2016年12月7日水曜日

最高の演奏会でした

昨日6日、この方達の演奏を聴きたくて久しぶりに店に行った。

As 池田篤   B 米木康志   D 原大力

本当に良かったわ。素晴らしかった!! 満足して帰りました。


最近は、若い演奏家達も、驚くほど凄い。
この子達がギャラを無視してDnfanに来てくれるのにも感謝しているんです。

ミュージシャンあってこその我が店。
そして、それを聴きに来て下さる方々。店のスタッフも。
心から感謝を申し上げます。

2016年10月31日月曜日

秋 満開

 最後は広島が勝つかと思っていたけど、日ハムが大差で勝利。
どう見てても運がついてたわね。日ハム勝利お目出度う嬉しいよ。

近所の紅葉が奇麗。優しい気持ちになる。

唯一の道楽?であり趣味でもある競馬。秋に入って最も嬉しいのは
選らばれた馬達のレースを観る事。走る芸術品だものね。

菊花賞にしても天皇賞にしても、矢張り強い馬は強い。
見事な走りに満足。拍手を送りたい。

これから暮れの有馬記念迄、ぞくぞくする気持ちが続くと思うと
たまらなく嬉しい。馬達よ最後迄怪我しないで走ってちょうだいね。

2016年10月28日金曜日

ゲーム(否 真剣勝負)の面白さ

 27日の日ハム対広島カープの対戦ほど面白かった試合を見たのは
何年ぶりかな?。困った事に?私は昔からカープとファイターズの
ファンなのだ。

九州宮崎生まれの私が若い頃、九州には野球チームが無かった。
それで、九州に一番近い広島を応援しようとカープを応援し始めた。

子供達がまだ小さい頃だったから、多分50年前になるわね。

両チームが1対1で、先に点を取ったのが広島。
それで終わったら見てる方は面白くない。2対2になるよう祈った。

あとは皆さんご存知の通り。   感激したのは最後の最後。
事もあろうに(と,私は思った)9回の裏にファイターズが満塁に
なった事。その時のバッターが2番西川君。

ま、これでⅠ塁に行けるようなら1点差で日ハムの勝ちだなあと
見ていたら、何と何と、ホームランではないの!!!


ホント、自分の人生とも重ね合わす気持ちになったのは感慨深い
ものがあった。そう、死ぬ前に?満塁ホームランを打てば良いのよ!。
打ちたいもんだわねえハハハ(笑)相変わらず馬鹿のDonBaabaです。


2016年10月17日月曜日

続 豊穣の秋

秋は何を食べても美味しく、幸せを感じ感謝する毎日だが、
芸術の秋でもあり、各地での催し物の案内だけを見るのも
楽しい。

それに走る芸術品と思っている私の(笑い)一流馬がしのぎ
あう季節でもある。それがまた、おいしい食べ物を食べると
同じほど嬉しくてたまらない。

食べ物と違うのが、興奮と期待なのだ。でも、最後は無事に
走って来てね。と、馬券の事を一瞬忘れてアクシデントなど
起きないように祈っている。本当に馬が好きなのね。
何たって走る芸術品だもの。

これから暮れ迄これが続くと思うと本当に幸せ気分だわあ。

2016年10月14日金曜日

豊穣の秋

 どの季節にも特有の美味しいものはあるけれど、何たって秋ほど
実り多い季節は無い。特に果物。

切り詰めた生活をしているので、決して贅沢は出来ないけれど、この
季節しか食べられない物は、一度だけ食べる事にしている。

秋は柿。他にも栗とか色々あるけれど、矢張り一押しは柿なんです。

子供の頃お転婆の私は庭の柿の木に上って、熟れた柿をちぎって皮を
ぺっぺっと吐き捨てながらかじったのを昨日の事のように思い出す。
その時の幸せ気分迄思い出している。ホント懐かしいなあ。

今日は午前中から煮物に集中した。特にキノコを色々沢山入れて。
ダシもしっかりとって煮たので満足満足。

さすがに昼間からは酒や焼酎は飲まないが、夜が待ち遠しい。
特に焼酎はその土地の方から送っていただいた物で、毎晩ありがたく
頂いている。

店の事、心配が無い訳ではないけれど、Hide,Sinobuが頑張っていて
くれるので有り難い。感謝している。

何だかんだと言いながらDnfanbaabaは幸せでございます。
足の事故も9割かた良くなったし。  感謝感謝です。

2016年10月13日木曜日

ノーベル文学賞の事等

 最初に日本人のノーベル賞が決まり、とても嬉しかった。
科学の事はまるで分からないけども、研究された事等聞いていると
成る程なるほどと拍手を送ったのだった。

さて、今日はノーベル文学賞が決まるというので、関心を持って
ニュースを聞いていた。もし、村上春樹だったらフンと云おうと
思ってたら、ボブデュランだった。やっぱりねえ。納得。

彼の歌には(歌詞)には哲学があると思う。長年にわたって歌を
歌って来て人を愛する気持ちが伝わってくる。お目出度うございます。



毎年、日本の村上ファン達が或る店に集まって、今年こそ!と
発表を待っている様がテレビでも紹介されているが、「何なの」と
私は思っている。まあ、彼の全作品を読んだ訳でないから大きい事
は云えないけれど、若し今年、村上春樹が受賞したら、ノーベル賞
そのものにがっかりしたのは間違いない。

と、云って次回作かその内に賞を取るような作品を書くかもしれない
わよね。私は決して村上春樹を嫌ってる訳ではないのだから色々な
意味で頑張ってほしいと思います。




2016年10月3日月曜日

ようやく初秋を感じる満ち足りた1日

馬肥ゆる秋と云われるが、サラブレット達の季節でもある。
今日からG1レースが始まり日本ではスプリンターズステークス
があって面白く見ていた。やっぱりねえ。と思われる馬が勝ち
納得。

日本では。と、あえて書いたのは、他でもないレースの格では
世界一と云われる凱旋門賞も今日だった。

世界中から一流の馬達がレースに挑むから、まるで自分の孫が
走るような気分なのだ。10番の馬を中心にしよう。日本の馬
マカヒキ君は3着迄には来てくれるだろうからワイドにしよう
と、やっぱり日本の馬を贔屓にして、(4−14)(8−14)
(10−14)(2−14)(11−14)と、5点買った。
あ〜あ。マカヒキ君、何と、14着!!
1着2着3着と買ってるのにねえ。結果は10、4、8、で、
3頭ともあたってるのにねえ。仕方ないわ。日本人だもの。

最近、競馬番組のテレビに出ているお嬢さん、いつも5頭を
ボックスで買えば大体あたる〜と婉然とするのだが、5頭の
ボックスは買い目が60点だと分かってるのか知らん。
尤も60点は3連単馬券だから、当たれば大きいわ。

生活に応じて馬券を買ってるから、どうしても2〜5点しか
買えないし買わない。用心してついワイド馬券にしてしまう。
だから損してもどうって事無いし、儲かっても小さい。
何たって走る芸術品を堪能するのが一番だもの。


後で気がついた事だけど、世界一の厩舎、世界一の調教師とも
云われているオブライエン厩舎が3頭出して来て、1、2、3
を独占してしまった!!
そして、その3頭の父が、何と全部ガリレオ!! 衝撃!!

唯一の遊び、道楽として競馬をするようになって早30年。
実直な母もそれくらいは、、と認めてくれて最初の費用を
全部出してくれたっけ。最近はそこそこ競馬に詳しくなった。
それでも今日は本当に衝撃。オブライエンにガリレオ。


勝っても負けても走る芸術品を見るのは最高に面白い。
有り難うね。君たち。マカヒキ君、来年も挑戦したら良いわ。



2016年9月23日金曜日

感激と心配と感謝と

オリンピック  いかなる名作映画も芸術舞台もオリンピックの舞台には及ばないだろう。それほど私は感激し、涙を流しながら見ていた。

パラリンピックも同様!! 嗚咽さえした。感動した。選手の皆さん本当に有り難う。ご苦労様でした!!!そして、絶対2020年迄、元気に生きていなきゃと、心底思った。

感動も覚めやらぬまま、台風の襲来だもの。被害に遭われた地方の方々にお見舞いを申し上げます。大変でしたねえ。

九州宮崎生まれの私は、幼い頃から台風は本当に怖かった。一晩中大風に脅かされ、母を囲んだ兄弟六人は一睡もしないでひたすら夜明けを待った。


東京に来てから、台風の予想が報道されても女性達がハイヒールを履いて出勤するのを見たときは吃驚したものだ。それほど東京に台風は襲来しない。

今回特に知り合いや親戚が多い宮崎や鹿児島の被害情報を聞いて、電話をかけたりしたら、矢張り鹿児島の被害は大変だったようだ。

一応落ち着いた状況になったものの、オリンピックで受けた感動や、どう避けようも無い自然の脅威が過ぎて「やれやれ」等というのでない、もっと大きな感情に支配されて呆然としている。

その間二人の友達から焼酎が送られて来たりして素晴らしい気付け薬となった。いや単に只の飲んべえなのだけれど、茫然自失の私は美味しい思いと感謝で幸せ気分になった事は確かで、友達に感謝している。本当に有り難い事だ。

有り難うございました!!!





2016年8月19日金曜日

娘夫妻と食事




娘の旦那、つまり私の長女の婿殿は、よく食事に誘ってくれる。

今回は、大山駅の近くにあるうなぎ屋でご馳走になった。

私にとって嬉しいのは、ご馳走もさることながら、

家族で食事をするって事が何よりも嬉しい事なんですよ。  

美味しかったわあ。ごちそうさま。



2016年8月15日月曜日

71回目の終戦記念日


   何回目の終戦であろうと、私にとっては毎回、1回目の衝撃と同じなのだ。あの日、玉音放送があるというので、母は私を自分の隣に座らせ、じっとラジオに聞き入っていた。その横顔は凛として、覚悟の顔に見えた。

6年生の私は日本が負けた事だけを理解した。「なんで神風が吹かんかったの??」 私が母に向かって怒って云った。 学校で、日本は窮地に立つと必ず神風が吹いて守られると教え込まれていたからだ。学校の教えは全て国が統括していたから従わなければ国賊として罰せられる。そう云う時代だった。

母は優しく私を引き寄せ、「戦争が終わったから父ちゃんが帰って来なさるよ」とだけ云った。 、、、結局戦死の知らせが来ただけだったが、、、、、。

終戦、いや戦争を境にして、自分の人生が変わった事、人生観が変わった事を意識せざるを得ない。良きにつけても悪しきにつけても。

今は、仏壇の脇に置いてある父母の写真に向かって毎日毎晩語りかけない日は無い。そして、素晴らしい両親の元に生まれた自分を限りなく幸せに思い感謝している。



2016年8月11日木曜日

迎えてくれた花達



               花達が笑ってるように見えました。




2016年8月9日火曜日

Hijiki先生の事


何故Hjjikiかという事について彼女達美術部のメンバーの云い分が面白いので引用させていただく。

富士宮高校美術部に在籍していた70年代半ば頃、高橋秀浩という僧籍も持つ美術教師が赴任してきました。 実家はお寺ですが稀に見るユニークな教師でした。

ジーンズにロンドンブーツばりのぽっくりサンダル。
ラベンダー色のベストにクリーム色のYシャツといういでたち。
そしてシャツの第2ボタン迄外した胸元にはヒジキのような胸毛が覗いていました。

高橋先生の魅力は、その風貌にとどまらず,僧侶とも思えぬサバけた性格と何よりも的確な指導力でした。そんな先生を慕い、放課後の美術室は賑やかで、運動部並みに毎日作品の制作に励んだものでした。

私たちは尊敬と親愛の情を込めて、その特徴的な胸毛にちなんでいつの間にか『ヒジキ』とあだ名を付けて呼ぶようになりました。絵の具がこびりついた制服に、苦しいほどの夢を包んでいたあの頃。

魔法の言葉 『ひ、じ、き』

高橋先生の定年を知ってわきあがった「展覧会をやろうよ」の声。

その名称にHIJIKIを冠する事を快諾して下さった先生。こうして『HIJIKI展』が生まれたのです。2008年に始まった展覧会。それが今年で5回目なのです

と。


梅雨あけの富士




久しぶりに我が家に帰ったが、帰郷3日目に富士山がようやく姿を見せてくれた。梅雨時だもの仕方ないよね。

富士山に会えたのも嬉しかったが、娘の高校時代の友達、私から見ると娘同様の彼女達に会えたのも嬉しかった。富士宮高校時代の美術の恩師、通称HIJIKI先生を記念して、HIJIKI展が開催されるので娘は富士宮に行ったのだったが、私は色々雑用があっての事だった。2008年から開催されていて今年が5回目だという。

一応、娘が会長となってるらしいが、娘は名ばかりの会長で、すべて動いて取り仕切ってくれている(下さっている)のは美術部OGの皆さんだと娘は云っている。特に副会長文江さんには多大な迷惑をかけていると云っていた。

その文江ちゃんが車で我が家に送って下さり、しばし雑談。も~う、本当に楽しかった。高校時代から私も文江ちゃんが大好きだったから。おまけに、農園を経営しているお兄さんが丹誠込めて作られた富士宮名物の落花生をいただいた。


数日して東京に帰った私は真っ先にベランダの花達を見た。良かった良かった。花達は変わらず元気な笑顔を見せて迎えてくれた。ペット達も居なくなり、今では植木鉢の草花同様の花達が私のペット、子供達なんですよ。


2016年6月22日水曜日

九州地方の大雨にお見舞いを申し上げます

 大雨のニュースで、久しぶりに宮崎で生まれ育った頃を思い出した。
その頃は、日本列島に台風が上陸すると、必ず宮崎を通過した。
台風銀座とか新聞に載った「字」を覚えている。

一晩中大雨と大風に脅かされ、6人の小さな子供達は母を囲み、
おじいよー(怖いよー)おじいよーと云って母にしがみついた。

その頃母は35歳。「大ジョブ大ジョブ。おじい事ないよ。家が倒れる
筈が無いもん。」と、ぎいこぎいこ音を立てて揺れる家の真ん中に座り
子供達を両腕で抱いたままそう云った。私たちは台風が通り過ぎる迄、
朝迄寝ないで只ひたすら台風が通り過ぎるのを待ってたものだった。

35歳で6人の子供! そのうえ父は戦争に行ったきり生死さえ不明。

私は35歳で何をしていただろうか!?
それを考えるだけで、どれほどすごくて偉大な母であったかと、、、。

母は台風の晩、女一人でどれほど心細かったか、本当に大声出して泣き
たかったかもしれない。それをしなかった、それが出来なかったのは
しっかりと子供達を育てて、戦地から帰る夫に見てもらわなくちゃ。と
それのみだったに違いない。
    その思いむなしく、父は日本の地を踏む事はなかった、、。

今回の大雨で、私たちが小さかった頃の母を思い出して涙が止まらない。




2016年6月20日月曜日

6月19日

 昨日の日曜日は父の日という事で、父親に何をプレゼントしたら?
など、テレビでいろんなコマーシャルを流していた。

あと2ヶ月で終戦という時にルソン島で戦死した父親にはプレゼントのしようも無いが、甘い物が好きだった父に、おはぎを拵えてお供えし、父と母の写真に語りかけた。そして、本当に素晴らしい両親から生まれた事に感謝した。いや、感謝している。


自分自身の幸せは、世界の平和無くしては存在しないし絶対にあり得ないのだから、戦争だけはどんな事があってもしてはならない。

一人一人がこの事を自覚し、「自分に」誓わなければいけないと思う。


2016年3月22日火曜日

クラシックレースが始まる


 クラシックレースには、3歳馬が7000頭位デビューする中で
トーナメント式に勝ち進んだ18頭だけが出走できる一生に一度の
レースで、その頂点がダービーなのは、殆どの方がご存知なのです
が、私が馬に夢中になったのには「走る芸術品」と決めている思い
込み以外にも大切な思い出があるのです。

私が小学校に上がる前、庭先にはいつも馬の手入れをする当番兵
と呼ばれる人が馬の手入れをしていました。
つやつやと輝く馬と毛並みを、きれいだなあ。と思ったものでした。 

一年生になった私を父は馬の背に乗せて、小学校の門の前で下ろし
帰りも迎えに来てくれました。多分、今思うに越境入学だったに
違いありません。

途中、父は湧き水があるところで馬に水を飲ませ、また私は父と
一緒に馬に乗って帰った事を鮮やかに覚えています。

それも、長くは続きませんでした。今思うに多分父は連隊に入った
のでしょう。母も亡くなった今は誰に確かめようもありません。


大好きな、尊敬する父との思い出の中には、常に馬が一緒にいます。


去年、交通事故で入院してる時、ダービーがありました。
皐月賞を勝ったデュラメンテが必ずダービーも勝つよ。とワクワク
しながら見ていたらやっぱり!!。 強かったなあ。これで二冠馬。
菊花賞も勝って三冠馬だなあと思ってたら何と、両前足を骨折して
いて、菊には出走不可能。 因に菊を勝ったのはあまり評価して
なかった歌手のサブちゃんの馬。ま、お目出度うございます。

  デュラメンテは凱旋門賞に行ってほしいんだけど、どうやら
ドバイに行くようですね。

さあて、今年のダービー馬は!?

100回目のダービー馬を見なくちゃと切望してるのは私が生まれた
年に、日本で第1回目のダービーが始まったから。ふっふっふ。


                                                                        

2016年1月26日火曜日

思い出しても辛く悲しい

  天皇皇后がフイリピンと友好を復活した記念の60年目という事で、フィリピンを訪問された。それにつれて忘れたくても忘れられない、いや、忘れてはいけない思いが噴き出して来た。

私の父は、昭和19年の暮れ、陸軍に所属していながら、軍用船に乗り船舶隊長としてフィリピンに向かったのだった。私はそのとき小学4年だったと思うが、小学生ながらなんで?と思った。海軍と陸軍は喧嘩してるんだろうか?と単純に思ったものだった。

ルソン島のマニラに落ち着いた父たちは、民家に泊まっていたらしい。その家の娘さんが私と同じくらいだという事で父もかわいがっていたらしくその娘さんの絵を手紙に入れて送ってくれたのを覚えている。父からは1週間日おきに手紙が来た。5~6通もらった頃、ばったり手紙が来なくなった。20年の始め頃だった。

そして終戦。母と6人の兄弟は父の帰りを祈らない日は無かった。
ある日、村役場の人が見えた。戦死の公報だった。  6月19日と記されてあった。

あ~。あと2ヶ月で戦争は終わったのに~~~。

母は泣きもしないで神棚に向かい、「私も軍人の妻です。子供たちを立派に育てて参ります」と声に出して誓った事を昨日の事のように覚えている。母が一番つらく、大声で泣きたかったに違いない。いや、隠れて泣いたのかもしれない。

私が大人になり、母も今の私の年になった時、一番上の私に云った。
「今度の戦争は負ける」と父が言い残し、戦死する事を承知しながら戦場に向かったと。ちょっとでも当時の日本の状況が分かっている人達は理解していたのだ。

どんな事があろうとも戦争だけはしてはならない。してはいけない!!




2016年1月15日金曜日

15日正月。

    

 今日は1月15日。 田舎では15日正月と云っている。

この頃やたらと母の事を思い出す。
特に母が季節の折り目に必ずやっていた事だ。

正月7日は七草がゆ。子供6人に笑顔を見せながら、今年も
無事にいい一年が送れるように。ね。

15日は小豆粥。前の日から水に戻しておいた小豆を煮て
小豆粥を食べさせてくれた。「いい年になるよ~」

今年から母のまねをしてみよう。いや、母のいい行事を
受け継いでいこう。と思って、7日も、今日15日も
母のまねをしてみた。


やはり、母にはかなわないなあ~~。ちょっと味が違う。




2016年1月13日水曜日

平和への願望


 2016年、明けましておめでとうございます。

新しい事には何であれ気が引き締まるのだが、今年の新年ほど強く
世界の平和を望む気持ちになった事は無い。

平和あってこそ、人は幸せになれるのだから。

私たちの希いは究極しあわせになる事。簡単だけどたったそれだけ
の事なのだ。

その幸せも自分や家族だけでは幸せを感じられないし、決して
幸せではない。世界の、我が国の平和があってこそなのだ。

現世界の、Baaba一人どうしようもない国同士の戦争や争いごとを
どうしたらいいの??

また、自国の身辺でも考えられない事件の報道が多くある。

目出たいはずの新年から胸が痛いのです。どうかどうか、この一年
全世界が平和であってほしい。

考えられない事件が起こらないように。と、願望するのです。