2010年12月29日水曜日

流鏑馬(やぶさめ)と競馬(くらべうま)

    
 最近必要があって、所功氏の「京都3大祭り」を読んで
面白い事を知った。始めて。と云うのは私の知識の無さかも
知れない。「くらべうま」競馬のことである。
祭りは元来天下太平と五穀豊穣を祈った神事である事くらいは
知っていたし、流鏑馬も各地の神社で奉納される行事だ。
所氏の京都賀茂神社大祭の中に競馬が詳しく記してある。
今のように「けいば」でなくて「くらべうま」である。
賀茂大祭は欽明天皇の時代、(6世紀半頃)に始まり1093年
堀河天皇時代に「十番の競馬を奉る」と云うことになり、それに
必要な馬20頭は荘園から集められ、更に社家の子弟から20人
の乗り尻(騎手)が選ばれ、一の鳥居から二の鳥居まで走り
勝敗を競ったのだそうである。十番と云うのは、20頭の馬
を、2頭ずつ組み合わせて、競技するかららしい。
時代と共に変遷はあったが,1923年、競馬法が施行され
現在に至ると書いてあった。
凱旋門賞第1回が1920年だそうであるから、日本で競馬法の
制定されたのと殆ど同じだし、欽明天皇時代から「神事」として
奉納されていた事は、やはり馬という「走る芸術品」は、只ならぬ
動物なのだと改めて感じ入った次第である。

最後まで「馬」の話で今年は終わりました。もう一度、よいお年を!
                              

2010年12月28日火曜日

年末の区切り行事 人それぞれ

メリークリスマス&ハッピーニューイヤーを 区切りとする人々や、 家庭や会社事情、国によって様々ありましょうが、仕事第一線を退いた後の私は、何と、12月最後の日曜日にある競馬の祭典、有馬記念なのであります。ふっふ、、、。

応援してる馬が勝つのが一番嬉しいけれど、どの馬が勝とうと負けようと、あの、走る勇姿を見て胸がキュ~ンとして、美しいー思って一年が終わるのってハッピーでしょ!?

現役馬では、牝馬でありながら一番強いと思っていたブエナビスタは、展開のあやとか、得手不得手の競馬場もあり、2位でしたが、3位までが同タイムですから強い事に異論を云う人は無いでしょう。

それで、「聞いて聞いてよ」。まあ、 バリでは競馬のおしゃべりをするなんて出来ないので、、ははは。


11月29日のBalibabaブログ、勝負事の妙 面白さと云うのを
書いてるんですが、そのときの写真、実はブエナビスタではなく、トゥザグローリーと云う名の3歳の牡馬なのです。

立派な血統馬であることは勿論なのだけど、その顔、立ち姿、優雅この上ない雰囲気。
すっかり虜になった私はブログの写真に名まえも入れないまま、出していたのです。この仔は走るぞ~って。

そしてそして話はこれから!! その仔が今回の有馬記念に出走して何と、15頭の中で14番人気ながらタイム差無しの3着に来たのです!
3着の馬の事なんて、テレビでは(あ、バリの日本版テレビはさすがに有馬記念とあって放映しました。かじりついて見てましたが)一言もなく、3着トゥザグローリーと云っただけでした。私の喜びようは伝わりましたかしら? 因にこの仔の名まえの意味は

”栄光に向かって”


先週の事。わたしの許に子猫が迷い込んで、
自分の家みたいな顔をして
住みついてしまってるのです。
18歳でバリに連れて来たチャーリーが、こちらに来てからわずか5か月 で死んでしまって、その時もう今後は絶対ペットは飼わないとチャーリーに誓ったので、安易に家のネコには出来ないから、貰ってくれる人が 見つかるまでと思って置いてるのですが、これが又滅茶苦茶 頭がいいの ですわ。餌を食べるよりも私にくっつきたがって、ノラじゃないようです。

野良猫は絶対人間に触らせないですから。
まだ生後1か月位でしょう。可愛い顔をして小さいから「ちび」と呼んでいます。 バリは今雨期ですので、太陽が燦々と照っていても、一天俄にかき曇り、 なんてよくある事ですし、最近あまり外出もしないのでチビの相手を所在なく??しているBalibabaの年越しです。 
皆様いいお年を~~

2010年12月21日火曜日

バリのお盆

今年は、お盆の入りのガルンガンが12月8日に始まり、
クニンガンの終わりをもって、ようやくお盆の行事が終わった。
その間10日間か? 

ガルンガンの間中、人々は賑やかに騒ぎ、普段は外人ばかりが
目立つモンキーフォレストにバリ人の家族、親子連れを多く見た。
最初、気が付かなかったのだけど、イプンに云われて良く見ると
成る程ほとんどバリ人。手を引かれたり肩車されたり、
みんなニコニコ猿達に話しかけながら森を歩いている。
「いい風景だなあ。私も嬉しくなるよ~」 
 

フォレストの中にあるお寺、プラ、ダラムは、
死者を祀る寺とされる。
8月初めの頃、このプラダラムでお祭りがあり、
私もバリ人よろしく盛装して中に入れてもらったが、
とても立派。荘重な中にバリらしい色と装飾が施されていた。
そのお祭りや、1月間も続いたのだ!!

クニンガンは日本のお盆で送り火を焚いて「お客さま」を送る
習わしと同じだから、人々は又盛装して村を回り最後に
プラダラムへ行く。日本の灯籠流しみたいかな? 

女達は、お供え物を頭の上に乗せて神輿のあとについて行く。
男達も盛装して神輿のあとに続く。男達が腰に巻いたサルンは
どれ一つとして同じ布、柄が無いのに気付き、驚いた。
今まで気にも止めなかったが、後ろから行列に付いていて
始めて気が付き、よく見ると、小さい男の子まで色柄の違う
サルンを巻いている。唯一のオシャレなんだなあ。
                                              
                                    

2010年12月16日木曜日

突然の訃報。同時に思い出した「第9」

        
残念な知らせです。と、息子からのメールが来た。
バリに来て始めて目にした訃報。

マーちゃんと呼んでいて、息子みたいに可愛がり、
またマーちゃんも「おかあちゃん」と云って仲良くしていた。
本当によくしてくれた。

マーちゃん、早すぎるよ。 早い! お母ちゃんより先に逝くなんて!!
今度帰国したら大いに飲んでしゃべって、、、と楽しみにしてたのに。

マーちゃんが第9の切符を取ってくれ、
二人でコンサートに行ったのは12月の今頃だったね?! 
私が喜んでるのを見て、毎年プレゼントすっからね。と云ってくれたわ。
私はいま涙を流しながらこれを書いてる。

マーちゃんは、うちのHideと同じくらいの年齢だし、
そんなに早く逝くなんて親不孝だぞ!

マーちゃんの「バカさ」がとても好きだった。
一見、豪放磊落に見えてたけど本当はそうじゃなかった。
繊細で優しく、よく気の付く子だった。
何でも知っていて,私に歩く百科辞書と揶揄されてたね。

耳を離れなかったシンフォニーも終わりが近付くにつれ、
歓喜の歌に変わった。そうだよ! 
悲しんでばかりじゃマーちゃんも嬉しくないよね。
おかあちゃんは生きるよ!!死ぬまで!!  

ご遺族の方々に慎んでお悔やみを申し上げます。 

マーちゃん安らかに。ね。
                       
                                 
                                               
                           

2010年12月10日金曜日

バリの若者達

クタに居る頃から、20歳前後の若者達が小さなゲームセンター
たむろして朝から夕方まで遊んでいるのを見て、仕事が無いのは
分っていても、「何故だろう?いいのかな?」と、余計な心配を
したものだけど、日本の友達と話していて勝手に結論付けたのは、
「果物はいつでもなってるし、寒くないからその辺に転がっても
眠れるし、何よりも、大家族制度だから、家族の中の誰かが稼いで
来れば何とかなるんじゃないの?」 
 
本当の所はもっと他にあるかもしれないし、直接声かけて聞いた訳
ではないから安易に結論付けるのも妥当ではないだろう。
とは思っている。
 
ウブドでも、そんな若者を見なくもないが、クタより少なく感じる
のはウブドの人達の主な仕事が農業である事が大きいのかも
しれない。と、思っている。
最近知り合った夜間大学生の一人は、雨が降らない限り昼間は
家業の野菜造りを手伝っていると云う。その子の友達はホテルに
もう6年間も勤めてると云う。
 
もう一人は女の子で、結婚して子供もいるのだけれど、もっと
もっと勉強したいのだと。その子は目下お手伝いさんをしている。
 
3人とも20代の、ほんとにいい若者達で可愛くてしょうがない。
知り合ったきっかけも彼等の専攻が、日本語だからである。
とりわけ日本の伝統や文化に興味を持っている。
 
将来はどうするの?の質問に、3人の答え。
「学校の先生になりたい」
突っ込んで聞いてみた。教育と云う事業に対する情熱が半分。
あとの半分は年金があるからと。公務員にならないと年金が
付かないから、バリの若者は、できたら皆、警察官や関税関係、
要するに役所勤めを希望してる。と。
インドネシアでは一流と云えども,民間会社は何年勤めても年金が
無い。いずれも納得したし、またいじらしくも思った。
 
しかし、桁外れの理想や情熱を持つ青年が居てもいいのじゃないか?
出てもいいのじゃないの?! もう、何処かに居るかもしれない!?
等と切望する勝手なBabaちゃん。ごめんなさいね。何もできなくて。
 
 
ガルンガンは、日本で云えばお盆。出稼ぎに行ってる家族も交えて,また日頃疎遠の親戚や友人達とも交流し殆どの店が休みとなり、バリ人は陽気に騒ぐ。
 
子供達は親に作ってもらった獅子舞」をしながら、村を回ってお小遣いを貰っている。