2009年1月6日火曜日

2008年12月30日火曜日

2008年もサヨナラか!?

泣いても笑っても今年はあと3日。2008さようならです。

75年生きて来て、赤道直下のバリ島で暮らすようになるとは考えても見なかった。が、今ここで私は生きているし、まあ、どうって事でもないようにも思える。

四季の変化があろうと無かろうと、皮膚の色が違おうと、言葉の違いがあろうとも、陽は東から昇り西に沈み、人間の営みは「おんなじ」同じだからだ。

この一年、振り返る暇もないないくらいの変化はあったが、一歩の進化も無かったのが口惜しい。こうした人間の営みの繰り返しで一年が終わろうとしている。これでいいのか?と、自問する前に、今、此処にこうして生きている事だけで奇跡なのではないのでしょうか?みんな、そうなのです。生きている事が奇跡なのです。幸せなのです。

また来年も、愚にもつかない事に一喜一憂し「いっしょけんめいに」生きてゆこうではありませんか。2008年よアリガトでした。

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2008年12月26日金曜日

バトゥール湖からタナロットへ


キンタマーニは山の名前と勘違いしていたが、標高約1000m 以上のバトゥール山麓付近一帯の村を指すのらしい。キンタマーニ地方とも云っている。雨期に入ってから観光したので、バトゥール山は霧でかすんでいて写真を撮ることができなかったが、バトゥール湖は、瞬時晴れて上掲の写真を撮ることができた。

クタから1時間くらい車を走らせると、だんだん空気が澄んでくるのを感じる。バトゥール山の裾野に広がるバトゥール湖は、見ているだけで心も洗われるような気がする。

たまたま時を同じくして、ジャカルタ新聞に紹介されていたが、キンタマーニ地方で穫れたアラビカ種のコーヒーのみが、『キンタマーニ.コーヒー』の名前で、インドネシア初の「地理的表示特許」と認定され、バリから世界のブランドとして国内外の市場に出るようになるとの事で、何だか自分の事のように嬉しくなっている。

途中、ウブドのカンプン(田舎の意味)カフェで昼食をとり、タナロット寺院へ向かった。

バリ島の絵はがきには必ず加わっている、一見、人工的とも見まがう自然の巨大な岩?島?島にしては可愛い小さな島のまん中の洞穴に仏が祀ってあり、干潮の時にはそこまで行けるそうだが、私が行った時は満潮だったし、眺めるだけだった。 本当はタナロットのサンセットを見るつもりで時間も合わせて行った のだが、雨期と云うこともあり、雲が邪魔をして。でも、その雲がまた素晴らしかった。 地平線の上いっぱいに広がった雲。気持も雄大になる。

夕日に映えたタナロット寺院を見られなくて残念がっていると、乾季のときでも、なかなか絵はがきのような夕陽には出会えないとの話だった。 

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2008年12月24日水曜日

チャーリーの友達、もう一度。


チャビと付けた女の子、相変わらずチャーリーのお供えを食べに来てますが、この写真、2匹仲良く食べてるのは、母ネコのミミ(と呼んでます)なんです。

ちょっと前、めずらしくチャビが食べ残してるので、??と思ったら親ネコを呼びに行ったらしいのよ。初めて母ネコが食べに来たの。そして、ごらんのように仲良く食べてるじゃないの。それから、1週間くらいだけど、親子一緒に来て、仲良く食べてるの。毎日ね。

親子だなあ、、。と、私、感心しきり。
近頃の親や、物心つき始めて何を考えてるのか分らん子供。それより(・・・やっかいな人間のことはさておき・・・)もっとネコ好きの皆さんに見てもらいたくて、またまたブログにしました。おわり。



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2008年12月17日水曜日

チャーリーにガールフレンド??

毎日チャーリーのご飯を食べに来る子猫。勝手にチャボ君なんて呼んでいたが、どうも、おんなの子みたいなの。凛々しい顔しているし、ハンサムだなあと思ってて。でも何となく、君、おとこの子?おんなの子?って聞いてはいたのよ。何たって野良ちゃんだから、近付きすぎると逃げるし、確かめようがなかったのよ。

でも最近、食べてるそばで見てても、平気で食べるようになって、ありゃ、おんなの子ちゃんじゃないの。じゃあ、美人だし、名前はチャビにしよう、ってチャビちゃんに改名しました。アッハッは。

チャーリーは、とうとうおんなの子と縁がなく、生涯独身でした。これは全く、飼い主の我がまま以外の何ものでもなく、若い時は表でメスネコの鳴き声に耳をピンとそば立てたりしたんだけど、だんだんそれもなくなって、バリに来た時なんか、外の声がしても知らんふり、何の反応もしなくなって、人間で云うと、80歳すぎだしねえ。と、毎日おだやかに昼寝などしてるチャーリーをみては思ったものでした。最期も、ほんとうに、おだやかに、しずかに、私の腕の中で逝ってしまいました。


風さんに教えられました。 風さん、ありがとう。
星になったチャーリーは、風になって、いつもいつも、わたしの
上を、まわりを吹き渡っているのですわ。

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2008年12月13日土曜日

ビーチの隠れ家的スポット

バリのビーチと云うと、観光客の派手な水着スタイルと、大部分がカップル、家族連れ、団体旅行にサーファーと、時に、逞しい体つきの男性と、インドネシア人の若く可愛い男の子のカップルもある。まあ、本当に皆みな、エンジョイしてる様は見ていても楽しい。

因に今12月、日本は氷点下**度です、のニュースも聞くが、バリは勿論、夏。ビーチも乾季ほどの盛況は無いが結構賑わっている。


こちらで一番の仲良しになった友人が、空気も海もちょっと違うわよと連れて行って下さったのが、パタンバイ海岸。ここからは、ロンボク島への船が出ている。その湾からひと山越えたところに、また湾があり、これがブルーラグーン。まさに隠れ家的、いや、隠れビーチ? これもおかしい? でも、そんな感じ。


が、知る人ぞ知る、というか、さすがはダイビング会社の社長さん。あ、ちょっと紹介すると、彼女のご主人がバリの人。子供が12歳を頭に5人! 涙もろく太っ腹のママは、武蔵野美大を出た才媛。5人の世話ばかりでなく、も一人子供のようなbabaも入れると6人の面倒もスイスイこなしている。ブルーラグーンで子供たちがはしゃいでる間、私と彼女は、缶 ビール。彼女のもう一つの大好きなところは、baba以上に酒が強い事。推して知るべしだわね。

下の写真はヨーロッパ人のカップルだと思うけど、彼女がノートに夢中で書き込んでいるのは何かな?小説? 彼は、波が彼女にかからないよう砂を盛り上げるのに夢中です。


ね、こんな風景は、クタやスミニヤックの海岸では絶対に見られないで しょ?






















2008年12月3日水曜日

チャボ君とお母さん猫















最近、よく遊びにくる野良猫の親子。
チャーリーの餌をあげると、おいしそうに頬張る。
愛情あふれる母猫の表情に、こころが和みます。
 
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世界中で大事件が

バリは雨季に入りました。と、のんきな事は云っていられないほど、世界の各地で次々と恐ろしい事が起こっている。バリ島でまたテロが。と、いつニュースになってもおかしくないし、遂に東京が!!との報道がなされても、と云う、おっそろしい世の中の状況を、どうか、政治家さま、「人道的に」なくす方法を考えて下さいませ。

東京で起こった上級官僚殺人事件。如何なることがあろうと、どのような原因があろうと、殺人はあってはならない。してはならない。まして、あの事件は、全く関係のない人が被害に遭われた事を考えると決して許せない。

しかし、(決して決して加害者の弁護では無い)彼の云う、30年前の、殺された家族の復讐(彼の場合犬だが)だというのは、本心かもしれない、と、思った。

ニュースを聞いた時、直ぐ思った。「あ、ペットロス」が、嵩じて、とうとう気が狂ってしまったと。30年も前の事を!と、ニュース解説でも、犯罪心理学者とやらも云ったり分析したりしてるが、30年の月日が、いやが上にも根深く潜伏して、とうとう気違いになったんだと思った。自首した時のふてぶてしいまでに落ち着いた顔と冷徹なほどの殺人計画はとても気違いとは見えないが、人間が人間を殺す瞬間は、完全に気が狂ってると思う。狂ってなければ人を殺せる訳がないと思う。

少年時代の傷は、彼自身が自分で思ってたより深く受けて、その傷は屈折して、歪みにゆがみ、決して癒える事無くまた根深く沈殿して、その性格や生活にも依るが、とうとう殺人狂になってしまった。

何回でも云う、決して許される事件ではないが、保健所に翌日犬を迎えに行ったら、「処分しました」と聞いたときの少年の衝撃と傷を思うと可哀想でならない。

が、その逆もあり得る。と云う事に気付きブログにしてみた。ペットロスから厭世的になり、自分を責めて、死にたくなる人間も居るかもと。その両方とも極端であり、弱い人間だ。強くあらねばならない。

人間と生まれたからには使命がある。と。使命を自覚した時人間は強くなるのだ。

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2008年11月21日金曜日

坂本九ちゃんの歌を思い出した

”上を向いて歩こう” に申し訳ないけど、下を見て歩かないとえらいことになるよ、このバリ島クタの街は。ホント、”下を向いて歩こう”に替えて歌わなきゃ。
日本から来た全部の人が云うけど、バリ島の下水、ゴミ、道路。本当にどうにかならないものかしら。

バリ日本人会の有志が、実際にこの問題に取り組み始めて、日にちを決めて、地道に活動して下さってるが、道路までは!?
商店街、というより道沿いに並んでいる様々な店を見乍ら歩くと、下水道、(といっても流れていない)に蓋をしているセメントが、壊れたり欠けたりしていて、落っこちそうになる。それも、20mも歩くと、また、それなのよ。

ああ、バリかあ。いいなあ。風光明媚。一年中夏。という、他の国に無い素晴らしい所だよなあ。とも、思い直し乍ら、ゆっくり歩いていると、今度はもっと胸の痛くなる事が待っている。 見るからに貧しい様子の子供が走りよって来る。手を差し出し乍ら。 どうしても無視できない。私も2つにわけると貧乏人だが、とりあえず腹は減らしてない。バッグから小銭を取り出して上げようとすると、たちまち数人の子供たちに取り囲まれる。

また、余計な事を考えてふさぎ込んでしまう。損な性分だよね。いえ、どうにかなれば、ふさぎ込むなんて無いのよ。

チャングウの友達の家に遊びに行った。おお、どぶ川の水が流れてるよ~。稲穂の出る前の田んぼは緑濃く、吹く風もさわやか。あーよかった。田舎に行けば、まだこんな風景もあるのね。

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2008年11月14日金曜日

日本の秋とバリのあき

赤道直下のバリには秋は無い。あるのは乾季と雨期だけ。時差だけで云うと1時間しか違わないのに、と、思う。

雨期の終わり頃と、雨期のはじめは、真夏よりも蒸し暑い。真夏と思われる6、7、8月は、太陽ギラギラなのに空気が乾いていて、むしろ気持よく、バリで一番の気候だといわれているのも頷ける。

こちらに来たのが5月中旬だったから、やはり南国だもん蒸し暑いわと思ったが、8月は本当に気持よかった。

11月に入り、蒸し暑い日が続いていて、時たま夜半の大雨に驚いたりしているが、朝になるとからりと晴れて蒸し暑い日が続いている。雨期の予兆には違いないが、本格的な雨期には入ってないのかな? 未体験の季節を味わえると思うとちょっとわくわく。しょうがない婆さんだわね。まあ、balibabaだし。

で~も、羨ましいなあ。日本では秋のG1シリーズ突入。ええ、勿論、わたしの愛しのサラブレットたちの競争よ。ああ、走る姿が見たいなあ。

2008年11月8日土曜日

インドネシア日本博覧会2008 (共催日本経済新聞社、コンパス紙)

アメリカ史上初の黒人大統領の誕生に、国民の大半が喜び、感激している姿が放映されて、私迄もが嬉しくなる。「白人でもなく黒人でもなく宗教が違えど、イデオロギーが違えど、全て一つのアメリカだ!」と叫んだ彼に、希望と共感を持ち、チェンジという強い言葉を信じたのだ。英知と若さに溢れたオバマさんに私も期待したい。

そのオバマさん、少年時代の4年間、インドネシアのジャカルタで過ごしたと云う事は初めて知ったが、彼のグローバルな考え方も、その生い立ちから最高学府で勉強する迄に培われたのかもしれない。

1日に開幕した日イ博覧会2008は、ジャカルタ新聞で毎日報道され る。日本の新聞でも報道されていると思うが、こちらほど詳しくは載らないのではと思い、日本の皆さんに少し伝えたいと思う。

1日には日イ協会会長の福田康夫前首相が来て演説し、日イ友好の記念すべき時に訪問出来た喜びと、友好関係を更に深める契機となる事を期待すると。

コンパス紙のヤコブ理事長の、日本国がインドネシアを占領した時期がある一方で、日本軍はインドネシアの独立を促進する役割を果したのですとの演説は実に興味深い。また、各企業もエネルギー問題、農作物、福祉等、多方面にわたり活力と夢いっぱいの近未来構想を提案してる記事でいっぱい。

その他、会場内では、伝統文化、食文化、アニメや、日本の祭り、石川の炎太鼓、秋田竿燈、ジャカルタ神輿の他、最大の目玉、3Dハイ ビジョンシアターでは、エンジョイインジャパンと銘打ち、銀座原宿の街や日本の雪景色、紅葉、築地市場にレインボウブリッジや新幹線も。この、家族で楽しめる3D映像はNHKメディアテクノロジー とか。

盛りだくさんのイベントを、日替わりで楽しめるようになっているとのことで、あ~あ、行ってみたかったなあ。

2008年11月4日火曜日

続 日本とインドネシア

1945年8月15日、日本は全面降伏し終戦となった。そして、8月17日がインドネシアの独立記念日となるのだが、350年間にわたるオランダの支配からインドネシア独自の国を作ろうと云う、民族独立運動は、1900年初頭からあった。

中でも、民族の自覚が不可欠であるとの意識のもと、多くのオランダ人を始め、世界の知識人に当てた書簡集を発刊したのが当時のオランダ植民地政庁教育文化省長官だから、面白い。

この書簡こそ、インドネシア人を覚醒させようとの願いに立ち上がった、カルティニと云う女性が書いたものだった。わずか25歳でなくなっているが、インドネシア政府は彼女を国家英雄の一人として顕彰し、カルティニ記念日を設けている。

尚、ジャカルタのインドネシア経済企画庁広場前には彼女の像が建っているが、日本の友好団体の寄付に依るものというのも日イ関係を物語っていると思う。

それより、もっと驚くのは、インドネシア独立宣言書が書かれたのは、日本海軍のジャカルタの責任者であった前田武官邸だったのだ。スカルノとハッタは、長年同士である民族運動の指導者スバルジョが前田武官と親しい事を思い出し、3人は前田邸に向かう。まだまだオランダの目が光っていたのであろう。

そして、16日、独立宣言書の原稿が書き上げられ、翌17日、『我々インドネシア人は、ここに、独立を宣言する』から始まるスカルノの第一声が放たれたのであった。

2008年11月3日月曜日

日本とインドネシア

今年は、日イ国交樹立50周年に当たり、日本文化振興財団と日本文化庁の後援によって、能、狂言の公演や、その他、多くの催し物を只で楽しめて、ちょうどこの年にバリ島に来た私は何かと得した気分になっている。

その、最大のイベントが、「インドネシア日本博覧会」であろう。これは、首都ジャカルタで開催されるので、入場料は無料でも航空券と宿泊代までは出して貰えないので、、あっはっは、、。 11月1日から9日迄だそうだけど、行けそうにもないのでまた、1日遅れのジャカルタ新聞を見る事にしよう。

バリでの最後のイベントが12月の山本寛斎演出の出し物らしい。関係者は着々と準備されてるみたい。私も、見に行こうと楽しみにしている。多分、超ド派手?1年の締めくくりとしてはいいんじゃない?と、期待してます。

ここのところ、夜半にスコールがあり、これが雨期入りの前兆と云う事でしょうか。朝になるといつものように太陽が眩しいが。「気象地理物理庁」の発表だと、インド洋で低気圧が発達した影響と、海面の温度の上昇で豪雨が発生した。とある。本格的な雨期入りは11月中旬で、ピークは12月から2月位迄らしい。どんな気分になるのか、これも、待っている今日この頃なんですわ。