2016年8月9日火曜日

Hijiki先生の事


何故Hjjikiかという事について彼女達美術部のメンバーの云い分が面白いので引用させていただく。

富士宮高校美術部に在籍していた70年代半ば頃、高橋秀浩という僧籍も持つ美術教師が赴任してきました。 実家はお寺ですが稀に見るユニークな教師でした。

ジーンズにロンドンブーツばりのぽっくりサンダル。
ラベンダー色のベストにクリーム色のYシャツといういでたち。
そしてシャツの第2ボタン迄外した胸元にはヒジキのような胸毛が覗いていました。

高橋先生の魅力は、その風貌にとどまらず,僧侶とも思えぬサバけた性格と何よりも的確な指導力でした。そんな先生を慕い、放課後の美術室は賑やかで、運動部並みに毎日作品の制作に励んだものでした。

私たちは尊敬と親愛の情を込めて、その特徴的な胸毛にちなんでいつの間にか『ヒジキ』とあだ名を付けて呼ぶようになりました。絵の具がこびりついた制服に、苦しいほどの夢を包んでいたあの頃。

魔法の言葉 『ひ、じ、き』

高橋先生の定年を知ってわきあがった「展覧会をやろうよ」の声。

その名称にHIJIKIを冠する事を快諾して下さった先生。こうして『HIJIKI展』が生まれたのです。2008年に始まった展覧会。それが今年で5回目なのです

と。


梅雨あけの富士




久しぶりに我が家に帰ったが、帰郷3日目に富士山がようやく姿を見せてくれた。梅雨時だもの仕方ないよね。

富士山に会えたのも嬉しかったが、娘の高校時代の友達、私から見ると娘同様の彼女達に会えたのも嬉しかった。富士宮高校時代の美術の恩師、通称HIJIKI先生を記念して、HIJIKI展が開催されるので娘は富士宮に行ったのだったが、私は色々雑用があっての事だった。2008年から開催されていて今年が5回目だという。

一応、娘が会長となってるらしいが、娘は名ばかりの会長で、すべて動いて取り仕切ってくれている(下さっている)のは美術部OGの皆さんだと娘は云っている。特に副会長文江さんには多大な迷惑をかけていると云っていた。

その文江ちゃんが車で我が家に送って下さり、しばし雑談。も~う、本当に楽しかった。高校時代から私も文江ちゃんが大好きだったから。おまけに、農園を経営しているお兄さんが丹誠込めて作られた富士宮名物の落花生をいただいた。


数日して東京に帰った私は真っ先にベランダの花達を見た。良かった良かった。花達は変わらず元気な笑顔を見せて迎えてくれた。ペット達も居なくなり、今では植木鉢の草花同様の花達が私のペット、子供達なんですよ。


2016年6月22日水曜日

九州地方の大雨にお見舞いを申し上げます

 大雨のニュースで、久しぶりに宮崎で生まれ育った頃を思い出した。
その頃は、日本列島に台風が上陸すると、必ず宮崎を通過した。
台風銀座とか新聞に載った「字」を覚えている。

一晩中大雨と大風に脅かされ、6人の小さな子供達は母を囲み、
おじいよー(怖いよー)おじいよーと云って母にしがみついた。

その頃母は35歳。「大ジョブ大ジョブ。おじい事ないよ。家が倒れる
筈が無いもん。」と、ぎいこぎいこ音を立てて揺れる家の真ん中に座り
子供達を両腕で抱いたままそう云った。私たちは台風が通り過ぎる迄、
朝迄寝ないで只ひたすら台風が通り過ぎるのを待ってたものだった。

35歳で6人の子供! そのうえ父は戦争に行ったきり生死さえ不明。

私は35歳で何をしていただろうか!?
それを考えるだけで、どれほどすごくて偉大な母であったかと、、、。

母は台風の晩、女一人でどれほど心細かったか、本当に大声出して泣き
たかったかもしれない。それをしなかった、それが出来なかったのは
しっかりと子供達を育てて、戦地から帰る夫に見てもらわなくちゃ。と
それのみだったに違いない。
    その思いむなしく、父は日本の地を踏む事はなかった、、。

今回の大雨で、私たちが小さかった頃の母を思い出して涙が止まらない。




2016年6月20日月曜日

6月19日

 昨日の日曜日は父の日という事で、父親に何をプレゼントしたら?
など、テレビでいろんなコマーシャルを流していた。

あと2ヶ月で終戦という時にルソン島で戦死した父親にはプレゼントのしようも無いが、甘い物が好きだった父に、おはぎを拵えてお供えし、父と母の写真に語りかけた。そして、本当に素晴らしい両親から生まれた事に感謝した。いや、感謝している。


自分自身の幸せは、世界の平和無くしては存在しないし絶対にあり得ないのだから、戦争だけはどんな事があってもしてはならない。

一人一人がこの事を自覚し、「自分に」誓わなければいけないと思う。


2016年3月22日火曜日

クラシックレースが始まる


 クラシックレースには、3歳馬が7000頭位デビューする中で
トーナメント式に勝ち進んだ18頭だけが出走できる一生に一度の
レースで、その頂点がダービーなのは、殆どの方がご存知なのです
が、私が馬に夢中になったのには「走る芸術品」と決めている思い
込み以外にも大切な思い出があるのです。

私が小学校に上がる前、庭先にはいつも馬の手入れをする当番兵
と呼ばれる人が馬の手入れをしていました。
つやつやと輝く馬と毛並みを、きれいだなあ。と思ったものでした。 

一年生になった私を父は馬の背に乗せて、小学校の門の前で下ろし
帰りも迎えに来てくれました。多分、今思うに越境入学だったに
違いありません。

途中、父は湧き水があるところで馬に水を飲ませ、また私は父と
一緒に馬に乗って帰った事を鮮やかに覚えています。

それも、長くは続きませんでした。今思うに多分父は連隊に入った
のでしょう。母も亡くなった今は誰に確かめようもありません。


大好きな、尊敬する父との思い出の中には、常に馬が一緒にいます。


去年、交通事故で入院してる時、ダービーがありました。
皐月賞を勝ったデュラメンテが必ずダービーも勝つよ。とワクワク
しながら見ていたらやっぱり!!。 強かったなあ。これで二冠馬。
菊花賞も勝って三冠馬だなあと思ってたら何と、両前足を骨折して
いて、菊には出走不可能。 因に菊を勝ったのはあまり評価して
なかった歌手のサブちゃんの馬。ま、お目出度うございます。

  デュラメンテは凱旋門賞に行ってほしいんだけど、どうやら
ドバイに行くようですね。

さあて、今年のダービー馬は!?

100回目のダービー馬を見なくちゃと切望してるのは私が生まれた
年に、日本で第1回目のダービーが始まったから。ふっふっふ。


                                                                        

2016年1月26日火曜日

思い出しても辛く悲しい

  天皇皇后がフイリピンと友好を復活した記念の60年目という事で、フィリピンを訪問された。それにつれて忘れたくても忘れられない、いや、忘れてはいけない思いが噴き出して来た。

私の父は、昭和19年の暮れ、陸軍に所属していながら、軍用船に乗り船舶隊長としてフィリピンに向かったのだった。私はそのとき小学4年だったと思うが、小学生ながらなんで?と思った。海軍と陸軍は喧嘩してるんだろうか?と単純に思ったものだった。

ルソン島のマニラに落ち着いた父たちは、民家に泊まっていたらしい。その家の娘さんが私と同じくらいだという事で父もかわいがっていたらしくその娘さんの絵を手紙に入れて送ってくれたのを覚えている。父からは1週間日おきに手紙が来た。5~6通もらった頃、ばったり手紙が来なくなった。20年の始め頃だった。

そして終戦。母と6人の兄弟は父の帰りを祈らない日は無かった。
ある日、村役場の人が見えた。戦死の公報だった。  6月19日と記されてあった。

あ~。あと2ヶ月で戦争は終わったのに~~~。

母は泣きもしないで神棚に向かい、「私も軍人の妻です。子供たちを立派に育てて参ります」と声に出して誓った事を昨日の事のように覚えている。母が一番つらく、大声で泣きたかったに違いない。いや、隠れて泣いたのかもしれない。

私が大人になり、母も今の私の年になった時、一番上の私に云った。
「今度の戦争は負ける」と父が言い残し、戦死する事を承知しながら戦場に向かったと。ちょっとでも当時の日本の状況が分かっている人達は理解していたのだ。

どんな事があろうとも戦争だけはしてはならない。してはいけない!!




2016年1月15日金曜日

15日正月。

    

 今日は1月15日。 田舎では15日正月と云っている。

この頃やたらと母の事を思い出す。
特に母が季節の折り目に必ずやっていた事だ。

正月7日は七草がゆ。子供6人に笑顔を見せながら、今年も
無事にいい一年が送れるように。ね。

15日は小豆粥。前の日から水に戻しておいた小豆を煮て
小豆粥を食べさせてくれた。「いい年になるよ~」

今年から母のまねをしてみよう。いや、母のいい行事を
受け継いでいこう。と思って、7日も、今日15日も
母のまねをしてみた。


やはり、母にはかなわないなあ~~。ちょっと味が違う。




2016年1月13日水曜日

平和への願望


 2016年、明けましておめでとうございます。

新しい事には何であれ気が引き締まるのだが、今年の新年ほど強く
世界の平和を望む気持ちになった事は無い。

平和あってこそ、人は幸せになれるのだから。

私たちの希いは究極しあわせになる事。簡単だけどたったそれだけ
の事なのだ。

その幸せも自分や家族だけでは幸せを感じられないし、決して
幸せではない。世界の、我が国の平和があってこそなのだ。

現世界の、Baaba一人どうしようもない国同士の戦争や争いごとを
どうしたらいいの??

また、自国の身辺でも考えられない事件の報道が多くある。

目出たいはずの新年から胸が痛いのです。どうかどうか、この一年
全世界が平和であってほしい。

考えられない事件が起こらないように。と、願望するのです。




2014年12月14日日曜日

わたしの宝箱


 バリで2年間住んでいたホテルtheAlitが新しくすることに
なったと云う内容のメールが来ました。

それにつけて、以前の私の部屋の前に眠っているチャーリーの墓を
どうしましょうと云うものです。

兎に角、敷地内を整地するのにブルトーザーでうやむやにする事は、
あれだけ可愛がっていた私の為にそれは出来ない。
許されないと云うものでした。

そのメールを読んだ私の感激を分かって頂けるでしょうか!!



3つの提案が書かれていました。勿論、お骨を掘り出して後の話です。
1)日本の私の所に送る。
2)バリの海に散骨する。
3)庭の隅に埋め直す(これは、一番迷惑が少ないと、仕方なく私が頼んだ事)

1)は、関税を通るのに大変。
2)は、散骨するのに船を出すのも費用がかかる。等です。

それで、良くよく考えた末、バリの何処の海辺でもいいですから、波に乗せて
流して下さい。と頼みました。



何日もしないうちに「チャーリーちゃんが見つかりました」とメールが来ました。
そして、奥様が、一時帰国のついでにお骨を持って帰り、神戸から東京
に送りますとの事です。

世界中、数えきれないほどあるホテルのオーナーさんで、これほどの方達が
居られるでしょうか!? 感動と感謝の涙が止まりませんでした。


そして、このバリの彫刻を施した小さな箱。
この中に小さくなったチャーリーが入っていました。

この箱の中には、チャーリーだけでなく、アリッツの福島さんご夫妻は勿論の事、
スタッフの好意と優しさがいっぱい詰まっているのです。大切な大切な

宝箱なのです。



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2014年10月22日水曜日

10月初旬  朝の富士山



  用事があったとはいえ、久しぶりに

富士山を見たくなって富士宮に帰った。

富士山は青い色を見せて、優美に穏やかに広がっていた。

頂きにはまだ白いものが見えない。今年はこれが最後の夏山

の姿だろうなあと思いながらシャッターを切った。

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2014年10月13日月曜日

凱旋門賞が終わって



一番後ろの白馬がゴールドシップ。その3頭前がハープスター。
こんな後ろからでは届かないわよねえ。(テレビ画面より)

ハープスターは一番人気に推されてたのよ。これだけでも凄い!
私は勝つと思ってたのよねえ。まあ、6着迄には来たけれど。

勝った馬は強かった。オルフェーブルを2着に退けた去年に
続き今年も1着。参りました。本当に強い。偉かった。

日本馬が3頭も参戦して、一頭も3着以内に入らないなんて、
ロンシャン競馬場を攻略する方法をジョッキーも考えてもらわなくちゃ。


あ~あ。というテレビ観戦でした。


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2014年10月5日日曜日

楽しみな凱旋門賞


  
 唯一の私のお楽しみ。 走る芸術品、馬の走るのを見る事だけど、
5日に世界最高峰のレースと云われる凱旋門賞がフランスであり、
日本からも3頭の最強馬が出走するのよ。

日本でもその様子が放映されるので、今からワクワクしています。

3頭とも素晴らしい実績があるので、日本馬が3頭で1、2、3着
だったら超面白いのだけどねーーー。

ま、この馬達よりもっと凄そうな馬が何頭かいると云う前評判なのが
いるので、超面白い場面は無いとして、ごひいきのハープスターが
勝ったらひっくり返って喜ぶわ。3才の牝馬は5キロのアドバンテージ
があるし、かのオルフェーブルも3才牝馬にやられて2着だったでしょ。

今度は是非ハープスターにかたきを取って貰いたいの。だと良いけど。
うっふっふ。

なあんて事、ワクワクにやにやして、相変わらずのBaabaでございます。


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2014年9月3日水曜日

豊穣の秋


 全ての作物が実り、こころ迄 豊かになりますよねえ。

馬肥ゆるの秋とも云う通り、私の愛しのサラブレット達も、
元気に、その美しい動く芸術品とも云える姿でターフを駈けています。

先週金曜日、久しぶりにDonfanに行ったら、北海道のドラマー
雄斗君の出演日で「雄斗君、今年は帰らなかったの?去年頂いた
トウモロコシがすごく美味しかったからさあ。」と言ったら、
「送って来たよ。ほら!」って、カウンターの上の大きなBox
を指差すので、思わず「やった~」って手を叩いちゃったわ。





優斗君のお母さんとご家族の方有り難うございます!!

ホントに、本当に美味しかったです。



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2014年8月9日土曜日

ムム(夢夢)とお留守番。 これまた楽し





晴くんのムムの絵。

はる君は小学5年生。生まれた時に、絶対頭のいい子だと
直感したのだったが、それ以外に芸術的センスが抜群。

ムムに靴を履かせるって、優しさの表れよね。


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2014年8月2日土曜日

心配事解消で気分上々

3か月前から気になっていて、かかりつけの先生も
「う~ん。大丈夫だと思うけど。」と、云って下さったけどどうしても気になり
都立の病院に紹介状を書いて下さった。

口腔外科の有名な内田先生も、やっぱり「う~ん」と仰って、
検査をする事になった。

延々5時間! 中でも一番苦痛だったのは歯茎を切開して組織を取り出し
癌組織を調べる事。

まあ、麻酔注射の痛い事!! 最後は切開した歯茎を縫うのだけど、
麻酔が効いてるとはいえ、矢張り痛かった。

レントゲン検査、血液検査、などなど。

「絶対、癌ではないから心配無用ですよ。」これが最終診断だった。 
おお、おお。有り難い。

今日で4日目だけど、切って縫ったあとが痛くて、毎食流動食。
食いしん坊の私には地獄よね。
でも、この安心には替えられないし、思い切って相談して良かったと思ってる。

来週半ばに来るよう云われて、「また検査があるんですか?」と聞いたら、
「抜糸だけですよ」とニコニコ顔で云われ、ああ良かったと、最敬礼のお辞儀
をして帰ったのだった。


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