知り合った北海道の方に、お気に入りのドライバーを紹介したら、よかったら案内してくれませんかと云われる。まだ、わずか1年しかバリに住んでないし,案内と云うほどは出来ませんが、私の行きたい所でよかったらご一緒しましょうとなり、便乗させてもらった。

ブサキ寺院は、バリヒンドゥの総本山となっている。絵はがきにもなってるし、世界各地からの観光客で溢れている。バリは寺院だらけと云っても過言ではないと思うが、ブサキ寺院はさすがに総本山だけあって、壮麗であり、雄大に見えたが、人々は寺院に参拝すると云うよりも観光が目的なので、それを目当ての店や物売りがひしめいていて、もう、うんざりしてしまった。寺院そのものが商業化していると云う気がしないでもない、と、思った。

そのあとキンタマーニ高原へ行き、気分も晴れ晴れ。あ~、いいなあ。キンタマーニ高原はいつ来ても。特にその日はよく晴れて、バトゥール山と対比して見えるアバン山もくっきりと見え、バトゥール湖をやさしく包んでいるかのようだ。そして、そして、その向こう、雲の上にアグン山が聳えてるではないか!

アグン山はバリで1番高い山で、日本が霊峰富士と呼んでるのと同じくバリの人たちに崇められている山だが、その勇姿を目にするのは初めてだ。

案内した人たちについ自慢してしまった。超ラッキーよ! アグン山が見えて。しかも3ッつの山と湖が一望できるなんて!!と。

絶景を眺め乍らの遅めの昼食の美味しかった事は云うまでもない。さあ,次はホワイトタイガーに会いに行かなくちゃ。
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2009年6月16日火曜日

最近のbalibaba事情

あまりにも遊びが過ぎたのか、人付き合いが過ぎたのか、いや、飲み過ぎかも!?  体調が芳しくないので診察を受けることにした。 軽い咳、軽い痰、軽い胸の痛み。

日本人学校でボランティアで英語を教えているヘレンに、学校へ行く途中にある、ちょっときれいな病院の前で下ろしてもらい診察を受けた。すぐに、日本人の通訳の女性が付いてくれ、仲良しになったが、これはあとでの話だけど、また飲む約束なんかしてしまったのだった。

検査の結果、心電図に異常があるが、この病院には心臓の専門医が居ないからとの事で、デンパサールの公立病院に行くハメになったのだけど、なんとまあ!べッドに寝たまま点滴をし、おまけに酸素吸入器まで装着してなのよ!  ま、酸素吸入で、呼吸がらく~になったのは確かだけど。

何よっ、急に重病人になったみたいで、も~う、オーバーだっちゅうの!
勝手に腹を立てたりして、遂に可笑しくなって、クククっと一人で笑ってると、公立病院に到着した。診察の結果、入院となり、まあ、1日しっかり精密検査しましょうとなった。ホ~んと、やれやれ、、だわよ。 

ところが、です!そこでまた、日本人の通訳女性に世話になったのだが、この女性がまた大変な縁ある人とわかったのだ。高校時代のヘレンの生徒!(びっくり!!)だった事を知り、話をしてるうちに、バリで仲良くなったともえさんとも仲良しで、ドンファンの事も聞いていますとおっしゃるじゃないの。

それもその筈、彼女の旦那様(インドネシア人)はジャズミュージシャンで、バリをもっともっとジャズの盛んな街にしようと頑張ってるそうなんですよ。

人間の縁って、ホント面白い。babaの病気もまんざらじゃないわいと、妙に嬉しくなって、またまた活躍?? の場が広がったことを喜んでいる。

因に、わたくしは、大した事も無く1日で退院出来、ユリさんが演奏してらっしゃるカルティカプラザホテルのプールバーに、友好を深めに行こうとワクワクしている。

もう一つ伝えなきゃいけないわね。デンパサールのSURYA HUSADHA病院は設備も整っていて、手術は勿論、透析も完全。先生も看護士も、通訳の人も皆、それはそれは優しく親切でした。


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2009年5月26日火曜日

大イベントを見終えて

世界最大級の火柱が入場者を迎える

日本を竜インドネシアを虎に見立てた二つのみこしがぶつかり合う
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鳴り物入りでの前宣伝は、さすが山本寛斎の面目躍如。
素晴らしかった。

今後の日イ関係を尚いっそう盛り上げて行こう
との意欲が充分に汲み取れた。

バリ島ならではの野外舞台は、その昔のイタリアコロッセウムも
若しかしたらこの感じをもっと大規模にしたような競技場
だったのかなあ等と空想してみる。

和太鼓とガムランの入り交じった異国情緒たっぷりの音に
気持が高揚していく。
会場は常夏のバリとは言え、さわやかな海風が吹いて来て、
ちょうど心地よい日本の5月そのままだ。

巨大な火柱が広場を照らす中、日本とインドネシアの象徴の
竜と虎に分かれた二組の若者達の格闘技が終わると
一転きれいなお姉さん達のバリダンス。

そして、バリ風の神輿に乗った歌姫、アグネスモニカが
しずしずと下りて来て歌い始めた。
よく通る澄み切ったきれいな声。
その時、インドネシアの多くの大人が涙を拭っている。


INDONESIA TANAH AIR BETA
私がインドネシアの土と水ー(祖国)

PUSAKA ABADI NAN JAYA
永遠に偉大な遺産

INDONESIA SEJAK DULU KALA
インドネシアは昔から

TEMPAT DIPUJA-PUJA BANGSA
あがめ奉られる国

DISANA TEMUPAT LAHIR BETA 
其処で私は生まれた


その後に続く原語は省くが、
此処で生まれたわたしは、母に(国をも意味すると思う)大きくされた。
育てられ、守られ、年老いて目をつむる最後迄、
この場所で(国で)育てられた。

直訳すると、そんな意味の歌詞だと、
インドネシア学校の先生とホテルのスタッフに教えてもらった。
教えてもらい乍ら、わたしは涙した。
あのとき涙を拭った人たちの熱い愛国心が伝わったのだ。
この国の人々が、いかに自分の生まれた国を愛し、
誇りに思っているのかと。


今後、きっと私のインドネシア観が変わるであろう。
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虎と竜をした日本とインドネシアを象徴した

巨大な熱気球が打ち上げられようとしている

バリ島いっぱいの夜空に上がったかと思える気球

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2009年5月5日火曜日

面白くなって来たインドネシア大統領選挙

選挙権は無いし、他国の事だと云い乍ら、世話になってる国の事を面白がってはいけないわね。ひいては世界情勢も最後は1個人にも関わって来るのだもの。混迷している大統領選で、1日のジャカルタ新聞は一面のトップに「反ユドヨノ大連合加速」と報じている。

ところが、と、云うべきか、偶然にも?米タイム誌が最近の特集記事として、”世界で最も影響力のある100人” の中で、『リーダーと革命者』というカテゴリーで、20人を選んでいるが、その中に現インドネシア大統領スカルノも入っているのだ。4月30日に、この記事を知ったスカルノさんがタイム紙に早速意見書を出した。「私個人だけに対するものでなく、インドネシアに対する栄誉だ。今後も多の国家の模範となるような民主国家を目指したい」と。

同じ日のジャカルタ新聞に依る記事なので、余計おもしろく感じた。

さあて、7月8日の選挙の行方は?


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2009年5月1日金曜日

そろそろ熱くなって来ました

いや、暑さはいつも変わらないのだが、ヒートアップして来たのは近付くインドネシア大統領選挙の事だ。ジャカルタ新聞のみの情報しか知らないが、現大統領のユドヨノ氏が1歩リードしてたのが、ここに来て、前大統領のメガワティ女史が、グーンと票を伸ばす可能性を報道している。

と云うのが、今迄ユドヨノ氏の副大統領をしてたカラさんが、ユドヨノの民主党との決別を表明し、大統領に立候補したのだ。その上、闘争民主党党首のメガワティと共闘しようとの動きが報道されていて、ユドヨノの副大統領の指名をを辞退する以外にメガワティとの連携となると、ユドヨノさん大丈夫??なんて心配している。

勿論私には選挙権は無いし、まして、誰がインドネシア大統領になるのがベストか又はベターなのか分らないし知らない。この1年の間の街の噂、と云うより私の友達の間では、ユドヨノさんになってから、福祉の面で前より良くなった等と聞いたりしてるので、少なくとも前大統領のメガワティさんより良いのかな?って思うしか無いじゃない?

街の友達に聞いてみた。大統領選挙には行くの?と。『勿論よ。』と。まあ、誰に投票するの?迄は聞かなかったが。

インドネシア式生け花よと持って来てくれた女の子の花に、ホ~ッと暖かい、充たされた気持になった。



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2009年4月27日月曜日

ちょっぴり日本が恋しい


初めてバリに住みついた時は感じなかったホームシックのようなものを感じている。 こちらに帰って来て10日しか経ってないのに。

テレビから流れるニュースは、いい事なんて何にも無い。

ネコたちには本当に慰められる。今日もミミとチャビの親子が仲良く一つの皿で食べている。二人の子供たちはどこに居るの? どこに隠してるの? 歩けるようになったらきっと見せてくれるわね!もしかしたら子供たちのお父さん、おんなじかもね? ・・・などと、つまんない他愛も無い事を考えて笑ってしまう。

今週は雨が降らない。そろそろ乾季かな。

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2009年4月23日木曜日

自然といのち

桜の満開を満喫したのは3日間だった。4日目位からもう、ちらほら花の間から桜の葉の新芽が見えはじめ、10日の間にすっかり花が葉に変り、それはそれでまた葉桜として見応えある風景で、それも私は大好きだ。5月ころは黒く感じるような深緑になるんだわと日本をあとにした。

バリの私の部屋に着いた途端、ノラちゃんのチャビが挨拶に来た。な、なんと、お腹がすっきりして、私の留守の間に赤ちゃんを産んだらしい。実は、3月初め気がついたのだけど、どうもチャビのお腹がふくれている。お母さんのミミもお腹が大きい。

ミミはチャビの親だし、これはいいとして、チャビまでが、、、あー、何と、、言葉が出なかった。『チャビはチャーリーのお嫁さんにはなれないわあ。してあげないっ』と、驚きと複雑な感情がいり混ざった、押さえようの無い悲しみに、自分でも戸惑ったのだったが、チャーリーが生きていた頃、まだお乳を吸っていたネコが、半年経ったのですもの。半年で、大抵の動物は大人になるのよねえ。

自然の摂理と云うやつなんだわ。チャビ、怒ってごめん。でも、ママが日本から帰って来てから赤ちゃん生んでね! なんて勝手な事を云ったのだったが、3週間留守にしてる間に、、、ね、、お母さんになっていたのです!! 相変わらず、邪気の無いきれいな目をして。でも以前より落ち着いていて。毎日、赤ちゃんはどこに居るの?早く連れて来て見せてちょうだいよ。と、話しかけているのです。

花や木、小さな生き物、私達を包んでくれている大自然。それによって私達は生かされていると云う事を、しみじみと、本当に、有り難く感じたのでした。

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2009年4月20日月曜日

飛鳥山公園の桜


今年は桜の開花が早いとのニュースで、私が帰国する時にはもう散ってしまってるなあ、予定を1週間早めればよ かったと、後悔していると、何と、急に寒さが戻り、桜の開花が遅れそうだとのニュース。

まあ、何とラッキー!!待っててよ日本の桜。
ど うしても会いたいのよ!!
そして、帰国した翌日、恋しい桜に会えたのでした。

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神田川沿いに咲いた満開の桜

2009年3月27日金曜日

ハリラヤニュピの意義

一切の文明から自らを遮断し、静寂と闇の中で自分を見つめ、自然と原 始に帰り、家族と共に過ごすニュピは、バリ島の伝統でもあります。と、ホテルthe alit の人に真面目に教えてもらった。

バリ人は、数日前からニュピを迎える準備をし、数々の儀式を行い、当日は、瞑想し、祈りを捧げ、神々がバリ島を清めてくれるのを待つのだそうです。

厳粛な行事。そう、これほど迄に厳粛な厳しい行事は私の記憶では、無い。

世界中で一日だけでもこんな日があってもいい!と、本気で提案したい。環境の事,戦争や争い、見事な迄に改善されるのではないか。本気でそう思う。

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2009年3月23日月曜日

色んな思い。郷愁も含めて。一年ぶりの帰国を前にして、、










ひらひらと乱舞する蝶たちは、インドネシアにしか棲息しない貴重な昆虫として、大きな網の中でしっかり保護されていた。網は、大きな木も包むほど広いので、蝶たちは保護されている事も知らず優雅に飛び交っている。

絶滅の危機にある動物を保護しようとする動きは、世界中で広がっては いるし、日本でも取り組んでいるが、バリの鳥や植物や昆虫も、後進国(失礼!でも実感)ながら、あちこちで見受けられる。

2007年にオープンしたタマン.サファリ.バリでも、絶滅の危機にある貴重な動物の繁殖プログラムを進めていて、ホワイトタイガーの赤ちゃんが生まれたと云うニュースを目にしたので、是非見て来なくては、いや、会って来なくてはと思っている。

バリに住んでいる日本人の殆どが何とかしたいと考え、そして実行し始 めた事で、クリーンアップバリがある。清潔が当たり前の日本人が一番気にするゴミの問題。私も頭が痛い。こういう時だけ自分の年齢を誇示し(体力も無いので)私は参加してな いが、事ある度に街や海岸をきれいにしようと頑張って下さっている。

『バリの森を考える会』というのもある。日本のNPOの方達を中心にして、ウブド北部の植林に取り組んでいられる。

インターネットでバリ島を引いてみると、なんと『地球最後の楽園バリ 島」だって!
もし、本当にそう思ってるのなら、もっとこの島を、いや、大きく出て、地球を大事に,大切にしなきゃあねえ。とりあえず、ハリラヤニュピのような日を地球全体でやってみたらどうかしらねえ。一日だけでも、間違いなく空気がきれいになるよ。

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2009年3月12日木曜日

ジャワジャズとバリのお祭り

インドネシア最大の音楽祭典、ジャカルタ国際ジャワジャズフェスティ バルには、3日間で8万人が集まり、昨年の6万9千人を大きく上回った。と3月10日のジャカルタ新聞で報じられている。世界のトップミュージシャンたち2000人が集結してのものだそう。

日本の参加ミュージシャンのコーディネイトを手がけ、2007年には渡辺貞夫さんが監督をする企画を立案したブルーノートの小林栄さんは、「4年間ジャワジャズを見て来たが、ジャワジャズはアジア最大の音楽祭になった。日本では、インドネシアでこれだけの規模のイベントが行われ ている事さえ知られていない」と指摘されています。そして、日本のミュージシャンが出演する機会を設けたり、関連イベントを増やしたりも出来るのではないかと提案されている。

バリ人は、それはそれは、お祭り好き。学校が休み、銀行が休み、商店が休み、なんて、ごくありふれた光景。金持ちも、そうでない人も、収入の3割は祭りの為に消費するって!!

最近知った、初めて聞くお祭り。Hari raya Nyepi ハリラヤ ニュピ。
ハリ.ラヤと云うからには、お祭りなんだわね。なんと、サイレントディ、静かにしましょう!と云うのだ。

私も桜に会わせて、24、5日頃帰国しようと思ってた所、26日が ニュピで、その前後は、商店も閉まるし、飛行機も飛びませんよと聞くではないか。それで、用心して29日に立つ事にしたってわけなのだが、そもそもサイレントディってどうなるの??

先ず、乗り物一切駄目。日没後は火を使う事駄目。明かりも御法度。夜、明かりが漏れてると石を投げ込まれる。大きな話し声も禁止。学校、銀行、乗り物、スーパー。皆、静かにするべし! なのだ。

もう、もう、超面白い。と、私は思ってる。1年1回だけ、こんな日があってもいいんじゃない?!空気がきれいに なるよ。これは、インドネシアの行事でなく、バリ島だけの祭りで、いつからなの?と、聞いたら(20代のスタッフ)生まれた時からだから、知りません、だった。

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2009年3月5日木曜日

インドネシア西部国立公園


インドネシアには、実に多くの資源が眠ってるのになあ、と、心ある人たちは云う。資源を抱えてるのにねえと、じれったがってる理由は、自国にあるものを精製する方法を知らない、設備が無いということだと云う。
だから、外国資本がどんどん入って来て、いい所は持って行かれてしまうのだと。 

私は人の話だけだから決定的な事は知らないが、国立公園内には、インドネシアしか生存しない動物を保護してる箇所がいくつかある。ミンピリゾートの帰りに、その一つであるカンムリシロムクドリを見に行った。入園料が、えっと云うくらい高い気がしたが、まあ、保護する為の万分の一の寄付だと思えば気持いいと云い合い乍ら、美しい真っ白の、鳩より少し小さめの鳥をなるべく驚かせないようシャッターを切っ た。目の回りの瑠璃色が本当にきれいだ。雄は時々冠を逆立てて自分を誇示して、それがまた美しかった。

昨日のブログで3枚の写真を掲載したが、1番上は温泉がわいている所。

2枚目は右の方にもっと広がっている、入れる温泉で、手を伸ばすと海に届き、海水が掬える。向こうに茂っているのはマングローブの森。マングローブと云う名前の木や植物は無いそうで、熱帯や亜熱帯地域の河口など、満潮になると海水が満ちて来る所に生えている植物全部をマングローブと呼ぶのだとヤフーに載っていた。100種以上あるそうです。温泉につかり海から吹いて来る風を顔に当て乍らマングローブの森を眺めていると身も心も本当に癒されます。

3枚目は水牛と農夫。       

近々、やはりインドネシアしか棲息してない、それはそれは美しい蝶の様子と写真を掲載する予定です。

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2009年3月3日火曜日

バリ島西部へ行く




私達は,バリ島の西に向かった。北の端シンガラジャに行ってから20日後の事だ。途中、すっかり仲良しになったドライバーのウィッキーの家に寄った。古民家風の造りは中々立派で、きれいな奥さんと子供達と、お祖母さんが住んでいる。自分のうちに案内してくれるほど、バリ人のウィッキーと仲良くなれた事にも皆嬉しかった。

チャングーからウルワツを尻目に西に向かう途中、彼の有名な五つ星ホ テルブルガリに寄って見ようとなる。みんなキャッキャッと笑い乍らコーヒーだけよねと念を押し門に入ると思ったよりず~ッと質素なエントランスだ。

案内人がどうぞと指差す方に、カートが待っている。成る程成る程。カートが必要なわけだ。広大な敷地は起伏がはげしく、レストランへ行く道は南国の花のトンネ ル。遠くに目をやると、果てしなく海が輝いている。途中、ちょっと部屋を見たいと誰とも無く言い出し、ホテルの部屋に案内してもらう。もちろんバリ風だから一つ一つヴィラだが、私のヴィラとは雲泥の差。当たり前だけど。プライベートプールも付いていて、1泊18万円だとか。1番高い部屋は80万円ですって。

海を見下ろす崖っぷちにあるレストランでお茶をして、それでも満ち足 りた気分になり、また車を走らせる。北部方面より、平野が多いと云う感じ。あまりだんだん畑は無い。

何度見ても面白く感じるのは、稲刈りをしてる隣りの田んぼで田植えを している風景だ。その隣りの田んぼは青々とした稲穂。常夏の国だからなあ。見事な角をした水牛が荷物を運んでいる風景も時間を忘れさせてくれる。

ヌガラの県庁を過ぎて間もなく、というか、ようやくミンピリゾートに 着く。クタを出発してから4時間近く経っている。レストランで,今度は珈琲だけでない食事をとったが、皆満足したわ。海風もごちそうだった。そして何より満足したのは温泉! もう一度、今度は泊まりがけで行こうとみんなで話をしたのでした。

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2009年2月4日水曜日

バリの憂鬱

  赤道直下のインドネシアバリは今、まだ雨季が明けない。昼間、雨季とか雨とかを忘れるくらい晴れ渡っているのに、突然雲が出たかと思うと、あっと云う間もなく土砂降りの雨になる。そしてまた、さあ~っと太陽が顔を出す。夜中の大雨はすごい。時には雷を伴い、嵐かと思うくらい。それもまた、朝になると嘘のように晴れている。

南国の雨季はメリハリがあって、私は好きだ。尤も、真夜中の雷雨は心細い。ひたすら雷が通り過ぎるのを待っている。あとひと月もすると乾季に変わるとバリの人たちが云っている。
私にとっては、雨季でも乾季でもいいのだ。南国そのままだからだ。

果物は美味しいよ。多少、旬と云うのはあるが、おおむね1年中豊富。野菜も本当においしいよ。これも1年中ある。特に果物の安さは感謝もの。花も1年中咲いてるよ。いつもと変わらない花達。優しいインドネシア人。

な、ん、に、も云う事が無い。云うなれば、し、あ、わ、せ。

なのに。なぜ?落ち着かない。不安感は無いが、しっくりしない。何か、何処かに忘れ物をして来たようなじれったさ。人が聞いたら怒りだしそうな贅沢な苦しみ、と云って大げさならばちょっとナーバスになってない?あなた!でしょうか。

現実の世界のニュースは知っています。現実に目を背けてるのではない、決して。そして、心の揺れに感傷的になっているちっぽけな自分を思いっきり叱咤している。罵倒してみる。

それでも尚、インドネシアは、バリ島は、他所の国というのだけは変わらない。
所詮私はエトランゼ。 ストゥレンジャーなんですよね。

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2009年1月21日水曜日

忘れがたい山と湖を後にして

バトゥール山と対比して目の前に見るアバン山は、湖も、人をも包み込むようにして優雅に横たわっていた。 その、母のような山に囲まれて、静かに水をたたえるバトゥール湖は、あくまでも清らかで神秘的だった。

去りがたい山と湖を後にして、私達は北へと車を走らせ、ジンガラジャに向かった。オランダが最初に上陸したところで、その時抵抗して戦った地元の英雄のモニュメントが建っている。このジンガラジャに住みついたオランダ人が作った街は、バリの家並みと違って、洋風で、どことなくエキゾチックだ。

バリ島の首都がデンパサールに移るまで、オランダ統治下の表玄関として栄えた地であると云う事だが、バリの人たちは、「カンプンブギス」と 呼んでいる。ブギス村のバリ人でない人と云う意味だとドライバーのウイッキーが教えてくれた。オランダ人の血が混じっているせいか、やはりどことなく違う。

ブラタン湖やギギの滝などを見て回るつもりが、キンタマーニ地方で穫 れたコーヒーで、インドネシア初の、『地理的表示特許』が認定され、バリ から世界のブランドとして国内外の市場に出ると云う「キンタマーニコーヒー」を買いたくて、散々ウィッキーと鈴木夫妻を困らせたのは私の我がまま だったが、ようやくキンタマーニコーヒーを売ってるところを探して買って帰った。

キンタマーニで穫れたには違いないが、どうも私の思惑はずれ?かな?漢字とも中国語とも分らない表示で、『金塔馬尼 珈琲』とあるのには吹き出してしまった。ごめんなさい!

途中、カンプンロビナ『ベニュアリット』で食べたお昼はとても美味し く、ついつい、酒も、で、大満足した。田舎マーケットで、野菜や果物を買い込み、また、にぎやかに大笑いし ながらクタ方面の帰路についたのだった。


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2009年1月6日火曜日

ドライブ1泊旅行


アリッツに3月までいる予定の鈴木ご夫妻と車をチャーターして観光に出かけた。いつもの、行き当たりばったりの私と違って、スケジュールをきちんと立てて下さったのであやかる。

バリの、どの観光案内にも宣伝してあるところは勿論いいが、今回は、ご主人ががこちらで知り合った、産経夕刊フジの元記者さんのバリ体験ルポにある辺りに行ってみてもということになり、ご主人が日本から持って来たバリ島歩きの案内書なども参考にし乍ら、気心知れたドライバーと奥さんと4人の道中の何とにぎやかなこと! 一番ワッハッはとやってたのは私かも知れないが。

スマラプラ宮殿は、オランダが最後に制圧した地方の王の住まいだった跡だそうで、勇敢に戦った部族の英雄のモニュメントが街の中心にそびえている。 勿論、どの宣伝案内にも出ている。

塩田などを見て、塩を買い、昼食はロブスター食べたいねと、看板に、ロブスターと、値段も書いてあって、海も見えるレストランに入る。とても美味しくボリュームもあるインドネシア料理だったが、姿のままの塩焼きが食べたかったんだわ。

鈴木さんご主人のプランの宿泊先は、元記者さん紹介のキンタマーニ湖畔のレイクサイドコテージ。日本人の奥さんがOL時代に貯めた金で始めたと云うことだ。

そこへ行く途中、五つ星のアマンキュラホテルに寄る。まあ、お茶だけだけど。 やはり、さすが!いつか泊まりたいね。と云い乍らコテージに向かう。

この前来た時に、霧で見えなかったバトゥール山もバトゥール湖もバトゥール山と対比して湖を抱くようにして横たわるアバン山もくっきりと見えて嬉しかった。夜は、温泉につかり、簡単な夕食を食べた。明日の予定はシンガラジャ方面。バリ島の最北端だ。


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このメニューは?

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