2011年2月17日木曜日

ネカ美術館 

1982年に文化大臣によりインドネシア国の公認美術館となった
ネカ美術館は、ワヤン.ステジャ.ネカ氏が交遊関係にあった
外国人画家ルドルフ.ボネやアリー.スミット等の応援を得て
立ち上げたもので、収蔵された300点以上の絵画は、
作品の巾の広さとレベルの高さからバリ一番と云われている。


「現在のネカ氏」 「創設時のネカ氏」




アリースミット作 「海の傍らに広がる熱帯の庭園」



アリースミット作  「菩提樹」


「バリ人青年の肖像」   
      
「夢に見る田舎の村」        「休息」

アリースミットパビリオンが設けられていて、展示数も一番多いし
ネカ氏と一番親しいのだなあと思わせる。お二人ともまだお元気で
アリーさんは94歳だと云う。
私もアリースミットの絵は好きでついついたくさん紹介してしまった。
バリ島画家の絵も勿論数多く展示されている。



「ダンス」



「バリ人ダンサーの肖像」

下の絵は ルドルフ.ボネの作品で、
バリの伝説の話アルジュナの結婚
をモチーフにしたものだそうである。



バリ島ウブドには、紹介した3つの美術館以外に、ブロンコ美術
館や、沢山のギャラリーがあり、また、バリ伝統の舞踊や影絵、
ガムラン演奏なども私達を楽しませてくれます。
                   
                
                           

2011年2月2日水曜日

「きさらぎ」  如月

       
新年だ、2011年だと言い終わらぬうちに、もう2月。
如月です。
春はもうすぐそこまで来てるといいながら、寒くて寒くてたまらず、
「着る」「更に」「着る」から、着更着と云う。のが一番肯定的な
解釈だと云う人もいるが、私はまったく自分勝手な解釈をしている。
私は冬の夜空が大好きだ。一年を通して冬の夜空が一番澄み切ってる
ように思うからだ。ひとを思い初めた頃、二人で見上げた冬の夜空が
あまりに美しかった。清浄だった。その記憶からかもしれない。
その記憶から、月の如く、、、と自分なりの解釈が気に入っている。
勝手な解釈はさておいて、私の生まれ故郷宮崎は、昨年から大変な
ことになっている。
口蹄疫で、吃驚するほど沢山の牛が犠牲になり、やっと収まりかけた
と思ったら、今度は鳥インフルエンザでまたまた沢山の鶏が犠牲に
なって、まだ収束のメドもついてない所へ、今度は火山噴火!!
バリでのんびりしてる気持にはどうしてもなれない。と云って、
どうする事も出来ない。只ただ、神に、自然に,宇宙に祈るしかない。
つい先日、バリ日本人会のウブドのメンバーによるムラビ山噴火
被害者の支援チャリティライブと云うのがあり出席したが、一人一人
の本当にわずかの支援金でも、世界中の人が参加すれば大いに
意義ある金額になるかもしれない、等と思ったものだが、日本でも
きっとそのような義援金集めをしているのかもしれない、と、
すがるような希望で祈っているのです。

                                          

2011年1月21日金曜日

まだまだ雨期が明けません



早朝からの大降りが昼になっても止まない。
チビの奴も今日は外で遊べなく煩くてしょうがない。
こんな日は箸休めの副菜でも造り置きしましょうか。
冷蔵庫を見る。
きんぴらごぼうの材料。大根なますの材料。ゴーヤもある。
全部日本味にしよう。ゴーヤは味噌転がしにした。
これに肉か魚の主菜に汁物、お新香があれば大満足。
安上がりに出来ている。


昨夜のニュースで今日の相撲取り組みを見て、ふふ、、。
若しこんなだったら嬉しいな。万歳だよ~と、期待の取り組みは、
バルトとコトショウギク。ハクホウとキセノサト。
コトショウギクがバルトに勝つ。キセノサトがハクホウに勝つ。
これを願って、賭けて、見てたのよ。
何と何と、こうなれば面白いんだがなあ、と思った通りになったじゃ
ないの!! 面白かったなあ。一人で万歳叫んじゃった。
いや、別に外国人を敵と見てる訳じゃないのよ。
ただ、相撲は日本の国技と云うのに、たった一人の横綱も、
4人いる大関も3人が外国人。情けないと思うわけ。
ま、野球のイチローも松井も本場アメリカで活躍してるし、
いいじゃないの。と思いながら
やはり相撲は日本人にもっと頑張ってほしいのよ。
雨も上がり、すっかりご機嫌になった私は一人で食べる夕食も
ルンルン。ほんと、安上がりに出来てる人よね。



2011年1月14日金曜日

人とのつながり 動物とのつながり



アリッツで知りあい、酒飲み友達になったWさん方がまたバリに
いらっしゃった。3週間の滞在の中にウブドにも何日か泊まられて、
旧交を温めた。な~に、嬉しくってまた飲んだのだけど。
勿論,と云っては厚かましいがお土産に日本酒。それに本。
やはり、ただ、飲むだけならこんなにいい友達にはなれない。
お互いに好きな本や読む本の話などした事も無いのだが二人とも
暗黙のうちに「本を読む人間」として了解していた。
上の写真の本は彼女にもらった本だけど、若し彼女を知らなかったら
絶対に手にすることはなかっただろう。決して大層な本ではないし、
世の中には星の数ほど本はあるし、人間、何を読まねばならないなど
の制約などありはしない。私はただ読みたい物を読む。作者には
申し訳ない多読乱読、時に斜め読み。なのにこの2冊結構面白かった。





ニャンコが迷い込んで1ヶ月になろうとしているが、貰い手の無いままうちのネコになりつつあるのだ。いや、彼は結構私を気に入って離れようとしない。1ヶ月前は男の子か女の子か分らなかったが、男の子である。庭中を駆け回るし、若しノミなどが付いたりしたらそれこそいやなので、毎日シャンプーしてる。ちゃんとやらせるし、排便場所も1回で覚えるし、「チビ」~ッと呼べば飛んで来るし。
娘に写真を送ったら、これがまたべた褒め。チビと云う名まえじゃもったいないよ。すっごく賢そう。もっと他の名前をつけたら?! 
ソクラテスの「テス」とかアルキメデスの「アル」とかサルトルに因むとか、 などといってメールが来る。哲学者じゃあるまいし。
極めつけがチャーリーの生まれ変わりじゃないの? 痛い所をついてくる。まあしょうがないから、存在の「アル」とでも呼んでまた暫く置いておく事にするか!!  





2011年1月10日月曜日

バリの美術館 プリルキサン

1936年、当時のウブド王と、ウブド王の弟,それにウブドで
活躍していた西洋人画家ルドルフボネ、ウオルターシュピースに
よって、ピタマハ芸術家共同体が創設され、バリ近代美術の保存
と発展を使命とした。バリ島で一番歴史のある美術館と云う。



現在駐車場を建設中と云うこともあり、また奥の方にも何か
建築中で、美術館以外の風景はよく掴めなかったが、
パビリオンが3つに別れ、展示品は以前のまま。
入館料はアルマ美術館と同じ4万ルピアだけど、
コーヒー券は付かない。


ルドルフボネ 「若い頃の自画像」
アナアグンソブラット「バリの市場」








2011年1月4日火曜日

バリ島の美術館



       
ウブドにある美術館の中で、自他ともに認める三大美術館
と云われているのが、プリルキサン、ネカ、アルマ美術館
だそうである。
自宅から歩いても行けるアルマ美術館に行ってみた。
バリ有数の絵画収集家アグンライ氏率いるアルマ財団が築き、
1996年に開設された。
館内にはインドネシアの画家と国外様々の国の作品も
数多く陳列され、圧巻だ。
約400ヘクタールもある広大な敷地内には美術館だけでなく
伝統芸能が観賞出来るオープンステージもあり、
一日のんびり過ごすのにも最適である。
入館料は4万ルピアで、コーヒー券が付く。




ウブドに住む芸術家達に多大な影響を与えた,外国人画家。

ウオルターシュピース 1895~1942 朝の光

アリースミット    1916~     休息

                                     




2011年1月2日日曜日

ウブド村の大晦日



朝、おめでとうございます と挨拶され、え?明日でしょ?
と云うと、バリは今日がおめでとうです。と云う。
まあ、1日違いで、どっちでもいいや。明日上げようと思ってた
お年玉を急いで包んで上げる。

暗くなるや否や、太鼓の響きガムラン演奏と、どーんパチパチ
の音に混じって、若い子の笑い声が聞こえて来た。
家の直ぐ前の集会所からだ。

どーんパチパチは花火と爆竹。勿論(と云っては失礼だろうが)
隅田川の花火と云うわけにはいかない。

それでも若者達の力強い笑い声と話し声,女の子達の嬌声を
聞いてるのは、何故だか嬉しくさえなる。

それが何とまあ、夜中どころか朝の2時まで花火、3時まで
太鼓の響きに笑い声。眠るどころではない。
なのに、何とまあ。なのは、可愛い孫たちが遊んでるような
気持になっているのだった。ふ、、明日になると又一つ年の数
が増えるんだものねえ。
                                              
                 

2010年12月29日水曜日

流鏑馬(やぶさめ)と競馬(くらべうま)

    
 最近必要があって、所功氏の「京都3大祭り」を読んで
面白い事を知った。始めて。と云うのは私の知識の無さかも
知れない。「くらべうま」競馬のことである。
祭りは元来天下太平と五穀豊穣を祈った神事である事くらいは
知っていたし、流鏑馬も各地の神社で奉納される行事だ。
所氏の京都賀茂神社大祭の中に競馬が詳しく記してある。
今のように「けいば」でなくて「くらべうま」である。
賀茂大祭は欽明天皇の時代、(6世紀半頃)に始まり1093年
堀河天皇時代に「十番の競馬を奉る」と云うことになり、それに
必要な馬20頭は荘園から集められ、更に社家の子弟から20人
の乗り尻(騎手)が選ばれ、一の鳥居から二の鳥居まで走り
勝敗を競ったのだそうである。十番と云うのは、20頭の馬
を、2頭ずつ組み合わせて、競技するかららしい。
時代と共に変遷はあったが,1923年、競馬法が施行され
現在に至ると書いてあった。
凱旋門賞第1回が1920年だそうであるから、日本で競馬法の
制定されたのと殆ど同じだし、欽明天皇時代から「神事」として
奉納されていた事は、やはり馬という「走る芸術品」は、只ならぬ
動物なのだと改めて感じ入った次第である。

最後まで「馬」の話で今年は終わりました。もう一度、よいお年を!
                              

2010年12月28日火曜日

年末の区切り行事 人それぞれ

メリークリスマス&ハッピーニューイヤーを 区切りとする人々や、 家庭や会社事情、国によって様々ありましょうが、仕事第一線を退いた後の私は、何と、12月最後の日曜日にある競馬の祭典、有馬記念なのであります。ふっふ、、、。

応援してる馬が勝つのが一番嬉しいけれど、どの馬が勝とうと負けようと、あの、走る勇姿を見て胸がキュ~ンとして、美しいー思って一年が終わるのってハッピーでしょ!?

現役馬では、牝馬でありながら一番強いと思っていたブエナビスタは、展開のあやとか、得手不得手の競馬場もあり、2位でしたが、3位までが同タイムですから強い事に異論を云う人は無いでしょう。

それで、「聞いて聞いてよ」。まあ、 バリでは競馬のおしゃべりをするなんて出来ないので、、ははは。


11月29日のBalibabaブログ、勝負事の妙 面白さと云うのを
書いてるんですが、そのときの写真、実はブエナビスタではなく、トゥザグローリーと云う名の3歳の牡馬なのです。

立派な血統馬であることは勿論なのだけど、その顔、立ち姿、優雅この上ない雰囲気。
すっかり虜になった私はブログの写真に名まえも入れないまま、出していたのです。この仔は走るぞ~って。

そしてそして話はこれから!! その仔が今回の有馬記念に出走して何と、15頭の中で14番人気ながらタイム差無しの3着に来たのです!
3着の馬の事なんて、テレビでは(あ、バリの日本版テレビはさすがに有馬記念とあって放映しました。かじりついて見てましたが)一言もなく、3着トゥザグローリーと云っただけでした。私の喜びようは伝わりましたかしら? 因にこの仔の名まえの意味は

”栄光に向かって”


先週の事。わたしの許に子猫が迷い込んで、
自分の家みたいな顔をして
住みついてしまってるのです。
18歳でバリに連れて来たチャーリーが、こちらに来てからわずか5か月 で死んでしまって、その時もう今後は絶対ペットは飼わないとチャーリーに誓ったので、安易に家のネコには出来ないから、貰ってくれる人が 見つかるまでと思って置いてるのですが、これが又滅茶苦茶 頭がいいの ですわ。餌を食べるよりも私にくっつきたがって、ノラじゃないようです。

野良猫は絶対人間に触らせないですから。
まだ生後1か月位でしょう。可愛い顔をして小さいから「ちび」と呼んでいます。 バリは今雨期ですので、太陽が燦々と照っていても、一天俄にかき曇り、 なんてよくある事ですし、最近あまり外出もしないのでチビの相手を所在なく??しているBalibabaの年越しです。 
皆様いいお年を~~

2010年12月21日火曜日

バリのお盆

今年は、お盆の入りのガルンガンが12月8日に始まり、
クニンガンの終わりをもって、ようやくお盆の行事が終わった。
その間10日間か? 

ガルンガンの間中、人々は賑やかに騒ぎ、普段は外人ばかりが
目立つモンキーフォレストにバリ人の家族、親子連れを多く見た。
最初、気が付かなかったのだけど、イプンに云われて良く見ると
成る程ほとんどバリ人。手を引かれたり肩車されたり、
みんなニコニコ猿達に話しかけながら森を歩いている。
「いい風景だなあ。私も嬉しくなるよ~」 
 

フォレストの中にあるお寺、プラ、ダラムは、
死者を祀る寺とされる。
8月初めの頃、このプラダラムでお祭りがあり、
私もバリ人よろしく盛装して中に入れてもらったが、
とても立派。荘重な中にバリらしい色と装飾が施されていた。
そのお祭りや、1月間も続いたのだ!!

クニンガンは日本のお盆で送り火を焚いて「お客さま」を送る
習わしと同じだから、人々は又盛装して村を回り最後に
プラダラムへ行く。日本の灯籠流しみたいかな? 

女達は、お供え物を頭の上に乗せて神輿のあとについて行く。
男達も盛装して神輿のあとに続く。男達が腰に巻いたサルンは
どれ一つとして同じ布、柄が無いのに気付き、驚いた。
今まで気にも止めなかったが、後ろから行列に付いていて
始めて気が付き、よく見ると、小さい男の子まで色柄の違う
サルンを巻いている。唯一のオシャレなんだなあ。
                                              
                                    

2010年12月16日木曜日

突然の訃報。同時に思い出した「第9」

        
残念な知らせです。と、息子からのメールが来た。
バリに来て始めて目にした訃報。

マーちゃんと呼んでいて、息子みたいに可愛がり、
またマーちゃんも「おかあちゃん」と云って仲良くしていた。
本当によくしてくれた。

マーちゃん、早すぎるよ。 早い! お母ちゃんより先に逝くなんて!!
今度帰国したら大いに飲んでしゃべって、、、と楽しみにしてたのに。

マーちゃんが第9の切符を取ってくれ、
二人でコンサートに行ったのは12月の今頃だったね?! 
私が喜んでるのを見て、毎年プレゼントすっからね。と云ってくれたわ。
私はいま涙を流しながらこれを書いてる。

マーちゃんは、うちのHideと同じくらいの年齢だし、
そんなに早く逝くなんて親不孝だぞ!

マーちゃんの「バカさ」がとても好きだった。
一見、豪放磊落に見えてたけど本当はそうじゃなかった。
繊細で優しく、よく気の付く子だった。
何でも知っていて,私に歩く百科辞書と揶揄されてたね。

耳を離れなかったシンフォニーも終わりが近付くにつれ、
歓喜の歌に変わった。そうだよ! 
悲しんでばかりじゃマーちゃんも嬉しくないよね。
おかあちゃんは生きるよ!!死ぬまで!!  

ご遺族の方々に慎んでお悔やみを申し上げます。 

マーちゃん安らかに。ね。
                       
                                 
                                               
                           

2010年12月10日金曜日

バリの若者達

クタに居る頃から、20歳前後の若者達が小さなゲームセンター
たむろして朝から夕方まで遊んでいるのを見て、仕事が無いのは
分っていても、「何故だろう?いいのかな?」と、余計な心配を
したものだけど、日本の友達と話していて勝手に結論付けたのは、
「果物はいつでもなってるし、寒くないからその辺に転がっても
眠れるし、何よりも、大家族制度だから、家族の中の誰かが稼いで
来れば何とかなるんじゃないの?」 
 
本当の所はもっと他にあるかもしれないし、直接声かけて聞いた訳
ではないから安易に結論付けるのも妥当ではないだろう。
とは思っている。
 
ウブドでも、そんな若者を見なくもないが、クタより少なく感じる
のはウブドの人達の主な仕事が農業である事が大きいのかも
しれない。と、思っている。
最近知り合った夜間大学生の一人は、雨が降らない限り昼間は
家業の野菜造りを手伝っていると云う。その子の友達はホテルに
もう6年間も勤めてると云う。
 
もう一人は女の子で、結婚して子供もいるのだけれど、もっと
もっと勉強したいのだと。その子は目下お手伝いさんをしている。
 
3人とも20代の、ほんとにいい若者達で可愛くてしょうがない。
知り合ったきっかけも彼等の専攻が、日本語だからである。
とりわけ日本の伝統や文化に興味を持っている。
 
将来はどうするの?の質問に、3人の答え。
「学校の先生になりたい」
突っ込んで聞いてみた。教育と云う事業に対する情熱が半分。
あとの半分は年金があるからと。公務員にならないと年金が
付かないから、バリの若者は、できたら皆、警察官や関税関係、
要するに役所勤めを希望してる。と。
インドネシアでは一流と云えども,民間会社は何年勤めても年金が
無い。いずれも納得したし、またいじらしくも思った。
 
しかし、桁外れの理想や情熱を持つ青年が居てもいいのじゃないか?
出てもいいのじゃないの?! もう、何処かに居るかもしれない!?
等と切望する勝手なBabaちゃん。ごめんなさいね。何もできなくて。
 
 
ガルンガンは、日本で云えばお盆。出稼ぎに行ってる家族も交えて,また日頃疎遠の親戚や友人達とも交流し殆どの店が休みとなり、バリ人は陽気に騒ぐ。
 
子供達は親に作ってもらった獅子舞」をしながら、村を回ってお小遣いを貰っている。
                                    

2010年11月29日月曜日

勝負事の妙 面白さ

元々スポーツは苦手であまり興味も持ってなかったが、店のお客の競馬好きの方も多くいらっしゃって、 動物大好き、 特に馬に対しては父との忘れられない 思い出もあって、身近に動物に触れる機会 無く テレビで馬の走るのを見るのが 堪らなく好きになってどんどん競馬に のめり込んでしまったのだけれど、

良い趣味??を持ててホントによかったと思う。 バリにいると、馬の走るのは見ることができないけれど、どの馬がああだとか、こうだとかの情報ネットで少しだけど知ることができる。そして、勝ったとか負けたとかも知ることができ、結構競馬の予想もしているのだ。
  
昔から思う事は、予想をしてる時が一番楽しいのよ。今日のジャパンカップ、当然のようにブエナビスタ勝つと予想していながら、賭け事だから、ブエナビスタの単勝を買っても200円しか付かないし、遊びで1点だけ豊のローズキングダムを買ったら、何と彼が1着に来た!それも繰り上がりで。
当然走る所は見られない訳で、なんで繰り上がりかネットを見ると、ブエナビスタが1着に来たけど走行妨害で、2着になったと。でも、多分ローズだけに対しての妨害となったと想像されるのよね。若し妨害を受けた馬が10着だと仮定すると、11着になるわけだから。馬券はローズの単勝が880円だったから儲けなんだけど、あまり嬉しくないのよ。おまけに、ローズとの差は0.4秒もあるんですもの。

どんな事があったか知らないけど、やっぱりブエナは強い!のよ。さあ、有馬記念でリベンジ出来るのか!?

相撲。日本の国技だし、他に見る番組がないので、始めから毎日観戦
てる。これも見てると結構面白いのね。今期は九州場所とあって、
九州出身の魁皇の応援がすごくて見ているうちに私までも
「魁皇勝てっ」思いながら見ている。
解説者はもう38歳ですし、よく頑張ってるけどあまり過剰な期待
は??など云ってる。逆に私はだからこそ頑張れ!って、いつの間に
魁皇ファンになったのか応援する自分に苦笑していたのだが、
解説者の予想に反して、どんどん 勝ち進むじゃありませんか。
よく見てると、力量はあるお相撲さんみたい。
相撲見てて大笑いしたのは初めて。ああこれは負けた!
と思ったとき、相手が足を滑らせてバタンと倒れたでしょ。
見てた人は居ますよね。土俵際まで押された魁皇が急いで立て直そう
と振り向くと、相手がうつ伏せになってるのを見て魁皇はびっくり
した顔をしたのよ。それがおかしくて、私は笑ってしまった。
あとのコメントで又声を出して大笑いしたわ。
「振り向いたら転がってたからびっくりした」
それでも勝ちは勝ち。勝負事の面白さ、醍醐味を見た。
今期の魁皇は凄い。と、解説者弁だけれど、年を取ったのにこれだけ
勝つのは運もあるけれど、やはり今までの努力精進の結果だと思う。
二桁勝ちは3年半ぶりと聞く。

もし、息子なら、きっと私は云う。
「ご苦労さんでした!!! この最高の気分で引退したら!!!?」
                                  
                                     
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2010年11月22日月曜日

古本交換会


昨日土曜日、月1回の本の交換会がアンカサであり、
ウブドに来てまだ 1度も行った事が無いので、
おつき合いのつもりで古本を7冊抱えて出かけた。
ちょうど1冊だけ読みたいと思っていた浅田次郎のものがあった
ので、それを貰った。7点のポイントを貰い、その本が2ポイント
なので、余った5ポイントは次回の交換会で使えるそうな。
さすがに日本人だけ集まっている。日本の本ばかりだものね。
今後、便利に利用出来そうだわ。これからは気楽に出かけようっと。
日本に居れば、多分毎晩ジャズを聴き、毎週土曜日曜は
サラブレットの走りに魅入り、興奮とため息の満ち足りた時間も
あっただろうが、無いものは 無い!!しょうがないよねえ。
そのかわり1年中適度な暑さとバリの風は、どんなにお金を
かけたって手に入らないもの。
このごろの私。朝めし昼めし(そう、私の場合”めし”)そして
御夕飯(?)など。作るのも食べるのにもずいぶん時間かけている。
時間たっぷりあるもん。

思い出すのよ。亡くなった母が戦後の食糧難の時代、朝から一日中
台所で奮闘してた姿を。こんな材料で、どうしたら美味しく
食べさせる事が出来るかと、そればかりだったのねえ。


ま、私の場合は食糧難でも何でもないけれど、何故か最近、やさし
過ぎる位だった母を思い出すのよねえ。たいした人だったなあと。
私も年取ったのね。多分。
さあて、今から本を読むとしますか。 
チャーリーが居てくれたらなあ。