2016年1月26日火曜日

思い出しても辛く悲しい

  天皇皇后がフイリピンと友好を復活した記念の60年目という事で、フィリピンを訪問された。それにつれて忘れたくても忘れられない、いや、忘れてはいけない思いが噴き出して来た。

私の父は、昭和19年の暮れ、陸軍に所属していながら、軍用船に乗り船舶隊長としてフィリピンに向かったのだった。私はそのとき小学4年だったと思うが、小学生ながらなんで?と思った。海軍と陸軍は喧嘩してるんだろうか?と単純に思ったものだった。

ルソン島のマニラに落ち着いた父たちは、民家に泊まっていたらしい。その家の娘さんが私と同じくらいだという事で父もかわいがっていたらしくその娘さんの絵を手紙に入れて送ってくれたのを覚えている。父からは1週間日おきに手紙が来た。5~6通もらった頃、ばったり手紙が来なくなった。20年の始め頃だった。

そして終戦。母と6人の兄弟は父の帰りを祈らない日は無かった。
ある日、村役場の人が見えた。戦死の公報だった。  6月19日と記されてあった。

あ~。あと2ヶ月で戦争は終わったのに~~~。

母は泣きもしないで神棚に向かい、「私も軍人の妻です。子供たちを立派に育てて参ります」と声に出して誓った事を昨日の事のように覚えている。母が一番つらく、大声で泣きたかったに違いない。いや、隠れて泣いたのかもしれない。

私が大人になり、母も今の私の年になった時、一番上の私に云った。
「今度の戦争は負ける」と父が言い残し、戦死する事を承知しながら戦場に向かったと。ちょっとでも当時の日本の状況が分かっている人達は理解していたのだ。

どんな事があろうとも戦争だけはしてはならない。してはいけない!!




2016年1月15日金曜日

15日正月。

    

 今日は1月15日。 田舎では15日正月と云っている。

この頃やたらと母の事を思い出す。
特に母が季節の折り目に必ずやっていた事だ。

正月7日は七草がゆ。子供6人に笑顔を見せながら、今年も
無事にいい一年が送れるように。ね。

15日は小豆粥。前の日から水に戻しておいた小豆を煮て
小豆粥を食べさせてくれた。「いい年になるよ~」

今年から母のまねをしてみよう。いや、母のいい行事を
受け継いでいこう。と思って、7日も、今日15日も
母のまねをしてみた。


やはり、母にはかなわないなあ~~。ちょっと味が違う。




2016年1月13日水曜日

平和への願望


 2016年、明けましておめでとうございます。

新しい事には何であれ気が引き締まるのだが、今年の新年ほど強く
世界の平和を望む気持ちになった事は無い。

平和あってこそ、人は幸せになれるのだから。

私たちの希いは究極しあわせになる事。簡単だけどたったそれだけ
の事なのだ。

その幸せも自分や家族だけでは幸せを感じられないし、決して
幸せではない。世界の、我が国の平和があってこそなのだ。

現世界の、Baaba一人どうしようもない国同士の戦争や争いごとを
どうしたらいいの??

また、自国の身辺でも考えられない事件の報道が多くある。

目出たいはずの新年から胸が痛いのです。どうかどうか、この一年
全世界が平和であってほしい。

考えられない事件が起こらないように。と、願望するのです。