2009年10月31日土曜日

バリのお盆が過ぎて

送り火を焚いてご先祖様の再旅立ちを見送りする日本のお盆の15日に当たるバリのクニンガンの前日、父母の大好きだったおはぎを拵えてお供えした。

まだ1年半しかバリに住んで無いけれど、矢張りバリの習慣に従おうという気はあって、そうすると、自然にバリの人たちの気持も分ってくるような気になる。ご先祖様や、チャーリーを始め今も愛し続けているペットたちが、ガルンガンの日にみんなどっと帰って来てくれた喜びの10日間、私は昔の思い出に浸った。

殊に母が、長女の私には、これは伝えておかなくてはと思ったらしい日本のお盆の習慣をしっかり覚えさせようと、厳しく教えた事などを思い出した。ご先祖様が帰られるのが深夜12時だからと云って、玄関に手洗い水を用意し、着物を着替えて正座し、「お帰りなさいませ」と深々と頭を下げた事など。

翌日からのお膳の決まり事もあり、14日と15日では勿論お供えする料理の内容も違い、それを一々教えた母を面倒臭がって何も覚えていない私は、今となって懐かしくまた申し訳なく思ったりしている。そして、今もって「男たるものは」ああでなくてはと、特別に優しかった父を思い出したり、、、。ペットたちとの時間を思い出したり、、、。

何故かしきりに少女時代ばかりを思い出し幸せ感に満ちていたのだが、さてみんながまた「来年ねえ」と一斉に帰って行った日から、心も身体も空っぽになったような脱力感と寂寞感に襲われてしまった。

いかん、いかん、これじゃあいけない、駄目よ!こんな気持、、、。

1日、2日、1週間、10日。ようやく自分に帰ることができたかな? その間も相変わらず友達が訪ねて来て下さり、中には日頃の私と違うよと見抜き何かと気を使わせてしまった。 持つべきものは"友”よねえ。

ありがとう。ありがとう。


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2009年10月15日木曜日

ガルンガン と クニンガン

今年は10月14日が ガルンガンに当たり、バリヒンドゥ教では大事な祭りとなる。

この日は、善の神と悪の神が闘い、善の神が勝利し、神々と祖先の霊が この島、地上に帰って来られるお祝いの日と云う。 日本人の理解とし ては13日のお盆の入りに当たるのかと思う。

日本では15日にご先祖様はまた帰られるが、バリヒンドゥでは10日後が クニンガンと云って、神々と先祖の霊が天に帰られるのだと聞いた。

因に、ムスリムに聞いた。イスラム教の人にはこのしきたりとか行事は無いと云う。 バリ島のイスラムの人は困った困ったと云うから、どうして?と云うと 店がみんな お休みだからって。

でも1日に5回のお祈りは大変でしょ?と不躾な質問をしたら、いいや、バリヒンドゥ の方が大変ですと云う。 「なんで?」 「バリの人たちはお祭りが多いもの」と云う答えが返って来た。

大部分のバリ人は悠長で友好的だと思ってる一つの理由でもあるが、ど んな宗教でも受け容れる。と云うよりも包み込むとでもいうのかなあ。 いい加減(塩梅の事です!!)? そんな所がある。 だが、祖先から受け継いだ神様、仏様は頑として何の疑いも無く、しぜ~んに 守り、継承して行くのよねえ。

バリの人たちの暢気さの現れかな? ヒンドゥ教の1日のお参りは「本当は」3回だけれど、大抵2回で、「最低」1回は、お供えとお参りをするんですと、にっこり笑う。いい雰囲気なんだわあ、それが。写真は1日2回お供えを持ってお参りするバリの女の子です。


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2009年10月7日水曜日

砂浜で楽しむ、バリならではの夕飯


ジンバランビーチ 
夕陽が海を染めてオレンジ色に輝いている

夕陽が沈み、薄暗くなると同時に、
椰子の葉の向こうから十六夜の月が上り始める。

ビーチは、採れたてのシーフードや

バリ料理を楽しもうという人々が続々集まって来る。


月が上空にある頃、ビーチに設けられた席は満席。
波の音をBGMに、おいしいシーフードやビンタンビールに
満足した人々は皆一様に幸せな顔をしていた。
                                    
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2009年10月3日土曜日

ニュース錯綜

中部ジャワ地方の地震のニュースや対策も片付かないのに、今度はスマトラ沖パダン地方の地震で、インドネシアは大変なことになっている。

世界の各地から直ぐに救援の手を差しのべていただき、感謝に堪えません。(っと、大統領みたいな事云っちゃって、ちっと恥ずかしいが)まだまだ被害は拡大しそうです。

同時期、バリ島クタ地区(私の住んでる地域)で、日本人女性が殺害された。バリ島は比較的(テロは別にして)事件は少ないと云われて来たが、最近は少し事情が違って来たようなのだ。

クタの目抜き通りや海岸、それに夜の店での麻薬密売や売春斡旋も耳にするし、ホントかしら?と私は信じられないけど耳に入ってくるのだ。観光を売りにしているバリの殺人事件は致命傷とも云えるので、今警察は犯人探しと解決に躍起となっているが、犯人のメドは付いているらしい。

それにしても、である。被害者の家族の方には申し訳ないが、日本の女性として、「どうだろうなあ」と、私は考える。恥ずかしいと云う言葉さえ浮かぶ。まあ、残念の一言です。

一言の下に云える事は、犯人が悪い!! これは決定的だ。だが、たとえ警察手帳(これは偽物だった)を見せられたと云ってもホテルに相談もしない不用心さで、真夜中にその男に付いて行くと云うのは迂闊すぎると思うよ。

それに、来るときは女友達と2人で来てい乍ら、夜の遊びは別々というのも弁解の仕様がないと云わざるを得ない。いくら遊んでいても2人一緒だったら今回の事件も起きなかったと私は思うのだ。

バリ島だけでなく、世界のどこへ行っても楽しい裏には怖い事もあると云う事をしっかりと頭に入れて遊び、行動して下さいね、お嬢さん方お願いよ。

まだある(日本では報道されてないかも知れないと思う)ニュース。

イスラム過激派の主犯格ヌルディンが、先月17日、国家警察に隠れ家を包囲された結果射殺されたニュースが大々的に報じられたが、遺体確認と遺体引き取りのため近親者が警察に来て、ヌルディンの兄とされる人が、インドネシアの人たちに(彼はマレーシア人)深くお詫びを、と頭を下げた。

それは当然として、そこへ、第1夫人、第2夫人、第3夫人も居て、第2夫人は、「皆で来ましたよ」と声をかけ、第3夫人は2人の子供を連れて来て、パパですよと云い、遺体は第1夫人が引き取ったと云う記事と写真が出ていたが、7年の逃亡生活の中で、数々のテロ事件の中心的役割を果たし乍ら、にも拘らずだよーと、ヌルディンって何者?って思った次第なのですよ。テロと関係なかった私は、一瞬思った。彼は、人間的には、或いは男として、魅力的な奴だったのかもねえと。

ホ~ント、私の頭の中も色々な思いが錯綜してます。

だから人間って、生きるって、面白いんですよ! と云ったら誰かにぶん殴られるかもねえ。ハイ、お嬢さんだけでなく、おババちゃんも気を付けま~す。


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