2012年3月29日木曜日

ロンボク島の日没


ロンボクの海は凪いでいた。
クタの海辺より鄙びているのがいい。

水平線上に見えるのはアグン山。

ロンボク島から見えるのだから、
さすがバリ島の神の山アグン山は高い。

上弦の月と一番星とアグン山と凪いだ海。

バリ島暮らしの最後を
祝福してくれたかのよう。

有難う。有難う。
               
             
                
                
                                     
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2012年3月26日月曜日

バリ島の健気な日本人 頭が下がる


日本人達は何らかの形で自分が日本とインドネシアの梯になろうと
頑張っている。目に見える一つがサヌールにある補習校、クタにある
カルチャー校、クリーンアップバリ、 キンタマーニに木を植える会など、
沢山の組織を作っていて、本気で活動している。




目に付かない所でも、日本人やインドネシア人に毎日曜日に野球の指導と
交流会、また、趣味の交流会など、おそらく日本にいたらここまでの活動は
しなかったかも知れない。先日デンパサールのアートセンターで年一度の
カルチャー、バレーの発表会を見に行き驚いた。学芸会の発表なんてもの
ではないのだ。3つ4つの子供から中年の美しき女性まで総勢60数名。
立派なバレーなのだ。

小さい子供たちのあまりのかわいさに涙してしまった。 写真のトウマ君。



4年前バリに来 た時 初めて見たが、まるまる太っていて、まだバレーと
云うには?と思って見たのだが、14才になった今、あー男性バレリーナが
誕生した!と、すっかり惚れ込んでしまった。

今はまだ目立たないけれど将来必ず中心的存在としてインドネシアと
日本を結ぶ役割を担ってくれるであろう5人の子供のお母さん。

もうすぐ帰国を前に、愛しい人たちを記憶に残せた幸せをかみしめて居る。
                    
                          
                              
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2012年3月17日土曜日

祖国の土を踏みたい

80歳になったら、ずっとバリに住むか日本に住むか決めようと
以前から考えていたが、私は日本に帰りたくなった。
70代の最後で、しかも元気なうちに日本に帰り、あと一仕事??
したいのとは違う気持になっている。

私は今、祖国の土を踏みたいのだ。

キザに聞こえようが どう思われようが、
私は祖国のみんなと痛みを共有したいのだ。

毎日のように報道される震災後の日本人の健気な姿に涙が溢れて来る。
私が帰ったところで何一つ、露ほども役に立たないのは分かっている。
それどころか以後はますます多くの人の世話になり、
家族にも迷惑をかけるであろう。

それでも私は今、祖国の人々と同じ空気を吸い、同じ土を踏みたいのだ。
                       
                            
                               
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2012年3月10日土曜日

もう 大丈夫よ



子猫が何やら羽の塊みたいなのにじゃれついている。
よく見ると自分の体くらいの鳥。
その脇で誇らしい顔をした母猫が私を見上げた。  

つい30分くらい前、母猫が何かを狙って身構えていたのを思い出した。
そうだったのね!私が日本に帰っても大丈夫だわね?
二人?いや二匹ともチャンと生きて行けるわね。

おっぱい以外には見向きもしなかった子猫のミーは、
母親の食べてる餌を一緒に食べている。 あー お腹いっぱい。
でもママのおっぱいも飲むのよ。
                                
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2012年3月7日水曜日

歩行者優先なしのバリ島

よく歩く日本人や外国人が特に注意しなければならないのが車とバイク。
バイクに乗ったバリ人が向こうから飛ばして来る。

勿論、私は道の脇を歩いているのだが、私のすれすれの所を飛ばすので
私は溝に落っこちそうになるほどよける。
彼らはそれでも自分が避けようとせず真っ直ぐ飛ばす。
100人が100人こんな風だから怖いのよ。気を付けましょうね皆さん。

それから日焼け。西洋人はメラニン色素が少ないからいいけど
私たち日本人、特に中年?過ぎの私達は、まだらな日焼けになるからご用心。

私なんか斑焼けになってしまって後悔してるのよ。
今更どうって事ないとは思いながら決して見よいものではないもの。
日焼け止めクリームも下手な付け方すると私みたいになるから、
まんべんなく付けてね。日がさをさして歩いているのは大抵日本人だけど、
これが一番いいようです。
                
                      
          
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2012年3月3日土曜日

バンジャールのおじさん




毎月始めになると役員をしているオジサンが二人で町内会費を集めに来る。
ニュークニンの中でも私の住んでいる一画は特にバリ島内で整備されている
部落と云える。

エアポートから伸びている国道はどの地区でも整備されているが、
一歩逸れた道に入ると何ともまあ、信じられない程のガタガタ道。
観光地と宣伝するなら、国も道路やどぶ溝やゴミを何とかしなくちゃねえ。

他の地域や部落でもバンジャール制度があると聞くが、
ニュークニンのこのオジサン達のように威厳を持って部落を引っ張ったら、
少しは溝やゴミもマシになるかと思う。
最近漸く私に会ってニコニコしてくれるようになった。



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