2009年5月26日火曜日

大イベントを見終えて

世界最大級の火柱が入場者を迎える

日本を竜インドネシアを虎に見立てた二つのみこしがぶつかり合う
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鳴り物入りでの前宣伝は、さすが山本寛斎の面目躍如。
素晴らしかった。

今後の日イ関係を尚いっそう盛り上げて行こう
との意欲が充分に汲み取れた。

バリ島ならではの野外舞台は、その昔のイタリアコロッセウムも
若しかしたらこの感じをもっと大規模にしたような競技場
だったのかなあ等と空想してみる。

和太鼓とガムランの入り交じった異国情緒たっぷりの音に
気持が高揚していく。
会場は常夏のバリとは言え、さわやかな海風が吹いて来て、
ちょうど心地よい日本の5月そのままだ。

巨大な火柱が広場を照らす中、日本とインドネシアの象徴の
竜と虎に分かれた二組の若者達の格闘技が終わると
一転きれいなお姉さん達のバリダンス。

そして、バリ風の神輿に乗った歌姫、アグネスモニカが
しずしずと下りて来て歌い始めた。
よく通る澄み切ったきれいな声。
その時、インドネシアの多くの大人が涙を拭っている。


INDONESIA TANAH AIR BETA
私がインドネシアの土と水ー(祖国)

PUSAKA ABADI NAN JAYA
永遠に偉大な遺産

INDONESIA SEJAK DULU KALA
インドネシアは昔から

TEMPAT DIPUJA-PUJA BANGSA
あがめ奉られる国

DISANA TEMUPAT LAHIR BETA 
其処で私は生まれた


その後に続く原語は省くが、
此処で生まれたわたしは、母に(国をも意味すると思う)大きくされた。
育てられ、守られ、年老いて目をつむる最後迄、
この場所で(国で)育てられた。

直訳すると、そんな意味の歌詞だと、
インドネシア学校の先生とホテルのスタッフに教えてもらった。
教えてもらい乍ら、わたしは涙した。
あのとき涙を拭った人たちの熱い愛国心が伝わったのだ。
この国の人々が、いかに自分の生まれた国を愛し、
誇りに思っているのかと。


今後、きっと私のインドネシア観が変わるであろう。
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虎と竜をした日本とインドネシアを象徴した

巨大な熱気球が打ち上げられようとしている

バリ島いっぱいの夜空に上がったかと思える気球

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2009年5月5日火曜日

面白くなって来たインドネシア大統領選挙

選挙権は無いし、他国の事だと云い乍ら、世話になってる国の事を面白がってはいけないわね。ひいては世界情勢も最後は1個人にも関わって来るのだもの。混迷している大統領選で、1日のジャカルタ新聞は一面のトップに「反ユドヨノ大連合加速」と報じている。

ところが、と、云うべきか、偶然にも?米タイム誌が最近の特集記事として、”世界で最も影響力のある100人” の中で、『リーダーと革命者』というカテゴリーで、20人を選んでいるが、その中に現インドネシア大統領スカルノも入っているのだ。4月30日に、この記事を知ったスカルノさんがタイム紙に早速意見書を出した。「私個人だけに対するものでなく、インドネシアに対する栄誉だ。今後も多の国家の模範となるような民主国家を目指したい」と。

同じ日のジャカルタ新聞に依る記事なので、余計おもしろく感じた。

さあて、7月8日の選挙の行方は?


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2009年5月1日金曜日

そろそろ熱くなって来ました

いや、暑さはいつも変わらないのだが、ヒートアップして来たのは近付くインドネシア大統領選挙の事だ。ジャカルタ新聞のみの情報しか知らないが、現大統領のユドヨノ氏が1歩リードしてたのが、ここに来て、前大統領のメガワティ女史が、グーンと票を伸ばす可能性を報道している。

と云うのが、今迄ユドヨノ氏の副大統領をしてたカラさんが、ユドヨノの民主党との決別を表明し、大統領に立候補したのだ。その上、闘争民主党党首のメガワティと共闘しようとの動きが報道されていて、ユドヨノの副大統領の指名をを辞退する以外にメガワティとの連携となると、ユドヨノさん大丈夫??なんて心配している。

勿論私には選挙権は無いし、まして、誰がインドネシア大統領になるのがベストか又はベターなのか分らないし知らない。この1年の間の街の噂、と云うより私の友達の間では、ユドヨノさんになってから、福祉の面で前より良くなった等と聞いたりしてるので、少なくとも前大統領のメガワティさんより良いのかな?って思うしか無いじゃない?

街の友達に聞いてみた。大統領選挙には行くの?と。『勿論よ。』と。まあ、誰に投票するの?迄は聞かなかったが。

インドネシア式生け花よと持って来てくれた女の子の花に、ホ~ッと暖かい、充たされた気持になった。



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2009年4月27日月曜日

ちょっぴり日本が恋しい


初めてバリに住みついた時は感じなかったホームシックのようなものを感じている。 こちらに帰って来て10日しか経ってないのに。

テレビから流れるニュースは、いい事なんて何にも無い。

ネコたちには本当に慰められる。今日もミミとチャビの親子が仲良く一つの皿で食べている。二人の子供たちはどこに居るの? どこに隠してるの? 歩けるようになったらきっと見せてくれるわね!もしかしたら子供たちのお父さん、おんなじかもね? ・・・などと、つまんない他愛も無い事を考えて笑ってしまう。

今週は雨が降らない。そろそろ乾季かな。

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2009年4月23日木曜日

自然といのち

桜の満開を満喫したのは3日間だった。4日目位からもう、ちらほら花の間から桜の葉の新芽が見えはじめ、10日の間にすっかり花が葉に変り、それはそれでまた葉桜として見応えある風景で、それも私は大好きだ。5月ころは黒く感じるような深緑になるんだわと日本をあとにした。

バリの私の部屋に着いた途端、ノラちゃんのチャビが挨拶に来た。な、なんと、お腹がすっきりして、私の留守の間に赤ちゃんを産んだらしい。実は、3月初め気がついたのだけど、どうもチャビのお腹がふくれている。お母さんのミミもお腹が大きい。

ミミはチャビの親だし、これはいいとして、チャビまでが、、、あー、何と、、言葉が出なかった。『チャビはチャーリーのお嫁さんにはなれないわあ。してあげないっ』と、驚きと複雑な感情がいり混ざった、押さえようの無い悲しみに、自分でも戸惑ったのだったが、チャーリーが生きていた頃、まだお乳を吸っていたネコが、半年経ったのですもの。半年で、大抵の動物は大人になるのよねえ。

自然の摂理と云うやつなんだわ。チャビ、怒ってごめん。でも、ママが日本から帰って来てから赤ちゃん生んでね! なんて勝手な事を云ったのだったが、3週間留守にしてる間に、、、ね、、お母さんになっていたのです!! 相変わらず、邪気の無いきれいな目をして。でも以前より落ち着いていて。毎日、赤ちゃんはどこに居るの?早く連れて来て見せてちょうだいよ。と、話しかけているのです。

花や木、小さな生き物、私達を包んでくれている大自然。それによって私達は生かされていると云う事を、しみじみと、本当に、有り難く感じたのでした。

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2009年4月20日月曜日

飛鳥山公園の桜


今年は桜の開花が早いとのニュースで、私が帰国する時にはもう散ってしまってるなあ、予定を1週間早めればよ かったと、後悔していると、何と、急に寒さが戻り、桜の開花が遅れそうだとのニュース。

まあ、何とラッキー!!待っててよ日本の桜。
ど うしても会いたいのよ!!
そして、帰国した翌日、恋しい桜に会えたのでした。

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神田川沿いに咲いた満開の桜

2009年3月27日金曜日

ハリラヤニュピの意義

一切の文明から自らを遮断し、静寂と闇の中で自分を見つめ、自然と原 始に帰り、家族と共に過ごすニュピは、バリ島の伝統でもあります。と、ホテルthe alit の人に真面目に教えてもらった。

バリ人は、数日前からニュピを迎える準備をし、数々の儀式を行い、当日は、瞑想し、祈りを捧げ、神々がバリ島を清めてくれるのを待つのだそうです。

厳粛な行事。そう、これほど迄に厳粛な厳しい行事は私の記憶では、無い。

世界中で一日だけでもこんな日があってもいい!と、本気で提案したい。環境の事,戦争や争い、見事な迄に改善されるのではないか。本気でそう思う。

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2009年3月23日月曜日

色んな思い。郷愁も含めて。一年ぶりの帰国を前にして、、










ひらひらと乱舞する蝶たちは、インドネシアにしか棲息しない貴重な昆虫として、大きな網の中でしっかり保護されていた。網は、大きな木も包むほど広いので、蝶たちは保護されている事も知らず優雅に飛び交っている。

絶滅の危機にある動物を保護しようとする動きは、世界中で広がっては いるし、日本でも取り組んでいるが、バリの鳥や植物や昆虫も、後進国(失礼!でも実感)ながら、あちこちで見受けられる。

2007年にオープンしたタマン.サファリ.バリでも、絶滅の危機にある貴重な動物の繁殖プログラムを進めていて、ホワイトタイガーの赤ちゃんが生まれたと云うニュースを目にしたので、是非見て来なくては、いや、会って来なくてはと思っている。

バリに住んでいる日本人の殆どが何とかしたいと考え、そして実行し始 めた事で、クリーンアップバリがある。清潔が当たり前の日本人が一番気にするゴミの問題。私も頭が痛い。こういう時だけ自分の年齢を誇示し(体力も無いので)私は参加してな いが、事ある度に街や海岸をきれいにしようと頑張って下さっている。

『バリの森を考える会』というのもある。日本のNPOの方達を中心にして、ウブド北部の植林に取り組んでいられる。

インターネットでバリ島を引いてみると、なんと『地球最後の楽園バリ 島」だって!
もし、本当にそう思ってるのなら、もっとこの島を、いや、大きく出て、地球を大事に,大切にしなきゃあねえ。とりあえず、ハリラヤニュピのような日を地球全体でやってみたらどうかしらねえ。一日だけでも、間違いなく空気がきれいになるよ。

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2009年3月12日木曜日

ジャワジャズとバリのお祭り

インドネシア最大の音楽祭典、ジャカルタ国際ジャワジャズフェスティ バルには、3日間で8万人が集まり、昨年の6万9千人を大きく上回った。と3月10日のジャカルタ新聞で報じられている。世界のトップミュージシャンたち2000人が集結してのものだそう。

日本の参加ミュージシャンのコーディネイトを手がけ、2007年には渡辺貞夫さんが監督をする企画を立案したブルーノートの小林栄さんは、「4年間ジャワジャズを見て来たが、ジャワジャズはアジア最大の音楽祭になった。日本では、インドネシアでこれだけの規模のイベントが行われ ている事さえ知られていない」と指摘されています。そして、日本のミュージシャンが出演する機会を設けたり、関連イベントを増やしたりも出来るのではないかと提案されている。

バリ人は、それはそれは、お祭り好き。学校が休み、銀行が休み、商店が休み、なんて、ごくありふれた光景。金持ちも、そうでない人も、収入の3割は祭りの為に消費するって!!

最近知った、初めて聞くお祭り。Hari raya Nyepi ハリラヤ ニュピ。
ハリ.ラヤと云うからには、お祭りなんだわね。なんと、サイレントディ、静かにしましょう!と云うのだ。

私も桜に会わせて、24、5日頃帰国しようと思ってた所、26日が ニュピで、その前後は、商店も閉まるし、飛行機も飛びませんよと聞くではないか。それで、用心して29日に立つ事にしたってわけなのだが、そもそもサイレントディってどうなるの??

先ず、乗り物一切駄目。日没後は火を使う事駄目。明かりも御法度。夜、明かりが漏れてると石を投げ込まれる。大きな話し声も禁止。学校、銀行、乗り物、スーパー。皆、静かにするべし! なのだ。

もう、もう、超面白い。と、私は思ってる。1年1回だけ、こんな日があってもいいんじゃない?!空気がきれいに なるよ。これは、インドネシアの行事でなく、バリ島だけの祭りで、いつからなの?と、聞いたら(20代のスタッフ)生まれた時からだから、知りません、だった。

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2009年3月5日木曜日

インドネシア西部国立公園


インドネシアには、実に多くの資源が眠ってるのになあ、と、心ある人たちは云う。資源を抱えてるのにねえと、じれったがってる理由は、自国にあるものを精製する方法を知らない、設備が無いということだと云う。
だから、外国資本がどんどん入って来て、いい所は持って行かれてしまうのだと。 

私は人の話だけだから決定的な事は知らないが、国立公園内には、インドネシアしか生存しない動物を保護してる箇所がいくつかある。ミンピリゾートの帰りに、その一つであるカンムリシロムクドリを見に行った。入園料が、えっと云うくらい高い気がしたが、まあ、保護する為の万分の一の寄付だと思えば気持いいと云い合い乍ら、美しい真っ白の、鳩より少し小さめの鳥をなるべく驚かせないようシャッターを切っ た。目の回りの瑠璃色が本当にきれいだ。雄は時々冠を逆立てて自分を誇示して、それがまた美しかった。

昨日のブログで3枚の写真を掲載したが、1番上は温泉がわいている所。

2枚目は右の方にもっと広がっている、入れる温泉で、手を伸ばすと海に届き、海水が掬える。向こうに茂っているのはマングローブの森。マングローブと云う名前の木や植物は無いそうで、熱帯や亜熱帯地域の河口など、満潮になると海水が満ちて来る所に生えている植物全部をマングローブと呼ぶのだとヤフーに載っていた。100種以上あるそうです。温泉につかり海から吹いて来る風を顔に当て乍らマングローブの森を眺めていると身も心も本当に癒されます。

3枚目は水牛と農夫。       

近々、やはりインドネシアしか棲息してない、それはそれは美しい蝶の様子と写真を掲載する予定です。

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2009年3月3日火曜日

バリ島西部へ行く




私達は,バリ島の西に向かった。北の端シンガラジャに行ってから20日後の事だ。途中、すっかり仲良しになったドライバーのウィッキーの家に寄った。古民家風の造りは中々立派で、きれいな奥さんと子供達と、お祖母さんが住んでいる。自分のうちに案内してくれるほど、バリ人のウィッキーと仲良くなれた事にも皆嬉しかった。

チャングーからウルワツを尻目に西に向かう途中、彼の有名な五つ星ホ テルブルガリに寄って見ようとなる。みんなキャッキャッと笑い乍らコーヒーだけよねと念を押し門に入ると思ったよりず~ッと質素なエントランスだ。

案内人がどうぞと指差す方に、カートが待っている。成る程成る程。カートが必要なわけだ。広大な敷地は起伏がはげしく、レストランへ行く道は南国の花のトンネ ル。遠くに目をやると、果てしなく海が輝いている。途中、ちょっと部屋を見たいと誰とも無く言い出し、ホテルの部屋に案内してもらう。もちろんバリ風だから一つ一つヴィラだが、私のヴィラとは雲泥の差。当たり前だけど。プライベートプールも付いていて、1泊18万円だとか。1番高い部屋は80万円ですって。

海を見下ろす崖っぷちにあるレストランでお茶をして、それでも満ち足 りた気分になり、また車を走らせる。北部方面より、平野が多いと云う感じ。あまりだんだん畑は無い。

何度見ても面白く感じるのは、稲刈りをしてる隣りの田んぼで田植えを している風景だ。その隣りの田んぼは青々とした稲穂。常夏の国だからなあ。見事な角をした水牛が荷物を運んでいる風景も時間を忘れさせてくれる。

ヌガラの県庁を過ぎて間もなく、というか、ようやくミンピリゾートに 着く。クタを出発してから4時間近く経っている。レストランで,今度は珈琲だけでない食事をとったが、皆満足したわ。海風もごちそうだった。そして何より満足したのは温泉! もう一度、今度は泊まりがけで行こうとみんなで話をしたのでした。

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2009年2月4日水曜日

バリの憂鬱

  赤道直下のインドネシアバリは今、まだ雨季が明けない。昼間、雨季とか雨とかを忘れるくらい晴れ渡っているのに、突然雲が出たかと思うと、あっと云う間もなく土砂降りの雨になる。そしてまた、さあ~っと太陽が顔を出す。夜中の大雨はすごい。時には雷を伴い、嵐かと思うくらい。それもまた、朝になると嘘のように晴れている。

南国の雨季はメリハリがあって、私は好きだ。尤も、真夜中の雷雨は心細い。ひたすら雷が通り過ぎるのを待っている。あとひと月もすると乾季に変わるとバリの人たちが云っている。
私にとっては、雨季でも乾季でもいいのだ。南国そのままだからだ。

果物は美味しいよ。多少、旬と云うのはあるが、おおむね1年中豊富。野菜も本当においしいよ。これも1年中ある。特に果物の安さは感謝もの。花も1年中咲いてるよ。いつもと変わらない花達。優しいインドネシア人。

な、ん、に、も云う事が無い。云うなれば、し、あ、わ、せ。

なのに。なぜ?落ち着かない。不安感は無いが、しっくりしない。何か、何処かに忘れ物をして来たようなじれったさ。人が聞いたら怒りだしそうな贅沢な苦しみ、と云って大げさならばちょっとナーバスになってない?あなた!でしょうか。

現実の世界のニュースは知っています。現実に目を背けてるのではない、決して。そして、心の揺れに感傷的になっているちっぽけな自分を思いっきり叱咤している。罵倒してみる。

それでも尚、インドネシアは、バリ島は、他所の国というのだけは変わらない。
所詮私はエトランゼ。 ストゥレンジャーなんですよね。

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2009年1月21日水曜日

忘れがたい山と湖を後にして

バトゥール山と対比して目の前に見るアバン山は、湖も、人をも包み込むようにして優雅に横たわっていた。 その、母のような山に囲まれて、静かに水をたたえるバトゥール湖は、あくまでも清らかで神秘的だった。

去りがたい山と湖を後にして、私達は北へと車を走らせ、ジンガラジャに向かった。オランダが最初に上陸したところで、その時抵抗して戦った地元の英雄のモニュメントが建っている。このジンガラジャに住みついたオランダ人が作った街は、バリの家並みと違って、洋風で、どことなくエキゾチックだ。

バリ島の首都がデンパサールに移るまで、オランダ統治下の表玄関として栄えた地であると云う事だが、バリの人たちは、「カンプンブギス」と 呼んでいる。ブギス村のバリ人でない人と云う意味だとドライバーのウイッキーが教えてくれた。オランダ人の血が混じっているせいか、やはりどことなく違う。

ブラタン湖やギギの滝などを見て回るつもりが、キンタマーニ地方で穫 れたコーヒーで、インドネシア初の、『地理的表示特許』が認定され、バリ から世界のブランドとして国内外の市場に出ると云う「キンタマーニコーヒー」を買いたくて、散々ウィッキーと鈴木夫妻を困らせたのは私の我がまま だったが、ようやくキンタマーニコーヒーを売ってるところを探して買って帰った。

キンタマーニで穫れたには違いないが、どうも私の思惑はずれ?かな?漢字とも中国語とも分らない表示で、『金塔馬尼 珈琲』とあるのには吹き出してしまった。ごめんなさい!

途中、カンプンロビナ『ベニュアリット』で食べたお昼はとても美味し く、ついつい、酒も、で、大満足した。田舎マーケットで、野菜や果物を買い込み、また、にぎやかに大笑いし ながらクタ方面の帰路についたのだった。


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2009年1月6日火曜日

ドライブ1泊旅行


アリッツに3月までいる予定の鈴木ご夫妻と車をチャーターして観光に出かけた。いつもの、行き当たりばったりの私と違って、スケジュールをきちんと立てて下さったのであやかる。

バリの、どの観光案内にも宣伝してあるところは勿論いいが、今回は、ご主人ががこちらで知り合った、産経夕刊フジの元記者さんのバリ体験ルポにある辺りに行ってみてもということになり、ご主人が日本から持って来たバリ島歩きの案内書なども参考にし乍ら、気心知れたドライバーと奥さんと4人の道中の何とにぎやかなこと! 一番ワッハッはとやってたのは私かも知れないが。

スマラプラ宮殿は、オランダが最後に制圧した地方の王の住まいだった跡だそうで、勇敢に戦った部族の英雄のモニュメントが街の中心にそびえている。 勿論、どの宣伝案内にも出ている。

塩田などを見て、塩を買い、昼食はロブスター食べたいねと、看板に、ロブスターと、値段も書いてあって、海も見えるレストランに入る。とても美味しくボリュームもあるインドネシア料理だったが、姿のままの塩焼きが食べたかったんだわ。

鈴木さんご主人のプランの宿泊先は、元記者さん紹介のキンタマーニ湖畔のレイクサイドコテージ。日本人の奥さんがOL時代に貯めた金で始めたと云うことだ。

そこへ行く途中、五つ星のアマンキュラホテルに寄る。まあ、お茶だけだけど。 やはり、さすが!いつか泊まりたいね。と云い乍らコテージに向かう。

この前来た時に、霧で見えなかったバトゥール山もバトゥール湖もバトゥール山と対比して湖を抱くようにして横たわるアバン山もくっきりと見えて嬉しかった。夜は、温泉につかり、簡単な夕食を食べた。明日の予定はシンガラジャ方面。バリ島の最北端だ。


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