2011年6月30日木曜日

バトンタッチ Balibaba日記はお休みします

       
3年ちょっと私のブログを開いてみて下さった方達にお礼を申し上げます。

日本に居るときから自分一人の「作文教室」をやってましたが、1か月前から
娘達が近くに住むことになり、今度住み始めた部屋にも落ち着き、また
「作文」の続きを始めました。「作家生活」と云えると格好がいいんですけどね
はは、。

娘もブログを開いて1か月位になるのですが、これがまた! 中々面白い。
生活に即した事が多く、彼女なりのバリ島感想ですが、、。時々、脱線
してますが、、。これも親の血を引いたのでしょう。

Bali Bali Japan 珍道中 なんてタイトルをつけているようです
      
ブログアドレス
http://bbj.blog.so-net.ne.jp/       

どうぞ、一度ひらいてみてください。


私、Balibaba にお便り下さいますときは
donfan@wa2.so-net.ne.jp です。必ずお返事差し上げます。

       Terima Kash banyak banyak

                          

                                   

2011年6月21日火曜日

バリニーズの我が家


私は今住んでいる部屋を結構気に入っている。

この木の向こうの二階に私の部屋があり、庭を見ながらお茶を飲んだり、
夕暮れになるとリキュールを口に したり。庭は色々な蘭が咲いている。




一階のフロアーはおじいさまと現在のご主人の作品が飾ってある。
ご主人はデンパサールにある大学の芸術の先生だそうだ。



  
おじいさま。 きっと若い頃はラキラキガンタン(ハンサム)
だったに違いないわ。 となりは製作中の作品。


おじいさまは朝になると何年か前からの作品の仕上げに余念がない。


    
先生ご夫妻  先生も中々のラキラキガンタンです。

おじいさまの制作部屋の隣りはガムラン演奏が出来るようになっている。
何かのセレモニーの前には近所の人達が集まって練習している。

                          

2011年6月20日月曜日

祥月命日

 6月19日は父の祥月命日なので、父の好きだったおはぎを
拵えたいが、、など思ったがバリ島に居ると思うようにはいかない。

あ~そうだ。こちらに来る時お土産に持たせてもらった虎やの
羊羹と四谷坂本やのカステラがあるじゃないの!!

私が好きだと知ってて、もう何回も頂いている大事な甘いもの。
「真心がこもってるよ~」と父に話しながら供えた。

羊羹は割と涼しい所に置くとそのままで、カステラは冷凍しておくと
半年近くは持つ。凍らないからそのまま切って食べられる。
 今日は疲れたなあ なんか美味しい甘い物が欲しいなあ
と云う時、あーそうだと思い少しずつ頂くのだ。

ついでに、じゃ無いのよ決して! 真瀬さん田島さん西山さん恵ちゃん
有り難うございます! 声に出して、私は笑いながら父と母と3人で
いただいた。

来月はまた母の祥月命日を迎える事になるのだが、私も来月でセブン
セブンの2並びを卒業なんだわ~っ。

                    
                          

2011年6月15日水曜日

人は皆、ロマンチスト


遅い朝だが目覚めたらお祈りの声がする。

今度借りた部屋の人々が盛装をして僧侶と思しき方を中心に

氏神様にお祈りをしている。


そのあとで近くのお寺にお参りに行かれるらしい。


バイクのマディも盛装して「ブラに行くよ~」と
私に声をかけてバイクを飛ばす。

後でこのうちのご主人に聞いたら、

今日はフルムーン、満月だから。って。

たぶん、いわれも歴史もあるのだろうが、

私はロマンチックな気分に満たされた。





       この家のお嬢さん。 彼女はバリダンスの名手でもあります。




中空に浮かぶバリの満月       

                     

                                  

2011年6月14日火曜日

ようやっと

 日本へ一時帰国してまたバリ島に戻り、バリ在住4年目に入った。
「僕たちバリ島に住もうと思ってるけど、お母さんも一緒にどうですか?」
と言い出しっぺの婿殿と娘が、ようやく4年目にしてやってきた。

その間、日本とバリとを何度か行ったり来たりしてたけど、落ち着くまでは
無かったのが、ようやっと。と云う次第。

お互いによく云えば自立。悪く云えば我がまま。あとの方が正解なんだ
けど、ようやっと彼等が来たからって、一緒に住んで暮らす訳ではない。
私もその方が有り難い。まだまだ元気(の、つもりだけど)だし。

ちょうど彼等から5分の場所にいい部屋が見つかり、今そこに住んでいる。
バリに来て一番長く居たのがアリッツで、1年9ヶ月お世話になった。
福島さんをはじめ、スタッフも実に気持のいいホテルだったし、何より
チャーリーのお墓まである。仮に、今直ぐ日本へ帰る事になったとしても
一生忘れられないなあ。ジ・アリッツは。

ようやっと、一段落した途端、チビのことを思い出した。無性に会いたい。
いや、実は今度またバリに来た日から、チビの顔が頭から離れない。

帰国前、チビの事を人に頼んでいたが、1週間前にチビに言い聞かせた。
「わたし、もうすぐ日本に帰るけど、いい子にしててね。」と。

帰国3日前にチビと同じくらいのネコと庭で一緒に遊んでるので、嬉しく
なって、「よかったね~お友達が出来たのーー」と、すごく喜んだ。

その夜から、、、。チビを見てない。帰国する日も居なかった。
再度こちらに来てから、大きい声で呼んでみた。何度も何度も。そこら
中を探してもみた。以前は何処にいてもすっ飛んできたのに、、、。

ようやっと、それこそようやっと、こう思ってる。思ううようになった。
あれだけ利口で人懐っこく、それに、もう、半分は大人になったし、友達も
いるし、きっと何処かで暮らしてるに違いない。と。

チビ、幸せに。ね。

                  
                       

2011年6月3日金曜日

みんな頑張っている

ネカ美術館は、ネカギャラリーも持っている。ギャラリーは小規模 だけど、結構見応えがある。勿論、と云うべきかアリースミットの 部屋もある。因にこちらは入館料は取ってない。


入り口の斜向いに、小ぎれいな店があって入った。誰もいない。 置いてある商品に惹かれて見ていると、若い男の子が来た。 弁当らしき物を下げているので昼の弁当を買いに行ってたらしい。


「ゴメンナサイ」と微笑みながら、片言の日本語で云う。 思わず私は「あっ」と叫びそうになったが、「いいのが沢山あるね」 とニコニコして云った。


彼の足は、もう、殆ど車いすが必要な位なのだ。なのに、彼はそれを
気にする様子もなく、弁当も傍らに置いて私の相手をしようとする。

何も買わずに出るのも、、など思い、小物を手に取ってディスコン OK?と云うと、ここは僕たち身体障害者が制作した物を売っていて 利益は障害者の為に使うのですと、これもニコニコしながら云うではないの。



















「これは僕が作った物です」と指差した製品は木彫りの馬がほとんど。
さっきまで制作してたらしい場所には木屑がちらかっている。

え?ホントなの?と云いながら手に取って触ると、欲しくて欲しくて たまらなくなった。本当によく出来ている 。「君はどれが一番好き?」と聞くと、「これ」と云ったのが、何と天馬。


「う~ん、ブラパ?」と聞くと、手が届かない値段でもなく、そうよ、 2週間くらいビンタン止めとけばいいのよ。ねえ。と、自問自答しておまけに彼等の為に雀の涙くらいには役に立ったら嬉しいし。と買って帰ったのであります。






日本も頑張ってる。バリでもこの男の子みたいに頑張っている。みんな
みんな頑張ってるわ~と嬉しくなって希望でいっぱいになったのでした。








2011年6月1日水曜日

これは自分の問題!!

      
 今日から6月。日本の大事件から2か月半が過ぎた。現地の人達が
必死に立ち上がろうとしていられる姿を見ては涙を流し、子供達の健気
な言葉を聞いては泣き、今もって胸の痛みは収まらず、果てはバリ島で
ぬくぬく(でもないけれど)暮らしている自分を許せなかったり、、。

と、ブログの更新をする気持にもならなかった自分が腹立たしく情け
なかったのだけど、「これは違う! これは自分の問題だ!」と気付
いた途端、私こそ立ち直らなければ!! 日本同胞に申し訳ない!
そんな思いでいっぱいになった。

ようやく、ペンを取る気になり、人それぞれが持つ「使命」、、という
ほど大げさではないが、、、私なりの今後の生き方なり、感じたままを
ブログで伝えようと云う気になった。

今後も80歳近くなったbabaの、リタイアメントビザで一人で暮
らす様子やバリ人との交流などを、ささやかながら伝えられたらと思う。
「リタイアメントビザ バリ島一人暮らし Balibaba日記」 かな?