2011年3月17日木曜日

嗚呼 我が祖国は、、、、、

     
 何と云う事でしょう、、、。 驚きと悲しみ。哀しみ。とてもお見舞い
申し上げますなど云えないほど、祖国への思いがこみ上げて来ます。

大津波から5日経つのにまだまだ収束のめどがつかず、次から次に大きな
余震が来て、さぞやさぞや、被災者の方々はおびえていられる事でしょう。

それよりも、亡くなられた方、未だ行方不明の家族、肉親を必死に探し
求める方々の苦慮は察するに余りあるものがあります。

その上に。その上に、ですよ。地震のためとは言え、原発の大問題!!
もう,言葉も出ません。胸が痛い。

悲嘆にくれてばかりではいけない! 私なりに過去をたどって思い出して
います。

1945年終戦直前。私は子供だったし、田舎育ちのお陰で空襲の怖さを
知らないのですが、戦後見た、東京の焼け野原の写真は胸に焼き付いて
いる。
                    
                   
それを思い出したのです。あの焼け野原から、立派に立ち直れたじゃ
ないの! 10年か前の神戸の震災からもも見事に復旧したじゃないの。

誰に向かって云ってるのではなく、自分に言い聞かせているのです。
そうでないと,私もこの衝撃から立ち直れないのです。

                     
                 
                      

2011年3月7日月曜日

ウブドのニュピ  ニュークニンのオゴオゴ 




     
 今年2011年のニュピは3月5日で、
翌6日がサカ歴の新年となるそうです。
一切の外出と電気や火を使う事を禁じ、
神々がバリ島を清めてくれるのを待ちます。
去年はクタで迎えましたが、ウブドの新年は
クタで感じたような朝の清浄感をあまり感じず、
いつもと同じに感じたのは、やはりウブドの方が日頃
の空気がいいのかな?と、改めて思ったことでした。
山岳地帯ですものね。
私が住んでいるニュークニンの人達も、
1か月前からオゴオゴの制作を始め、部落ごとに出来を競い合い、
花火をばんばん打ち上げてオゴオゴを神輿のように担ぎながら
部落中を練り歩きます。
まあ、担ぐ人も見る人も、ホントに楽しそうです。
根っからお祭り好きなんだわあと思います。



青鬼は 子供達が作ったもので、子供達が担いでいます。
子供達も根っから祭りが好きのようです。



2011年3月2日水曜日

3月さらさら

        
 
母がよく云ってた。2月逃げ月、3月さらさらだって。
2月は逃げるように早く去ってしまい、3月はまた、
さらさら~っと過ぎて行くんだって。
私にとって今年の2月はあっという間だったようでもあり、
今までになく長かったようでもあった。 とにかく、
自分の時間が持てなかった事が長く感じたのかもしれない。
ともあれ、今日から3月。母の云ってた様にさらさら~っと
行ってしまうのかな?
2月の24日は、生きていたとしたら母の100歳の誕生日
だった。日本から来て滞在してくれた八重子さんが母と同じ
名まえ!!二人で母の好きだったご馳走を拵え、赤飯も炊いて
お祝いした。
もし、母が生きていたとしたら、私はバリ島に来ただろうか?
多分、住んでなかったかもしれない。それとも母も一緒に
来てたかも!
親と云うのは、年が経つほどに懐かしさを増すものだと
しみじみ思う。