2010年8月4日水曜日

ウブドの日々(3)

      
ウブドの街はモンキーフォレスト通りを中心に広がっている。
と、いうよりモンキーフォレスト通りの左右に店がひしめいている。
ほとんど土産物の店かホテル、スパ、レストラン、カフェと
云ったところ。最新ファッションの店もある。

私はニュークニンからモンキーフォレスト通りに出る時、
森の中を突っ切って行く。土地の人はみんなそうしてる。

モンキーの森の緩やかな狭い道を上ったりくだったりしながら、
さる達に声をかけながら歩いて街に出る。



彼らは親子連れ、夫婦連れ、仲間連れ、と、集団で動き回り
見物者からバナナなどを貰っている。

うっかり袋を下げていたり彼らの興味ありそうな荷物の持ち方
をしてると大変!パッとさらって行く。


猿達は森の中から出て、人間が歩く小道に出て食べ物をねだったり、
隙あらば取っちゃうよなんてのもいるが、
そのすばしっこさや、可愛らしさや、赤ちゃんを抱いているママ
猿と道の真ん中でお腹を見せて寝転がっている奥さん猿の毛繕い
をしている大きなおとうさん猿を見ていると飽きる事がない。


他方ウブドは芸術村でもある。いや、ウブドがバリ島で一番として
君臨しているのは、やはり、その伝統芸術を守り、
育成していっている点であろう。

毎夜公演しているバリ舞踊、影絵を観るのはバリに来て以来、
『あ、と、で。』と取って置いてあったし、それらもこれから
ゆっくりと堪能できる。美術館巡りも悪くないなあ。と、思いを巡らせる。
これって、子供の頃の遠足の前夜みたいかな?
                                 

2010年8月1日日曜日

ウブドの日々(2)


ウブドに来て3日目、隣りのY氏に
「今夜アンカサでライブがあるのでどうですか」
と声をかけられ、まだ荷物も片付けてなく、
出かける場合ではないのだけど好奇心には勝てない。 
 
会場となるアンカサの店頭には Ubud Eco Project のポスター
が目につく。そこにはイラストレーター石神うみさんの
Eco Gallery と銘うった個展が開かれている。
彼女の知りあいのミュージシャンを呼んでのジャズライブと
なっていた。中々の演奏を聴かせてもらった。



Y氏とその友人は早めに引き上げられたが、
私は一人で最後まで楽しんでいた。
『帰り』さて、どうやって帰ったら良いものか!?
ウブドにタクシーが無いのは前から知っている。表通りへ出て
きょろきょろと『足』を探していると、「あのー失礼ですが
donfan の大ママでしょうか?」と、若い女の子に声をかけられる。
突然の事だし、ましてバリ島ウブド。驚きながらもハイと返事を
すると、最近 donfan に出演しているボーカルですという。
ホームページのお顔に似てらしたので、、と。

彼女はたまたま有る店に呼ばれて来ていたのだと云う。
仲間数人とも、たちまち仲良くなり次の店に行ってしまった。
帰りはどうしたかって? その店のスタッフで、ハンサムの
ニョマンがバイクで送ってくれました。
勿論はっきりしてるわよ。「2万ルピア」です。だって。でも
今後は遅くまで遊んでても帰りの『足』の心配はなくなったのね。

Cafe Angkasa は日本人のたまり場みたいな店で、
店主の通称コテツさんはウブド在住14年とか。
在住者間で開かれる本の交換会など、イベントも積極的に
やっている人で、アンカサが憩いの場であり、
出会いの場であってほしいと思っています。と、云われている。

貸し出し本の中には、今話題の1Q84もあり、早速借りて帰った。
1と2を貸してもらい夢中で読んで行くうちに、
「あれ?」と気が付いた。どうも、これ、コピーだよ。
きれいに装丁してあるし、全く良くできている。親切な方が早く
みんなに読ませようと思ってなのよ。まだ出たばかりのベストセラー
が本の交換会で手に入る訳ないもんね。


おかしいやら有り難いやら。
ホント、何でもありのインドネシアの面目躍如。
あまり面白いのでコテツさんには悪いけどばらしてしまった。
アンカサのメニューは日本人の間でも評判がよく
事実美味しいからウブドに来たら寄って食べたらいいよ。
お薦めです!

2010年7月31日土曜日

ウブドの日々(1)


        
 7月1日から住み始めたのだけど、毎日雨が降る。それも、
ザアザア降りなのだ。長い時間降り続けるわけではないから
さして不愉快でもないのだけど、なんで?と思ってしまう。
「今、乾季だよねえ?」クタの友達に電話して「毎日雨が降る?」
と聞くと、毎日じゃないけど今年は雨が多いよ、いま乾季だと云う
のに変だよねえ。と云う返事が返って来た。

2008年にバリに住み始めた5月は何度か雨が降ったが6月
になると話に聞いていた通り8月になるまで雨を見たのは2回位。
さすが雨期と乾季がはっきりしていて赤道直下は面白い!
と感じたものだったが。

今週始めの26日、日遅れの誕生祝いだと云ってクタやサヌール
の友達が6名で来てくれて、まあ~~嬉しかった事!!
殆どリタイアメントビザなので、話も合うのよ。気心も。

それぞれがどっさりビールや食べ物を持ち寄ってくださった。
花束も!よ。バリに来てからできた友達だけど、友達は年を
取るほどにいいものよねえ。

お手伝いをしてくれているイプンが気を効かせて作って出して
くれたバリのお菓子も好評で、暫く私はイプンの自慢話をする。
週に2回くらい私はイプンのバイクの後ろに跨がってヘルメット
をかぶり、スーパーマーケットに行く。
「若い時バイクを飛ばして気持よかったなあ」と思い出しながら。

借りたニュークニンの部屋は、こじんまりした住宅街で、道も
整備され、道の両側にはバリで一番好きな花の木ジュプンで
かざられている。ぼつぼつ花が咲き始めたが、両側にジュプン
を見ながら歩く事を想像するとワクワクし始める。嬉しいな。
                                        
--------------------------------------------------------------------------------

2010年7月13日火曜日

ウブド移動奮戦記


2年余りクタ地区に住み、その殆どをthe alitで暮らしていたのは、何よりも居心地が良かったし、alitが好きだったからだ。本当にお世話になった。バリに連れて来て5か月で死んでしまった大切な伴侶のチャーリーの墓もホテルの部屋の庭に作ってもらった。 

まだまだ居たかったのだけど、以前からウブドに住むと云っていた長女夫婦にウブドに住むよう説得されて、老いては何とかやら、、と云うし、、と、重い腰を上げたのだった。

決心したからにはサッと移動しなきゃと、月末をメドに荷物をまとめ始めたのだけど、あれまあ、いつの間にこんなに家財道具が増えたのかしらと苦笑しつつも、でも何一つ不必要なものはないわよと自己弁護する。

若い頃からの「くせ」で目標とか期日を決めると我武者らに遂行しようとするのは年をとっても治らないもので、「切りがないから月末でホテルを出よう」と決心した。そして、その日のうちに、新居であらかじめ決めていた箇所に家財道具を置いて、、、と、老体にむち打ちながらやってしまった。

買った電気製品は約束通りに届かない。[すぐ行きます」と云うのを真に受けて待っていると、とうとう夜になっても来ない。結局5日後に届いたのだけど、いくら、「何でもあり」のインドネシアでもねえ。こちらは日本人。まして短気この上ない(と云われて来た私は、か弱い、もと、女の子。疲れとストレスからか、体中ジンマシンが出て食欲なくなるし、バリに来て体重が48キロになったと喜んでいたのに46キロに減ってしまった。痩せっぽっちの2キロ減は大きいのよ。それでも寝込む事もなく、ウブド生活2週間目を迎えられるのは有り難い事だわね。

どうやら部屋も落ち着き,友人客人を迎えられるようになり、そうすると  「なに?この風は!う~ん。ウブドの山風もクタの海風みたいにいいね~」 と、思えて来た。越して来た4~5日間の苛立ちは何だったっけ?と忘れてしまっている。諦めが早いと云うのか、直ぐに順応するって云うのか、おかしいほどウブドの風に馴染んでしまっている。

この間に私のラッキーセブンセブンを迎えた。沢山の人達からメールや 電話を頂き嬉しかったが、一人で祝う誕生日もまた乙なもんですよ。大事にしまい込んでいたワインを開け、全速力で走って来た我が人生を愛おしみながら「よ~し、これから又私の人生が始まるのよ」と、性懲りもなく行く末に挑戦している自分に我ながらあきれている。

ねっ これでいいのよ。これでいいのだわ。ワインのグラスが返事した。



2010年6月29日火曜日

わたしは変わらぬ気持を持てるだろうか??

インドネシアを愛し、インドネシアに尽くされた日本人の原康雄さんと、
奥様の瑞枝さんが殺害されたニュースは、私にとっても物凄い衝撃だった。                          
                 
原さん夫妻はインドネイアで25年もの間、幅広い社会貢献活動をなさって
来た方だと云う。新聞を詳しく読めば読むほど、その死が惜しまれてならない。                            
                             
日本人で、原夫妻以上に社会的活動をし、成果を残した方を私は知らない。
今となっては、心からお悔やみを申し上げると共に、ご冥福を祈るしか無い。
                
他人の私でも、悲しさと名状しがたい混乱が収まりきれない事件から5日後に、
ご夫妻の3人のお子様が連名でインドネシア日本大使館を通じ、遺族としての
心境と、激励してくれた日イ両国の人々への感謝の気持を込めたメッセージを
伝えられた。と、ジャカルタ新聞が報じた。      
                                           
父母がインドネイアを愛したように、私達子供もインドネシアに対する気持は
変わりません。突然の不幸な事件でしたが、今後も父母がそうであったように
3人ともこの国とこの国の人々を愛し続けます。と、あった。
                                         
お三方とも多分40代前後の方であろうと推測するが、この親ありて
の子あり。おろおろと取り乱し涙する事しかできない私は、また、この
お子様達の立派さに感激の涙を落としてしまったのだった。
                               
                              
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2010年6月16日水曜日

リフレッシュ出来た〜


ブログも思い切り休んだものだわ。

4月12日にバリに戻ってからと云うもの、一々手帳を取り出してみなければ
覚えてないほどせわしい毎日だったような気がする。



比較的大きなメモリーとしては、5月の中にジャカルタに行くし、
月末は長女夫妻がバリに来たし、と。

メールのデータを戻してくれたのは大助かり。


いや〜、やって貰ってよかった〜。

個人のパソコンだと云うのに、迷惑メールを入れて

3,000余りのメールが溜まっていて、消したり返事書いたり、、、。

疲れたけどすっきりしたわ。




仲良し仲間とブドゥグルに一泊旅行に行った。

こちらの5万ルピアのお札の裏側にもある観光名所。

生活の余裕も無くて夏の軽井沢に避暑に行った事など無いが、

バリの奥地は、多分、東京から軽井沢に来たような気分、空気、かなと思った。

湖の中に建つ寺院はバリヒンドゥ教の寺院だが、寺院内に仏教の寺院も

混在していて、でも、参拝か見物か、ムスリムの人達の姿も沢山あって

正に多様性の統一を肌に感じた。




宿は湖を見下ろす山の上の小洒落たコテージだったが、

真っ赤なポインセチアが一面に咲いている。

え?日本ではクリスマスの時期に、植木鉢で売ってるよね?

それに、大きなものでは3〜4mもありそうな、「木」なのだ。あらまー、、。



何でもありのインドネシアだし〜。驚く方がおかしいよね!?

赤道直下の国だから、全ての生き物の成長が早いのよ。

一つだけのポインセチアは、地面すれすれに咲いていた。


あ〜、よかったわあブドゥグルに来て。

使い古された言い方だが癒されたよ。リフレッシュされた。

そう、山や湖や木や花に、神が造り賜うた大自然に、

心も身体も蘇らせてもらったのだった。 


感謝、感謝。
                                 

2010年5月28日金曜日

インドネシアを再認識

Women Peace Conferenceの興奮と余韻が残っている翌日、
バリで知り合っていた好青年のご両親が挨拶に来て下さって、
良かったらどこかへ案内しましょうと云って下さり、友と 二人で
喜んでお願いした。

何しろ、ともえさんがいないとインドネシア語が理解出来ない。
ま、ともえさんには何時も何もかも頼りっぱなしだけど、、、。
どんな所が?ということで、ジャカルタの歴史がちょっとでも
分るような所を見たいと通訳してもらうと、古い町並みを車で
回りながら、一つ一つ説明して下さるのだけど、私が非常に
感動したのは、運転しながら話をされる、お父さんの横顔の
何と誇らしそうな表情だった。

そう云えば、お父さんはスカルノの独立記念の塔を中心にして
案内して下さり、あちこちに立っているモニュメントを、これ又
誇らしく説明して下さった。
「あれは、スカルノと農民の銅像です。独立を下で支えたのも
農民達、庶民達です!」云われるではないか。
まあ、言い方はわるいが、その辺の何処にでも居る風の小父さん
なのだ。
私は心底感動した。この国インドネシアへの愛国心と誇り。
そして、生き抜こうとする底力。
二年前、インドネシアの地を踏んだ時感じた、いい加減さの底に
隠されたマグマのような熱気はこれだったのだ!!
私はこの日からはっきりとインドネシアへの「気持」が変わった。
認識を新たにした。前日の講演会も含めてである。
祖国愛は有る!でも今住んでいるこの国にも、もっと感謝と愛の
気持を持たなければ。と。

今、私の中でも微かなマグマが起こりつつある。

                                                     

2010年5月20日木曜日

カルティニの女性解放の精神と運動が脈々と継承されていた

 
バリの一番の友ともえさんに誘われてジャカルタに行って来た。インドネシアの有名な指導者が見えると云うのも興味を惹いた。

会場には、Women Peace Conference の文字が大きく掲げられている。

インドネシア在住の各国の女性達の盛装も目を楽しませる。あ、よかったわ私も服装にちょっと気を使って来たし。

最初に竹の楽器演奏が始まる。一つの楽器で一つの音しか出来ない、「集合の音」だそうで、そのアンクロン演奏は、女性の集合も心を一つすれば、を予感させる。

イブ リンダの演説が始まった。インドネシアでは3人しか居ない女性の現職大臣とか。これからは女性の時代です。女性がが自覚を持って生きるべきだ、そこから良い生活、革命が始まるのですと訴えられた。

二人目の方の演説身振りは、これ又すごい。全部インドネシア語だから、詳細は分らないが、「皆さん、今日、家を出る時電気を消して来ましたか〜」と、第一声。

デウイ モティックと云うムスリムの方で、外交関係、文筆活動と幅広く女性啓蒙運動に情熱的に活躍しているイスラムの指導者だそうである。

エコの始めは、先ず、必要ないときは電気を切る事から、と、易しい話から始まりインドネシアの豊富な資源に触れ、でも、資源は枯渇する事、一人一人の、私達女性から、生きる事に意識を持とうと、エコについても力強く話された。

次に、去年の暮れに亡くなられた元大統領ワヒドさんのお嬢さんの話があり、この方も、全ての始まりは女性からと云う自覚を持ちましょう。と、優しい声で演説された。

次の方の話にも感激した。マルタティラールという、女性実業家。現在5000人の従業員が居ると云う。
「私は、普通の平凡な家庭に生まれ、仕事を始めたときは一人でした。その内二人になり三人になり、と、いつの間にか、こうなりました。」と。

この方も、インドネシアの資源を生かした薬草から化粧品やスパを始められ、いつの間にか何千人と云う社員を抱えながら、42歳で初めての子供を産み、次に46歳!で二人目の子供を産み、最初の時から、まわりで反対され、陰口を云われたそうだが、そのなかで、家庭と仕事を立派に両立させて来られた本当にあっぱれな方である。 さぞ、勇ましく男勝りの方だろうと彼女を知らない人は思うかも知れないが、声が優しくとても女らしい、可愛い方である事に驚いた。

そして最後に元大統領ワヒド夫人のお話があった。私は、国民的英雄の称号を受け、今も語り継がれている女性解放運動の革命的指導者カルティニの熱い血が、脈々と継承されている事に、胸を熱くしたのだった。

そうして、多いなる感銘の中で幕が下りたのだった。
                                           

2010年5月13日木曜日

おいしい酒とおいしい料理は元気が出る

おいしい酒とおいしい料理は元気が出る

食べて元気出さにゃーと思ってる所へ、
息子が、メール復活の方法を暫定的に
作った新しいアドレスに一所懸命にメール
してくれる。
が、何しろ、パソコンをワープロ代わり
ぐらいしか使えない私には、鳩が豆鉄砲を
食らったような、ネコに小判なのだ。

幸せな事に、バリに来てから沢山友達が
出来た。毎日のように声をかけてくれる。
午後、お茶如何〜と電話がある。
勿論、おちゃけ、お酒に決まってる。
ちょっと、やることがあるにはあるんだけど、
断らないんだよねー。翌晩、別な友達から電話がある。

「美味しいワインがあるのよ〜」  断われるわけないじゃ〜ん。
そのワイン持って来た人、彼女の友達で、世界中あちこち仕事で
飛び回ってるとかで、フランスワイン2003年ものとアルジェリアのもの!!

彼女の旦那様コマンさんが焼いてくれた、こちらで云うところのサティと、
一晩で新しく友達になった彼がワインと一緒に持って来てくれたチーズに
オリーブの塩漬け。 もう、たまりませんよねっ!!

これで元気にならなかったら罰が当たると云うもの。
は〜い、balibaba元気ですよ〜。 次なる目標に向かってGOよっ。
                            

2010年5月6日木曜日

記憶喪失人間になった

インドネシア学校に行っても、英語教室に通っても、何一つ覚えられないのは、これはもう、年のせいだし、そう思えば腹立たしいのも治まり、言い訳も立つが、あまりにもネットに頼りすぎた! 現代のモンスターを信じすぎた!!
                                  
単に、自分のミスでメールのデータが突然消えてしまったのだけれど、困るのなんの、困りまくり。インターネットに裏切られたかのような錯覚に陥り、まるで、記憶喪失人間になってしまったかのよう。
昔のように、手紙は全て手書き、ちょっとした文も原稿用紙を用いていた時の方が良かったかなあーと、ぼんやりとバリの空を見上げる。
                                        
インターネットについては、多分私は人様の何万分の一も使ってないだろうし、使えもしない。 だからこんな状態になってしまうと、手も足も出ない。唯ひたすら5月末にバリに来る娘を待っているしか無いのだ。
           
持って来た本も借りた本も(11冊)全部読んでしまい、また新しく借りて来る気もしないし、人とのつながりが断たれた思いで参ってしまった。
               
そうだわ。手書きしてた昔を懐かしむなら、戦後、食料が無かった時代、母が作って食べさせてくれた野菜料理でも手がけてみるかっ。バリで美味しいのは野菜と果物だけだって、誰かが云ってたものね。早く記憶喪失病から脱却しなきゃあね。
                                     
                           
                                             
******************************************

2010年4月30日金曜日

カルチャーショック

日本へ帰って、バリへとんぼ返りで 帰国してからひと月になる。

たった2週間の日本だったけれど、とてもとても充実した毎日だった。
過密なスケジュールを全てこなした中で、予定外の桜に出会えた事は
何ともラッキーな事だった。やっぱり、日本はいいよ。サイコーだわ。
バリに着いたその日、ホテルのプールサイドが賑わっている。 ?? 
あ、花嫁さんとお婿さんがバリの結婚衣装で座ってらっしゃる。
そういえば、プール一面に花が飾られ、Happy Weddingって
書いてあるのが見えるもの! なんと、披露パーティだったのよ。


ん? お婿さん、オツムに白いものが混じってるように見える。
私と同じゼネレーション? そう、お見受けした。
まあー嬉しい事。おめでたい事。おめでとうございます!!

ふと、胸をよぎった。 若しかして私だって、、、しようと思えば、ねえ、、?!
なんて、馬鹿な事ある訳無いじゃん!!あはは、、、。

パーティを演出するのは全員ホテルのスタッフ。まー驚いたわ。
バリダンス踊ってるのも、ガムラン演奏してるのも、全員見た顔。
それもその筈、みんなスタッフだもの。それが、もう、玄人なのよ!!


ある種のカルチャーショックを受け、その夜はドロのように眠ったのだった。




2010年3月19日金曜日

オゴオゴ


        
 オゴオゴとよばれる張りボテ人形は

1か月も前から、各村や部落で思い思いに念入りに作られ、

ニュピの前日に街に繰り出して、できを競い合う。
 
どれ一つとして同じオゴオゴは無い。

  まるで、芸術品かと思わせる程によく出来ている。

これらのオゴオゴは、その日のうちに、みんなの悪魂と業

  を背負ってくれて昇天(焼き払う)するのだという。

 バリの伝統文化の一つであろう。
            
                                       
                                          
***********************************************************

2010年3月15日月曜日

楽観的な国民性とお祭り大好きバリ人

ロンドンの調査会社が世界26カ国を対象にした調査結果で、最も楽観的な国民はインドネシア人で、75パーセントを占めたとの記事を見たが、 その中でもバリ人は抜きん出ているのかも知れないと実感している。

こちらの要望を分っているのか分っていないのか、人のいい笑顔でにっこりされると「まっ、いいか」と云う気になるのは私だけでは無いらしい。

また、アメリカの観光雑誌の調査に依ると、アジアの観光地の人気番付けが載っていたが、 トップはバリ島ウブドとなっていた。 2位バンコク、 3位香港、 4位チェンマイ、 5番目が京都。 東京は9位と云う事だ。

番付けとなるカテゴリーは、 1景観と雰囲気の良さ、 2文化、 3宿泊施設、 4レストラン、  5ホスピタリティ、 6ショッピング の6項目となっている。
  
私は、うっそ~と異議を唱えたくなってしまった。長年ギスギスと働いて来た私は日本人の長所であり短所でもある(と、私は思ってる)勤勉と実直さみたいなちょっと困ったような癖、よく云えば、習慣を拭き払う事が出来ないのだ。それに日本製品の優秀性(ハードからソフトに至る迄)。食べ物は言わずもがな。それと「日本が何と云っても一番!」と、頑に思っているので、思わず 「うっそー」と出てしまった。

でも、景観と雰囲気の良さでは、やはりバリには負けてるよねえ、と、素直に認めよう。あの、何とも云えない曖昧な、何もかも包み込むような微笑み。何でも許してくれそうな寛容な雰囲気。こういう国民性が、最後の楽園などと謳われて、世界中から観光客を呼ぶのだろうなあ。

16日は、ニュピ。このお祭りこそ、世界中が一斉に真似をして欲しい行事だ。サカ歴の新年となっていて、日本の元日に当たるのだが、バリ島ヒンドゥ教徒のいわば精神修養の日でもある。4~5日前から、街や家庭は、お祭りの飾り物。

16日未明から17日午前6時迄、外出、移動、車の使用、火と電灯の使用、娯楽、飲食店の営業、空港の離着陸、船舶、海運、全て禁止となる。

そして、そして、翌日空を見てごらん!!空気を感じてごらん!!
神々がバリ島を清めた証拠とでも云おうか。清浄な神聖なこの島を満喫 できるのです。1週間に1度の頻度で、どこかしら、あっちの町こっちの村で祭りをやっているバリには時としてうんざりもするのだが、このニュピだけは最高に大好きなのだ。



-------------------------------------------------

2010年3月8日月曜日

バリはまだ雨季



バリはまだ雨季が明けませんが、夜、大雨でも、朝になると
晴れ渡った空が眩しく美しい。こういう瞬間は

  「いいなあー バリは」 

と、住んでいる幸せを思いっきり感じるのです。
                                  
                                  
*********************************************************

2010年3月6日土曜日

驚くべき多様性のインドネシアに揉まれ血圧アップ

      
ひとくくりに多様性と云ってしまえばそれで納得!というのもあるが、 勤勉な日本人としては、始めから「あっそうなの」といかない場合が多々ある。

私も日本では南国日向生まれ。いい加減の所はいっぱいある。いい加減もまたいい「塩かげん」みたいに、何とも云えないニュアンスもあるが、ここ、インドネシアは腹立たしい「いい加減さ」がいっぱいある。それが気になるのだ。

ユドヨノが2度目の大統領に就任したときの演説で、汚職撲滅を真っ先に上げたほど、官僚官職の人間の汚職はひどく、善良な島民はそれにほとんど関心がない。

尤も、インドネシアでも、すごい革命家もいる。伝説の革命家、スマトラ生まれのタン.マラカは20年もの間、亡命生活を送りながら、アジアの民族解放闘争や国際共産主義運動に一生を捧げ、国軍によって処刑されたが、その後、 政敵だったスカルノ大統領によって、国家英雄に認定された。
その他、カルティニのような女性革命的指導者もいるし、感激的な人物は沢山いる。

一方で、或る何代目かの大統領の「御曹司」が殺人罪で刑期15年の判決での獄中生活は、ホテルのスイートルーム並みだったと云う話だが、恩赦により出獄し、早速、ある党の党首に立候補したり、、、。さすがに誰も投票しなかったと新聞に載った時は胸がすっとしたものだ。

まあ、そんな事よりも身近になんだかんだと不条理が当たり前のここ南国での生活法を身につけないとやって行けないなあと、反省?しきりの入院生活の2日間だった。
                                         
                                           
**************************************************